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前から訊ねたかったのか、それともただの話の種か。


一心いっしんはランニング中には合わない話題をもみじに振った。


もみじは特に不機嫌そうにはしてなかったが、何も答えずに前を見ながら走っている。


一心は彼女が何か言うのを待った。


真面目で答えづらい問いだったので、言い方を考えているのだろうと思いながら、もみじが話し出すのを待っている。


それからしばらくの間、またランニングマシンの小さな機械音だけが聞こえていた状態が続くと、黙っていたもみじが口を開いた。


「誰から聞いたの?」


「いや、それは……わかるだろ?」


一心が申し訳なさそうに答えると、もみじは強張った表情のまま話を始めた。


その通りだ。


自分は復讐のために対魔組織ディヴィジョンズに入ったと。


「鬼頭さんたちには悪いけど、私は別に世界を救いたいとかそういう動機で戦っているわけじゃない」


「そっか……。そうなんだ……」


弱々しい声で返事をした一心。


その後、またしばらくトレーニングルームが静寂に包まれたが、今度はもみじのほうからは彼に声をかける。


「幻滅した? 自分を誘った奴が個人的な理由で戦っていたなんて」


「そんなことねぇよ。むしろ安心したっていうか……」


安心。


もみじは一心の返事を聞いて、思わず彼のほうを見てしまっていた。


それは、個人的な理由で戦っていたと聞いて、何故安心できるのかが、彼女には理解できなかったからだ。


見つめてきたもみじに、一心は言う。


「正直、俺もよくわかんないんだ。悪魔から世界を守るとかさ。絶縁者アイソレーターになったのも、お前と違ってなりゆきだし。元々俺は人間の敵だったし、トゥルーのためならそれで良いと思ってたし」


「……あんたはてっきり罪悪感から仲間になったと思ったけど? 違うの?」


「違うよ。俺はお前に発破をかけられて……。あと鬼頭おにがしらさんが俺のことを必要だって言ってくれたから、だからディヴィジョンズに入った……」


一心は呼吸を乱しながらも話を続ける。


「罪を背負いながらもこの地獄で幸せを掴んでみせろって、それが死んじゃったトゥルーのためにもなるって、あの人は言ってくれたんだ……。あと俺、鬼頭さんだけじゃなくて虎徹こてつさんもしずかさんも、ゆきはたまにムカつくけど……。ディヴィジョンズのみんなのことは気に入ってんだよ」


「そう……。私があんたを仲間に誘ったのは、あんたが絶縁者アイソレーターだったから。過越の祭パスオーヴァーと戦うのに必要だから。なので、せいぜい頑張ってね」


「ああ、それでいい。ここにいればメシも寝るところも困らねぇしな。ホロは殺したくねぇけど、ニッコロ·ロッシや悪魔連中から俺がみんなを守ってやるよ」


二人はそれからも走った。


会話もなく、ただランニングマシンで走り続けた。


一心はトレーニングと聞いていたので、てっきりスパーリングをやると思っていたが、結局他に何もすることはなかった。


そして数時間後――もみじはマシンを止めると、トレーニングルームにあるシャワールームへ向かっていく。


「はい、今日はこれで終わり。悪いけど、先に浴びるよ」


「ああ、別に後でいいけど。トレーニングって走るだけかよ?」


「やり過ぎもよくないでしょ。いつ敵が来るかわからないんだから、ほどほどでいいの」


彼女がそう言いながらシャワールームへと入って行くと、一心は広いトレーニングルームで呆けていた。


汗だらけの体はまだ熱がこもっている。


寒い日なら全身から湯気が出そうだと、更衣室にあったタオルで顔を拭く。


「戦う理由かぁ……」


独り言を呟きながら思う。


もしトゥルーが生きていたら、自分はきっとまだ過越の祭パスオーヴァーにいたのだろう。


彼女と一緒に人間をたくさん殺し、きっと鬼頭たち――対魔組織と戦っていただろう。


ディヴィジョンズのメンバーと過ごしてから、人間にも好意を持てるようになったが、結局は人だろうが悪魔だろうが、あまり関係ないのではないかと思えてくる。


自分には悪魔から世界を救いたいなんて気持ちはない。


もみじのように大事な人の仇を討ちたいという想いもない。


ただ居心地がいいから、ディヴィジョンズのみんなといるのが楽しいから、人間側にいるだけだ。


それでも白いキツネの悪魔ホロとは、またなんとかして友人関係に戻りたい。


もみじは沖縄でのことを鬼頭たちに黙っていてくれているが、もしこのことを彼らが知ったらなんて思うのか。


「こんなんでいいのかなぁ、俺……」


また独り言を呟いていると、シャワールームからもみじが出てきた。


彼女はバスタオルを羽織っただけで、下半身こそボクサーパンツを穿いているが裸同然の格好だった。


「シャワーは終わったから、あんたも入りな」


「ああ、わかった」


もみじがそう言ってきたので、一心は汗まみれのトレーニングウェアを脱ぐと、上半身裸になって彼女と入れ替わりでシャワールームに入ろうとすると――。


「お姉さま、げいじいがスイーツを用意してくれましたよ……って! なにしてんですか、あなたはッ!?」


ゆきが室内に入ってきた。


裸同然の一心ともみじを見たゆきは、その場で立ち尽くし、ワナワナとその身を震わせている。


「えッ? もみじがシャワー終わったって言うから、これから浴びようと思っただけだけど?」


「そんなことは聞いてません! 離れなさい! 今すぐお姉さまから離れるのです! じゃないとその目を潰しますよッ!」


ゆきは声を張り上げると、トレーニングルーム内にドカドカと入ってきた。


途中で見つけたペンを手に取って、今にも一心の両目を潰そうと彼へと向かっていく。


「ちょっと待てよ! お前なんか誤解してるぞ! 俺は別にお前が考えているようなことはなにもッ!」


「いいから消えなさい! 今すぐお姉さまの前から消えるのです! 言ってもわからないならぁぁぁッ!」


「わかったよ!」


一心は大慌てでシャワールームと逃げ込んだ。


外からはゆきがもみじに何やら説教しているのが聞こえてくる。


恥じらいがどうとか、男の前であられもない格好をするなとか。


もっと気をつけるようにという声だ。


「あいつ、マジで俺の目を潰そうとしてたな……。次からは気をつけよう……」


一心はゆきの怒鳴り声を聞きながら、シャワーブースへと入っていった。

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