16

男は少女の荒っぽい態度を代わりに謝罪すると、彼女の名前と自分の名を名乗った。


髪の短い少女の名は姫野ひめのもみじ。


そして男の名は鬼頭おにがしら桃次とうじ


鬼頭は対魔組織ディヴィジョンズ――日本支部の部隊長であり、もみじはその隊員だと言う。


「すでに知っていると思うが、もみじもお前と同じ絶縁者アイソレーターだ」


名乗り終えた鬼頭の言葉を聞き、一心いっしんは思い出していた。


髪の短い少女――姫野もみじに、一方的にやられてしまったことを。


俯いている一心に、鬼頭は再び声をかける。


「話を戻そう。さっきあいつが言っていたように、俺たちには一人でも多くの絶縁者アイソレーターが必要だ。気持ち的には複雑だろうが、力を貸してくれ」


一心は答えない。


鬼頭の言葉は率直で、もみじとはまた違った誠実さがあったが、彼には何も言えなかった。


それはトゥルーを失った損失感もあったが、先ほどもみじと話しているときに、今さらながら自分のしたことに罪悪感を覚えていたからだった。


複雑な感情に苛まれる一心。


そんな彼を、鬼頭は何も言うことなくただ見つめている。


狭く真っ白な部屋を静寂が包む。


「……この世は地獄だ」


しばらく黙っていた鬼頭は、いつまでも何も答えない一心に向かって静かに話を始めた。


「誰でも大なり小なり楽しいことはあると思うが、毎日幸せなんて人間は稀だろう」


「いきなりなんだよあんた? 説教でもするつもりか?」


鬼頭の話の意味がわからない一心は、思わず顔をしかめた。


大人がもっともらしい道徳を説いて諭そうとしているのかと、彼はうんざりする。


鬼頭は気にせずに話を続ける。


「生きていればずっと苦しむ。だが楽しいことがないなんてことはあり得ない。だからこそあの娘……トゥルーはお前に生きてほしいと言ったんじゃないか」


話にトゥルーの名が出ると、一心は止まっていた涙が再びこぼれていた。


そうだ。


たとえ騙されていたとはいえ、自分は彼女のことが今でも好きだ。


そして、死の瞬間にも最後まで自分のことを心配してくれたと、歯を食いしばって彼女の優しい笑顔を思い出す。


「お、俺……。人をいっぱい殺したんだ……」


「誰も死んでいないぞ。お前が襲った奴らは全員生きている」


鬼頭の返事を聞き、一心は言葉を失った。


彼が地下通路で倒した人間たちは、止めこそ刺さなかったもののかなり重傷だったはずだ。


内臓や頭蓋骨にヒビを入れ、医者に診せても助からないくらいだったというのに。


そのまま放っておけば確実に死ぬはずだったというのに、どうして生きているのだと、理解が追いつかない。


「もみじの魔法だ。あいつの絶縁者アイソレーターの能力で全員が助かったんだ」


一心は、鬼頭の説明を聞くと納得した。


そういえばトゥルーにも身体能力向上以外の力があった。


姫野もみじは癒しの魔法を使え、トゥルーには炎の魔法が使用できる。


それならあの重傷者たちの命を救えたというあり得ない話も、一心は理解できた。


「かなり窮屈な思いをさせるだろうが、お前の身の安全は保証する」


「……そんなこと、信用できると思うのかよ」


「信用しろとは言わない。脅しや強制もしない。だがこれだけは信じろ。俺たちにはお前が必要だ」


「お、俺はいっぱい人を傷つけて……」


「生きて償え。そして、罪を背負いながらもこの地獄で幸せを掴んでみせろ。それが自ら死を選び、最後までお前のことを想ったあの娘のためにもなる」


子供に言い聞かせるような静かな口調だが、鬼頭の迫力に、一心は完全に飲まれていた。


自分なんかが生きていていいのか。


苦しみながら幸せになれるのか。


トゥルーは自分に何を言いたかったのか。


いくら考えても、今の一心には答えは出なかった。


だが、この目の前にいる強面の男は、自分が必要だと言った。


さっきまでいた髪の短い少女――姫野もみじもそうだ。


生きて罪を償え。


罪を背負いながらも幸福になれ。


だが脅しも強制もしない。


お前の意思で決めろと言ってくる。


鬼頭は一心にとって、初めてまともに相手してくれた大人の男だった。


けして声を荒げず、暴力も振るわない。


目と目を合わせてこちらの意思を尊重して頼みごとをしてくる。


だが、それでも脳裏をよぎる。


また騙されるのではないか。


また裏切られるのではないか。


過越の祭パスオーヴァーがそうだったように、自分はこの鬼頭桃次という男に使い捨てられるのではないか。


一心はそう思うと、身体が震え出していた。


それは泣いているからではなく、また捨てられるかもしれないと考えると、怖くて仕方がなかったのだ。


しかしそれでも一心は、この男を信じてもいいように思えた。


少なくとも、一人でも多くの絶縁者アイソレーターが必要という話は嘘ではないだろう。


それにこの男は、たとえ相手が子供でも――。


敵でも――。


騙された馬鹿な奴でも――。


一人の人間として扱ってくれている。


もし鬼頭の言うことが嘘だったとしても、それでも構わない。


トゥルーのときと同じだ。


この男も、そしてあのもみじという少女も、自分をこの地獄のような世界から見つけ出してくれたのだと、一心は決意を固める。


「わかった、やるよ……。あんたのとこで戦ってやる。そのたいまなんとかってとこで……」


「対魔組織ディヴィジョンズだ。よく覚えておけ。楠木くすのき一心」


一心の返事を聞いた鬼頭は、その強面の顔を緩め、彼に笑みを返した。

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