09

――カフェでの騒ぎの後。


ホロの転移魔法でその場から離れた一心いっしんたちは、お台場――潮風公園に来ていた。


潮風公園は東京都品川区東八潮にある都立公園で、子供連れの家族が多く訪れる観光名所だ。


水と緑のプロムナードから噴水広場に水が流れるようになっており、階段状に少しずつ水位が下がっていくカスケードがある水の癒しを感じられるスポットでもある。


天気のよい暖かい日はここで水遊びができ、ヤシの木が並んでいるのを見ると、南国にでも来たかのような気分にしてくれる。


平日というのもあって人はまだらだが、子供を連れた若い夫婦の姿が見えていた。


「綺麗だね、オレンジ色の空」


そんな公園内で、トゥルーが俯いている一心に声をかけた。


彼女の言う通り、夕焼けが潮風公園を照らしており、世界がまるでオレンジ色に染まっているかのようだった。


空を見上げるトゥルーの横で、一心は先ほどのことを気にしているのか、黙ったままでいる。


だがゆっくりとだが、彼もトゥルーに言われて夕焼けの空を見上げる。


「俺の母親はさ……」


一心は訊ねられてもいないのに、自分の母のことを話し始めた。


彼の母は風俗嬢だったそうでほとんど家にいた記憶がなく、数年前からもう顔すら思い出せないと言う。


「仕事だけが理由で家にいなかったわけじゃないんだ。母さんは毎日男と遊び歩いていて、俺のことなんて気にしてないって感じだった……。それが、当たり前だと思っていた……」


手料理を作ってくれたこともなく、会話もろくにした覚えもない。


喉が渇けば水道水を飲み、食事は買い溜められていたカップラーメンをお湯を使わずに食べて過ごした。


トイレで用を足すやり方も、風呂で体の汚れを落とすことも、よく家に顔を出していた市職員に教えてもらった。


母は自分に何も教えてくれなかったが、後に自分を殴りつける叔父との生活に比べれば幸せだったと一心は話す。


「そんな人だったけど……。愛してはくれなかったけど……。俺は、母さんが好きだった……。そんな母さんが事故で死んで……あいつの家に住むようになって……。なんで俺だけこんな目にって……。ずっと生きるのは苦しいだけって……」


「一心……」


「ごめんよ、トゥルー。別に愚痴を言いたいわけじゃないんだ。ただ君に迷惑をかけちゃって……。そ、その……つまりは……」


一心は恥ずかしそうに顔を赤くすると、トゥルーを見つめて微笑む。


「自由をくれた君のためなら、俺……なんだってできる気がするんだ」


トゥルーは無言で一心に笑みを返すと、無邪気な顔でそう言った彼の身体を抱きしめた。


彼女の金属の腕に抱かれながら一心は思う。


不思議だ。


血の通っていない作り物の腕なのに、どうして彼女はこんなに温かいのだろうと。


「いつまで甘えてるんだい? もうすぐ夜になりそうだし、ホテルに戻ろうよ~。そろそろ店での騒ぎを落ち着いてきた頃だろうしね~」


「べ、別に甘えてるわけじゃッ!」


「甘えてるじゃないか。トゥルーは君のママじゃないんだよ~。もう見てらんないし、いいから早く戻ろう」


ホロがからかように声をかけると、一心が慌ててトゥルーから離れた。


必死になって甘えていないと訴える彼と、どうでもよさそうにしているホロを見て、トゥルーがクスクスと肩を揺らしている。


そのとき強い風が吹き、彼女が被っていたフードがめくれた。


隠していた顔が露わになり、トゥルーの顔と、その金色の髪を夕焼けが照らす。


「もうっ、困った風ね」


トゥルーはフードを深く被ろうとするが、風が吹き続けているため、上手く被ることができなかった。


一心はそんな彼女に見とれていた。


なんて綺麗なんだと言葉を失い、トゥルーから目が離せなかった。


「じっと見ちゃっていやらしいね~、一心は」


「な、なに言ってんだよホロ! さっきからふざけやがって!」


「君なんかに捕まらないよ~」


ホロはそんな一心をさらにからかった。


そのせいもあって、先ほどから一心の顔は真っ赤なままだ。


「待てよホロ! 逃げんな!」


「悔しかったら捕まえてみな~」


一心はホロに腹は立てているものの、そこまで怒っているわけではなかった。


こうやってじゃれあう相手が今までいなかったのもあってか、ケンカ友だちができたと思っている。


たとえホロが人ではない悪魔でも、一心はからかってくる白いキツネに、初めて覚える気持ち――友情というものを感じていた。


トゥルーも一心がそう思っているのがわかっているのだろう。


場所や状況によっては止めに入るが、基本的にはホロを追いかける一心のことを微笑ましく見ている。


「こんな時間がずっと続けばいいのにね……」


ついにホロを捕まえた一心は、トゥルーが悲しそうな顔をしているのに気が付いた。



腕の中にいる白いキツネをギュッと抱きしめ、その呻き声を無視し、彼女に声をかける。


「続くさ。俺はずっとトゥルーの傍にいたいんだから」


一心の言葉を聞いたトゥルーは、そっとフードを深く被ると、「そうだね」と返事をした。


そんな彼女にニカッと歯を見せた一心は、抱いているホロにも声をかける。


「ついでにお前もな、ホロ」


「そりゃどうも。というか一心、すっごく痛いんだけど。早く離してくんないかな~」


「俺をからかった罰だ。しばらく締め付けてやる」


「うぐ!? わ、悪かったから、もう勘弁してよ~」


そんな一心たちを照らしていた夕陽は次第に沈み、時間は夜へと変わっていった。

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