[二日目 21時17分・現実世界]

二日目の夜。


本件の関係者への根回しを兼ねたあいさつ回りと、いつもの仕事を終えた藤川議員は、議員会館内の自室のソファーに突っ伏した。


その脇で彼の私設秘書が、冷蔵庫から麦茶を出してコップに注ぐ。


「どうぞ」


「ありがとう。気が利くね、峰岸みねぎしちゃんは。助かるよ」


無言で一礼する秘書を見ながら、藤川は一気にコップを飲み干した。


「――で、なんでここにいるの。今日は休みでしょ」


「先生がお忙しくしていると聞きましたので」


「休みの日は、ちゃんと休みなさいよ。休むのも遊ぶのも若者の義務だよ。峰岸ちゃんなら遊び相手にも困らないでしょ。女の子にだってモテモテなわけだし」


興味がありません、という秘書の言葉に、あっそ、と返す。


モデルという華やかな人生の方があっていただろうに、なんでわざわざ俺のところで秘書なんてやっているんだろう、この青年は。


「大変なお仕事を受けられたようですね――閉会中なのは幸いですが……本来ならば地元入りしている予定でしたよね。向こうはどうするのですか?」


「高田のおっちゃんに丸投げしたよ」


第一秘書の名前を出す。


「ついでに、親父も引きずり出しておいた。引退してから暇していたんだろうね。渋っているのは口だけだったよ」


「地元はそれでよろしいですが、他にも仕事が山積しているでしょう。高田さんは地元に置かれるとしても、他の方々を呼び戻すべきでは?」


「人手が足りなくなったら、そうするよ」


「ならば、現状における直接の挨拶回りはもっともっとお控えになっては? 現場の環境作りのサポートという点は理解しておりますが……」


秘書の言葉に、議員は自身のジャケットの襟に目をやった。そこには彼の身分を示すバッヂがある。


「世襲で議員になった俺に政治の才能はないからね。できることは、仕事任せることのできる人を見つけ、そいつがやりやすい環境を可能な限り整えることだけ。なら、その仕事くらいはやりきらないといけないでしょ」


そうですか、という秘書の言葉に部屋の電話が鳴った。


秘書がとる。目線が向けられた。すぐに替わる。昨日会ったベテラン議員の秘書の声に、藤川議員は明るい口調で応じた。


数分後。


「正気か!? 今回の一件をリークした? 手ぬるい? あいつらが普段からどれだけの仕事を抱えているのかわかっているのか! そりゃあ、上が命令すれば動くよ、官僚だもの。だが、人間には限度ってものがあるだろ。あの件はどう考えたって簡単に片付くものじゃない。下手をすりゃ年単位で掛かるかもしれない案件だ――いや、そうだけどさ」


髪をかきむしる。


「わかった! 要するにそれだけの事態だって考えているわけだな、ばあさんは。伝えておいてくれ。これから面倒ごとは、全部そっちに押し付けてやるからな!」


息を吐く。

そして、それまでとは全く異なる落ち着いた声で話を進める。


「当座はさておき、いまのところはまず人数を確保しないといけません。事務方など諸方を含めて、最低でも人を十倍に増やしてください。複数省庁にまたがる事案のため、実務の総指揮は中央省の梶原に一任。現時点では不要ですが、いずれ官邸につなぐ必要がでる可能性がありますので、その手配を。修羅場に慣れている人をお願いします。それから、金。これについては、ばあさんが面倒をみてください」


『わかりました。先生に伝えます。他にはなにかありますか、藤川くん』


からかうような女性秘書の声に、藤川議員はソファーに深く腰掛け、足を行儀悪く組んだ。


「ばあさんに伝えてください。『くたばれ』と」


「三十点ですね」


「なんだよそれは」


「先生と私でね、あなたがどのような悪態をつくかの採点表をつくったの。その表では『くたばれ』は三十点グループに含まれているわ。もっと本を読んで言葉を磨きなさいね。政治家はどれだけ仕事ができようとも、それを誰かに伝えることができなければ二流にすらなれないのですから」


藤川は息を吐いた。本当に人間なのか、あの二人は。


電話が終わると、藤川は私用の端末を手に取った。幼馴染の官僚に電話を掛ける。


『どうした、バカユキ』


「悪いね、ロウちゃん。残念なお知らせが入ったよ。例の件、ばあさんがマスコミにリークした。明日の昼には記者会見だ。今晩中にまとめておきたい」


『二十三時過ぎなら空いている』


「それならちょうどいい。こっちもこれから官邸と、ロウちゃんのところの次官さんに会いに行ってくる。その足で、厚生と通信の方もまわるから――」


『昨日の面々については俺の方から連絡をしておく。おまえは上と会って話を通しておけ』


「さんきゅー。頭の良いやつが相手だと助かるよ」


それでさ、と口調を軽いものに変えると、議員は官僚に尋ねた。


「『くたばれ』という罵倒について点数をつけるとしたら、何点になる?」


『三十点』


おまえもか、と天井を仰ぐと、藤川は電話を切った。

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