[三日目 23時40分・現実世界]

対策本部に形だけ赴き、形式上の引継ぎを終えた中央省官僚の梶原は、指定された建物の前に到着した。


「おまたせ、ロウちゃん。案内するよ」


既に到着していた幼馴染の藤川議員とその秘書に続き、古く小さな雑居ビルに入る。灯りはそれなりについているにもかかわらず、人の気配は感じられない。ガタついたエレベーターで四階へと向かう。


三人はエレベーター脇の一室に入った。中央省の梶原が口を開く。


「これが、大先生の『秘密基地』か」


「そのうちの一つさ。とりあえず必要な機材の搬入と設置、あと諸々は、ここにいる我が優秀なる秘書の峰岸ちゃんがすべて済ませてくれているよ」


「お前の秘書にしておくにはもったいないな」


軽口をたたき、梶原は秘書に向き直った。


「ありがとう」


「どういたしまして。それから、私は藤川先生の力になりたく、この道を選びました。幼馴染とは聞いてはおりますが――」


「はい、そこまでだよ、峰岸ちゃん」


藤川議員が明るい声で割って入った。


「普段、清廉かつ実直な官僚として振舞っている分、俺の前では口が悪くなるんだよ、ロウちゃんはね。だから、俺への悪口を聞いても大目に見てやってくれ」


「……かしこまりました」


藤川議員は小さく笑うと、二人に向かって口を開いた。


「大体のことは事前に送ったメッセージの通りだが、いちおう確認しておくよ。このビル全体が大先生の持ち物――まあ、名義上は法人になっているけれどもね。このフロアで全てがまかなえるように機材はそろえている。ロウちゃんの個室は廊下を出て左の奥ね。仕事をする最低限の環境はそろえたつもりだよ、人員以外はね」


美形の秘書が整った唇を開いた。


「藤川先生と梶原様と私の三人。正直なところ、少なすぎると思います。人員はもっと増やしてもよろしいのでは?」


「俺もそのつもりだったんだけれどもね。可能な限り少ない人数で、というのが大先生のご命令でね。俺たちの今回の仕事は、この件について常識外の観点から考えることだ。議論の枠がない状態で人を増やしても収拾がつかなくなる……ということかもしれないね」


とはいえ、と言葉をつなぐ。


「実際に動き出したら、人が足りなくなる可能性も十分にある。その場合はすぐに言ってくれ。俺がどこかから引っ張ってくるよ。さて、お仕事の確認だ。ロウちゃんと峰岸ちゃんは情報収集とその解析。俺はそのサポート。峰岸ちゃんは、俺としての秘書のお仕事よりもそっちを優先。基本はここに詰めてくれ」


「おまえの仕事は?」


幼馴染兼官僚の質問に、議員は唇の端を上げた。


「国会議員の強さは、肩書とコネだよ。対面の……足を使った仕事が、俺の担当――ん? どうかしたかい、峰岸ちゃん。俺がふらふら歩きまわるのは、やっぱり気にいらない?」


「気に入りませんが、それ以上に気になることが。先生が外出している際は、どのように連絡をとりあうのでしょうか?」


「これだよ」


議員は自分の携帯端末を手に取った。秘書の表情を見てわらう。


「セキュリティのことだよね、気にしているのは」


藤川は行儀悪く足を投げ出した。


「残念ながら、あちらさんの技術力は圧倒的だ。現代的な通信手段をとる場合、そこにどれほど安全性高める手段をとったとしても、高層ビルに砂粒を積み上げる程度の効果しかないだろう――というのが、本部の判断だよ。もちろん、非公式で非公開の見解だけれどもね」


官僚がためいきをついた。


「どの国も、どの組織も、いまごろは担当者が胃を痛めているだろうな。いまのところ、積極的な害意を見せていないのが唯一の救いだが……」


官僚の視線を受け、秘書が後の言葉を引き取る


「それがこの先も続くものなのかは不明である――ですね」


部屋に落ちかけた沈黙を払うように、藤川議員が明るい声で話を再開した。


「ま、俺たちが悩んでどうにかなるようなものではないから、その辺りは別の誰かに任せよう。さて、このフロアの説明をするよ。炊事室はそこ。トイレと風呂は共用だ」


「風呂まであるのか」


「けっこう広いぞ。久々に一緒に入るか?」


「遠慮する」


ネクタイを緩めると、梶原は手近な椅子に腰かけた。幼馴染の議員の顔を見て、わずかに唇の端をほころばせる


「それにしても、バカユキとこんな形で仕事をすることになるとは思わなかったな」


「同感だね。人生っていうのはわからないものだよね――いまさらだが、俺と組んでよかったの? ロウちゃんの仕事は、もっと大規模な組織を編成してその指揮にあたることだろ。それに普段の仕事だってあるだろうし」


「本部には俺よりも有能で経験豊富な人たちが詰めている。それに本部長は竹内官房副長官だ。現場というのを知っている人だから問題はないだろう」


普段の仕事については、と梶原は苦笑した。


「こっちのことをやりながら、時間を作って潰していくさ。それよりも本件の話をしよう。ゲーム内にイルヴァというキャラクターが登場したな。ゲーム内にのみ存在する――NPCというやつだが、これについてはどう思う?」


「『運営』が意味もなく登場させたとは思えない……と言いたところだけれども、あちらさんの意図がまったく読めないからね」


藤川議員は美形の秘書に目をやった。


「峰岸ちゃんはどう思う?」


「あのキャラクターの出現に意図や意味がない場合――つまり、ゲーム内のプレイヤーの位置に応じて自動的に出現するようなNPCである可能性もあるとは思います。しかし、その登場に『運営』の意図があるのかないのかの二択をするのであれば、私は『ある』を選びます」


同感だ、と官僚が応じた。

藤川議員もうなずく。


「うん。俺たちはその方向で考えよう」


「よろしいのですか? あくまで私の個人的な……」


「いいのいいの。そりゃ、無制限の時間と、無限の人手と、無尽蔵の資金を使えるのなら、あらゆる可能性を精査することも可能だけれども、そういうわけにはいかないからね。それに、同じように検討している人は他にもたっぷりいるさ。その中の誰かが真実にたどり着き、それが対応策と結びつけばいい。これはそういう挑戦だよ」


議員の言葉に、官僚がわらった。


「そういうことだ。俺たちはあのNPCが『運営』のなんらかの意図を反映していると考えよう」


官僚は緩めたネクタイを指でいじった。表情を改める。


「――例の情報流出をしていた同級生だが、本部の方で保護をした。本人はただ下を向きながら謝罪と後悔を繰り返しているらしい」


「自分のしたことの重さがわかっていなかったんだろうなぁ」


藤川議員はため息をついた。


「まあ、気持ちはわかるな。俺がいま高校生で、その子と同じ立場だったら、同じことをしたかも知れんからな。バカはどの時代にもいる。昔と違うのは、そのバカが全世界とつながってしまうということだよね――ともあれ、これで、宮内詩乃があのゲームの中にいるということが、明らかになったね」


「あくまで『運営』からのアナウンスによるものだがな。残る妹……宮内琴音も同様だと思っていいだろう」


「確定はしないが、ほぼ決まり、てとこかな。ところで、個人情報を流した子の情報を『運営』がどうやって抜いたのかはわかったのかな?」


「いいや。情報拡散に使われたSNSと『ワン・ワールド』の運営との関係は見つかっていない。情報を盗まれたという形跡も現在のところ発見できていない」


ふーむ、とあごをなでると、藤川議員はソファーに身体を沈めた。二人のためにお茶を淹れる秘書を見ながら、大きく伸びをする。


「映画とかに出てくる、スーパーハッカーとかの仕業であってほしいね。幽霊とか、化けと物か、神様とか、そんなのを相手にしている気分になってきたよ」


「それであれば、簡単に事情が説明できるな。全ては、超越者たる何者かの所業によるもの。便利な思考停止だ」


「まあ、俺たちはその思考停止の方向で考えないといけないんだけれどもね。おまけに相手は、意識をゲームの世界に閉じ込めたと主張している。それが本当なら、現在の科学がひっくり返るんじゃないのね」


「ひっくり返りません」


冷静な声と共に、秘書の峰岸がお茶を運んできた。


「ただ、飛躍的な進歩を強いられるだけです」


なるほどね、とお茶を受け取ると藤川議員はそっと口を付けた。


相変わらず、この秘書はお茶を入れるのが抜群にうまい。頭脳は明晰で、視野も広く、しかも顔立ちも上の上。やはり、自分の秘書ではなく別の道を歩んだ方がいいのではないかと思ってしまう。


「峰岸ちゃんは、この『運営』さんがどんな奴だと思う? できればオカルト的な答えが欲しいんだけれど」


「神様ではないと思います」


美形の秘書はまじめな顔で答えた。どうしてだい、という議員の言葉に眉一つ動かさずに言葉を続ける


「神様らしいところがありません」


「確かに」


藤川議員はわらった。


「んじゃ、なんだと思う?」


「そうですね。他の可能性としては……自己進化したAI、それから……宇宙人というのはいかがでしょう。我々よりもより進んだ科学力を持っている宇宙人。そうであれば、一時的とはいえ全世界の通信網を支配したこともうなずけます」


宇宙人か、という中央省官僚の梶原はつぶやいた。眼鏡を直す。


「ならば、我々は地球外知的生命体と初めてのコンタクトをしているということになるな。だとすると――向こうはなにを目的として、こんな形で接触しているのだろうな」


意外にもまじめな反応があったことに、峰岸秘書は困ったような顔をした。それを視界の端に収めながら、官僚は言葉を続ける。


「それにしても、俺たちはなにをすればいいのかがわからないな。例えば、峰岸君がいま言ったように、運営の正体が宇宙人だとしよう。それが真実であり、俺たちの考察がそこにたどり着いたところで――」


「その先、できることはないよね」


藤川議員はわらった。


「とはいえ、なにも準備がないよりはましだろう。大先生のことだ。俺たちみたいな小規模の独立部隊をあちこちに作っているはずさ。そのうちの一握りは真実にたどり着くかもしれないし、さらにそれを受けて誰かが有効な対応策を打ち出すかもしれない――凡人が成功するには、失敗を積み重ねることしかできない。それがあのばあさんの口癖だからな」


一つ息を吐くと、藤川議員が立ち上がった。空気を変えるように手を二回たたく。


「いずれにしても、こっちは暗闇の中を進むしかないんだ。まじめな考察も対策も本部に任せて、気楽にいこう」


まずは、飯を食いに行くぞ。肉でいいな、と明るい声で議員は二人に声を掛けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る