[四日目 11時10分・現実世界]

少し時間を戻す。


老獪な議員の意向により、本件に関わることになった藤川議員はコンビニでアメリカンドッグと缶ビールを買うと、『秘密基地』のある雑居ビルの階段を上った。


まだ昼間ではあるが、早朝から対策本部に顔を出し、本部長である竹内官房副長官と短い意見交換を行い、過去に名刺を交換した複数の有識者と連絡をとり、現在の状況について立花秘書を通じて「大先生」と呼ばれる大政治家へ報告を終えたところである。


正直、かなり疲れた。


階段を上りながら、父親の言葉を思い出す。


『政治家はいいぞ。バッジを付けて座っているだけで、金が貰えるんだ。しかもお前は世襲議員として、俺の地盤を相続できる。なに、ほんのわずかな間でいいんだ。ほら、兄さんのところの子がいま県会議員をしているだろ。あれが国政に出るまでの中継ぎでいいからさ。その後? 落選ではなく、禅譲による引退になるからな。あとは地元の名士として好きなようにすればいい――俺も年だ。親孝行だと思って、次の選挙はお前が出てくれよ』


議員としては言動の軽さだけが話題になり、家ではいい加減なことしか言っていなかった父親の言葉ではあるが、最後に自分の衰えを告げた部分だけは真実味にあふれていた。


まあそれならしかたないか、とサラリーマンを辞めて初の選挙に出て、当選し、万歳三唱と当選の宴が終わった後に、藤川は父親に呼ばれた。


そして一言。


「地獄にようこそ。たっぷり楽しめ」


以降、地元で名士として第二の人生を満喫する父親を呪いながらここまで来たのだが、本当に人生というのはわからないものだと思う。


扉を開ける。

幼馴染の官僚と、秘書がいた。


まあ、こいつらと一緒に仕事ができたことはそれらを差し引いても十分におつりがくるものかもしれないが。


情報の共有化のため、複数の巨大なディスプレイと複数のホワイトボードが並べられている。


ディスプレイにはリアルタイムでウォッチしている複数のサイトを筆頭にいくつもの情報が並べて表示されている。一方、ホワイトボードには、多種多様のメモが貼られていた。


藤川はメモ帳を取り出した。一枚につき一つの情報が書き込まれているそれと、ホワイトボードの上のデータを照合する。内容が重複するものもあれば、新規の事項もある。新たな事項についてはそこにとめるメモを追加する。


「ロウちゃん、本部の方はなにか動きがあった?」


「『運営』がどこから配信しているのか、各国の情報部が動いてはいるが一向に解析されないらしい。念のため、問い合わせ用のアドレスにメッセージを送り続けているがそちらにも返信はないとのことだ」


官僚は静かに視線を上げた。


「それと『三人』が入院中の病院に、見学の要請が届いている」


「どこの野次馬だい?」


野次馬ならば断わって済む話なのだがな、と官僚の梶原は手元のモバイルを操作した。


ディスプレイにリストが表示される。さして知識のない藤川ですら知っている国内外の有名大学や研究所の名前がそこに並んでいる。


「……それだけの事態ってことか」


「一時的とはいえ、通信系を掌握されたからな。どの国も、組織も、どのような形でもいいから運営につながる鍵は欲しいだろう」


「となると、受け入れか。ご家族はさらに心配になるだろうね。文ちゃんおばさんに連絡をしておくよ」


ビールとアメリカンドッグを袋から取り出す。先ほどまで、これにかぶりついて、一気に喉に苦い炭酸を流し込むのが楽しみだったのだが、どうも気が削がれた。


「先生!」


秘書から鋭く声が掛かった。つまみかけたアメリカンドッグの串から慌てて手を放す。


「ま、まって、峰岸ちゃん。いや、わかっているよ、間食は良くないよ、確かに良くない。でもさ、ほら、ちゃんとここまで階段を使って登ってきたし……」


「それについては後で叱ります。これを見てください」


秘書がディスプレイに表示されているウィンドウの一つを拡大した。三人の目がそこに集まる。


『運営からのアンケート』


その見出しに説明が続く。


『現在、高橋圭太郎君は、別のプレイヤーに合うために徒歩移動を行っています。合流までに要する時間は、推測であと二日ほど。そこで、我々運営は一気に合流地点となる街にまで移動できるアイテムを用意しました。これを高橋くんにプレゼントするかどうかを、多数決で決定します。皆さまのご参加をお待ちしております』


その下には『する』『しない』の選択肢がある。残り時間は四十六分二十一秒。投票数はすさまじい勢いで増えている。状況は『する』が八十四パーセントと圧倒的。


「アンケートか……」


藤川は画面から目を離すと、ソファーに腰を沈めた。秘書に目を向ける。


「峰岸ちゃんはなにを目的としたものだと思う?」


「そうですね」


秘書は形の良い指を唇に当てた。


「最も大きな理由は、注目を集めるためではないかと」


「いまでも十分に注目は集まっているとは思うけれども?」


「それでも当初ほどの注目はありません。現状は、未編集の映画を延々と見せられているようなものです。なにがいつ起こるかわからない。それならば、なにか事件が起きたら、誰かが録画して流すであろう過去の配信を見返せばいい。リアルタイムに固執する人など少数派です。しかしこれであれば、また見る人は増える。少なくともあと四十五分後にはアンケートが締め切られ、なにかが起こることが確定しているわけですから」


梶原が黙って眼鏡を直した。


藤川議員は大きく息を吐きながら、ディスプレイをにらんだ。


事件が終わってから振り返れば、なぜ気付かなかったのかと思うほどにヒントが出されているのかもしれないが、いま現在はなぜこれが行われているのか全くわからない。


わからないまま、画面に見入る。


アメリカンドッグの皮が柔らかくなり、ビールが完全に冷たさを失ったところで、アンケートは終わった。お礼の言葉が出て、結果が発表される。


峰岸秘書が、メイン表示を切り替えた。圭太郎の配信映像が大きく映される。


彼の元に移動アイテムが届けられ、た。感謝の言葉が発する様子が配信される。すぐに複数のSNSをチェックする。


そこにはアンケートに参加した人の、参加はしなかったが結果を見守っていた人の、そしてニュースで初めて投票が行われていた人たちの声で溢れていた。


圭太郎への祝福。励まし。考察。自分とは反対意見側に投票した人への苦言。罵倒。


その数は時間が過ぎても減ることはない。むしろ増えていく。あらゆる世代の、あらゆる言語で語られる言葉の洪水は数秒前の情報でさえも古いものとして押し流していく。


秘書は唇の前で手を合わせた。


一つの可能性を思いつく。それは意識しないまま、言葉になった。


「この、興味深く、かといって安全保障や重大な事故でもなく、深刻ではない少年の冒険をゆるく見守るという状況……」


議員と官僚の視線が、顔立ちの整った秘書に向けられる。それに気づかぬまま、唇は動き続ける。


「この現状こそが、『運営』の配信の目的なのではないでしょうか」

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