[三日目 21時47分・現実世界]

本部を抱えることになった中央省は未然の慌ただしさを迎えていた。人員の割り振り。各人の作業スペースの確保。機材の搬入。設置。一つの仕事は別の作業を生み、それが無限に連鎖していく。


その中央省の小さな会議室に、藤川議員はいた。


同室にいるのは、大先生の命を受け先行して調査をおこなっていた厚生省と通信省の官僚四名である。先行して動いていた四名は、そのまま本部入りとなった。


「わるいね、巻き込んでしまって。結果として、普段から忙しい君たちに、さらなる仕事を突っ込んでしまったことについての恨み言はすべて俺に――といいたいところだが」


藤川は場の緊張を解きほぐす笑みを浮かべた。


「残念ながら俺は人の恨みをかいながらも平然と寝られるようなタイプではなくてね。まあ、だれか適当な相手か、運の悪さか、自身の優秀さに呪いの言葉をぶつけてくれ」


「仕事の忙しさについての恨み言は、のちほどまとめて先生へとぶつけるつもりではありますが……」


官僚の一人が眉を寄せた。


「藤川先生は本部から外れるのですか?」


藤川議員は愛嬌のある笑みを浮かべた。そして芝居がかった重々しい仕草とともに口を開く。


「そ。きみたちに面倒ごとをおしつけて、俺は分室という場所で気楽にやるよ――おいおい、そんな恨めしそうな顔をするな。これが国会議員の特権ってやつだ」


えー。それはひどーい。そうだそうだ、なんとかしろー。と高校生のように軽くて明るい抗議が官僚たちからあがる。


そして笑いが小さな部屋をみたす。


「かしこまりました。ですが我々だけが大変な思いをするというのは全くもって承服しかねます。よって、藤川先生にはもっとえらくなっていただき、そして大変な場に担ぎ出されることを願っております」


「そのときは君たちが助けてくれるだろ」


「もうしわけありませんが、官僚にはそれぞれの仕事の範囲というものがありまして――そんな恨めしそうな顔をなさらないでください。これが公務員の特権というものですから」


藤川は憮然とした顔で肩をすくめた。

再び部屋にわらいが広がる


「さて、そろそろ時間だな。悪いね、貴重な時間をさいてもらっちゃって」


藤川は立ち上がった。

四人の官僚もまた起立する。


「これから先の仕事は予想がまったくつかない。悪夢のように過酷な状況になるかもしれないし、冗談のようにあっさりと解決するかもしれない。ともあれ、優秀な君たちは働かなければならない。働くというのは動くということだ。そして動くためには、君たちの心と体が健全な状態でなければならない」


藤川は机に置いた和菓子屋の袋から、小箱を取り出した。それぞれの前に置く。


「睡眠をとること。ちゃんと飯をとること。難しいと思うが、その二つを確保しながら、仕事に励んでほしい――というわけで、それは餞別」


「お菓子ですか」


官僚たちが受け取る。


「そう。頭にも身体にも糖分は必要だからね」


「ありがたくいただきます」


「本当は、その下にお金でも入れて『黄金のモナカごっこ』でもしたいところなんだけれども、まあそれは俺と君たちが引退してからすることにしよう」


「かなり先のことになりますね」


「だね。お互いその日まで立場相応の仕事をしつつ健康に過ごすことにしよう」


「はい。そのときを楽しみにしています」


まもなく本部の発足式が始まる旨のアナウンスが流れた。官僚たちと握手をかわして送り出すと、藤川は部屋の中にあるモニターにめをやった。


二十二時になった。


対策本部の正式な活動開始を知らせるアナウンスがなされる。端末に目をやった。中継は指揮室から中継が流れる。


まるで映画のセットのようだ。広い空間。正面に設けられた分割型の大型モニター。さらに室内には数多くのディスプレイと机が設置され、そこに配置された人員が起立して本部長を迎える。


本部長に任じられた竹内官房副長官の挨拶が始まった。


『これを聞く者は全て優秀な人員である。よって細かいことは必要ないだろう。我々の目的は二つ。三名の意識不明者の快復と、「運営」の正体を突き止めることである。この目的を果たすために諸君の才覚を発揮してもらいたい』


才覚を発揮するというのは――と話が続く。


『諸君の才能と職責にもとづき行動することである。行動の結果が、成功であるか失敗によって判断されるものではない。結果の重複も逸脱も問われるものではない。我々が直面しているのは未知の事態である』


会議室のスピーカーから流れる声を聞きながら、藤川議員は脚を組みなおした。


「……あいかわらずいい声だな。竹内先生は」


『いうなれば我々はいま何らの知識もなく海の中をただよう小舟のようなものである。そのような状況下で試される思考も行為も、多くは徒労におわるだろう』


だが、という言葉が続く。


『ある者が風があることに気付くように。ある者が帆を張ることを思いつくように。櫓をこぐという行為を発案するように。夜の星が位置に結びつくことを発見するように――無数の失敗と、無駄と思われるものを積み重ねた者のみが手にし得るものを必ず見つけ出すだろう』


声がおだやかなものになる。


『君たちがこれから積み重ねていく仕事は、必ず良き結末を生むだろう。だからこそ、最後にこの言葉を繰り返す――目的を果たすために諸君の才覚を発揮してもらいたい』


本部長の挨拶が終わった。

藤川議員は天井をあおいだ。


「……すげえな」


俺には絶対にできない演説だ、と心の中で付け加える。やはり政治家というのは、自分のような人間ではなく、ああいった真の意味での大人が担うべき仕事なのだろう。


よし、やっぱり今期で引退という俺の判断は間違っていなかったな。


ノックの音がした。

美貌の秘書が入室し、車の準備ができたことを告げる。地下にある駐車場へと一礼する。


中央省への搬入は続いている。人が忙しく動き回っている。声が無数に飛び交っている。


それらのすべてに対して一礼をすると、議員は車に乗り込み、建物をあとにした。

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