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「もらったぁぁぁッ!」
だが、やはり体格差と
今の一撃は完璧だった。
中間距離から足技で餌を撒き、一気に距離を詰めてから左のフェイント。
試合中に考えたのだろう、一心なりに頭を使ったバックステップとパーリング対策だった。
これには誰もが驚愕し、何よりも相手をしていたゆきが一番驚いている。
彼女がなんとか防げたのは、一心が慣れていない技をやったことで重心がずれ、踏み込みが足りなかったからだ。
「あれ? 今を防ぐのかよ? クッソ強いなぁ、ゆきは」
一心はそう言いながら再びファイティングポーズを取り、ニカッと歯を見せて笑っていた。
その笑顔からわかるのは、彼がゆきとのスパーリングを楽しみ始めているということだった。
最初は渋々やっていたスパーリングが一変し、ゆきの実力が一心に格闘技の奥深さを教えた。
ゆきは笑っている一心を見て固まってしまっていた。
彼女は、どうしてこの男は笑っているのかと、理解できないようだった。
しかし、すぐに我に返り、再び歩を動かしたが――。
「はい、二人ともそこまで」
それでもゆきはまだファイティングポーズを解いていなかったが、一心のほうが彼女に背を向けてリングを降りていく。
先ほどは、あれだけ試合を続けさせろと言って喚いていたとは思えないほどすんなりと。
「もう終わりでいいんですか? わたしはまだやれますけど?」
ゆきがそんな一心に向かって言うと、彼は振り返って両手を挙げ、素直に負けを認めた。
今の自分ではゆきには敵わない。
もう少し鍛えてから改めてやると。
「教えてもらったことが通じなかったわけじゃないことはわかったからな。悔しいけど、単純に俺の実力不足なら負けでいい」
スッキリとした表情でそう言った一心。
だが、ゆきはそんな彼を見てなんだか居心地が悪そうにしている。
彼女がしばらく去っていく一心の背中を見ていると、もみじが声をかけてきた。
「どうだった、あいつ?」
試合の感想を聞いてきた姉。
その顔はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべていた。
ゆきは声をかけてきたもみじから顔をそらすと、ようやくリングから降りた。
もみじは何も答えない妹のオープンフィンガーグローブとヘッドギアを外してやりながら、ゆきの感想を待っていたが。
「まあ、もうちょっと経験をつめば使えるようになるんじゃないでしょうか。あんなんですけど
「そう。ちなみに私もあいつとやり合ったときに、あんたと同じことを思ったよ」
「……シャワー浴びてきます」
ゆきはムッと不機嫌そうにすると、トレーニングルーム内にあるシャワールームへと歩いていった。
一心とゆきの短スパーリングは短いものだったが、彼女の掻いた汗の量がその凄まじさを物語っていた。
ゆきが歩くたびに全身から滴る汗がマットに落ちている。
それ以上に汗を掻いていた一心は、
「かあ~、ゆきってあんなに強かったのか。もみじとやったときよりもやりづらかったよ」
鬼頭が一心のオープンフィンガーグローブやヘッドギアを外しながら、ぼやいている彼に答える。
「そういうお前も大したもんだったぞ。素直に負けを認めたことも含めてな」
「だって今のままじゃ勝てないし、俺が負ける分にはいいやって思って……まあ、それでも悔しいけど。それと、あそこまでやれたのは鬼頭さんのおかげだよ。誘うってヤツ? 最初は意味わかんなかったけどな」
笑い合う二人を見て、虎徹と静は顔を合わせながら同じことを思っていた。
上司と部下、師弟、トレーナーと選手、それらとは違い、まるで親子だなと。
いや、鬼頭はこの対魔組織ディヴィジョンズの父親みたいなものだから当然といえば当然。
一心は気に入らないと態度に出るが、実は素直である。
それでも、年齢や一緒に寝食をともしているのもあるのだろうが、鬼頭には特別心を開いているように見えた。
「親子かぁ。ちょっといいかもなぁ……。自分の子供に何か教えるのって……」
「だったら私たちも作る? 私は仕事に支障がなければ構わないけど」
「なッ!? いきなりなに言ってんだよッ!? 冗談でも言うようなことじゃねぇだろ、それッ!」
静のとんでもない発言に虎徹は顔を真っ赤にして声を荒げると、彼女は普段通りに無表情で言葉を続ける。
「私は本気だよ。この仕事っていつ死ぬかわかんないし、虎徹がほしいなら……って。ああ……一心がゆきちゃんが入ったシャワールームに入ろうとしている」
鬼頭から汗を流すように言われたのだろう。
一心は彼からタオルと着替えを渡されると、ゆきが入ったシャワールームのドアに手をかけていた。
「ちょっと待て一心! 今はゆきちゃんがッ!」
「もう遅い……」
気が付いていた静は諦めていたが、虎徹が声を張り上げた。
しかし、一心はシャワールームのドアを開けてしまう。
そして中には当然、先に入っていたゆきがいた。
まだ入る前だったのだろう。
下着姿の状態で、中に入ってきた一心と目が合う。
「えッ?」
「な、なッ!? この……変態ッ!」
「ちょっと待てよ! 俺は別にお前の裸なんてッ! ぶぎゃぁぁぁッ!」
シャワールームからは一心の叫び声を鈍い音が聞こえてきていた。
その声や音を聞きながら、もみじがムフフと嫌らしく笑っている。
「やっぱり男女がいると、こういうトラブルは付き物だよね」
「もみじ、お前……。気がついていて止めなかったな……」
鬼頭は、妹が同年代の男に覗かれて微笑んでいる姉を見て、ただ呆れるしかなかった。
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