第32話 嘘みたいな現実

壮太は病院着から私服に着替えると、廊下に出て少し歩くことにした。どの部屋にも「関係者以外立ち入り禁止」と書かれていて出入りできそうにないが、壮太は「visitor」と明記された名札を首からぶら下げていたので、警備員に呼び止められることはなかった。



少し歩くと、半円形のソファーが置かれ、ジュースの自動販売機が3台設置されている休憩所のような場所を見つけた。壮太は缶コーヒーを買ってソファーに腰を下ろした。

壮太には正直なところ、花子を守ったという自覚がなかった。あの化け物を相手にレベル2のランスが大楯を構えたところで防ぎきれるはずがない。それは数多くのゲームをしてきたからわかることで、今体験しているVRMMOが特別だとは思わなかった。まあ、も決してβテストを行えるほど開発は進んでいないようだが。



「はあ、はあ、探しましたよ、五十嵐さん!」

突然、花子に呼ばれ、壮太は「ブハッ」と返事より早くコーヒーを噴いてていた。

「ああ、ビックリした。ごめんね、ソファーを汚しちゃった」

「ハンカチで拭けば大丈夫ですよ」そう言うと花子は可愛らしいピンクのハンカチで壮太が噴き出したコーヒーを拭き取ろうとした。

「ちょ、ちょっと待って。勿体ないよ、そんなに綺麗なハンカチで拭くなんて。確かポケットに」ゴソゴソとジーンズのポケットを漁ると、手に感触が伝わった。

「ポケットティシュだけど、これで俺が拭くから、花ちゃんは何もしないでいいから」

「いいえ、やっぱり私も手伝います」花子は躊躇せず、手に持ったハンカチでソファーにかかってしまった壮太の噴射物を拭き始めた。

「あーー、いいって言ったのに」

「気にしないでください。私がやりたくてやっているんですから。それに五十嵐さんは身を挺して私を守ろうとしてくれたんですよね?」花子は丁寧にハンカチで拭きとりながら、壮太をみて微笑んだ。



「そのことなんだけど・・・正直言ってあまり覚えていないんだ。大楯で花ちゃんへの攻撃を防ごうとしたんだけど・・・その後がね」

「あの、その、とても言い難いんですけど、オークの斧で瞬殺されたみたいです」そう言うと花子は拭き取るの止めて、申し訳なそうに壮太を見た。

「じゃあ、花ちゃんは?」

「私は物理バリアをかけていたので」

「やっぱり無駄死にか・・・」体中から力が抜ける。エクトプラズムのように、口から魂が抜け出てしまいそうだった。

「高森さんも同じようなことを言っていました。でも、絶対に無駄死にではないですよ。私は嬉しかったですから」花子は壮太の様子を見てクスクスと笑った。



「花ちゃん、ハンカチを洗って返すから渡してくれる?」

「大丈夫です。五十嵐さんは気を遣いすぎなんです」満面の笑みをみせた花子に、壮太は初恋のようなトキメキを覚えた。

「五十嵐さん、これから少しだけお出かけしませんか?」

「全然構わないし、嬉しいお誘いだけど、早坂たちは?」

「もう少しだけ続けるみたいです。それにお出かけって言っても、すぐ近くのショッピングモールに行くだけなんですけど。どうですか、行ってみませんか?」

壮太に断る理由など何一つない。「はい、喜んで!」と二つ返事で答えた。


              

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一方、壮太が不遇の死を遂げ、花子が続けてログアウトし、残ったリアンを残した計4人のパーティは、万が一に備えて始まりの町に戻ろうとしていた。

「まさか、あんなに慌ててログアウトしちゃうとは。えい!」

「それだけ嬉しかったんだろ。はあああ」」

「一ノ瀬くんと高森さん、喋るか戦うか、どっちかにしてよ」

「まあまあ、落ち着け早坂。ほらそこ!」

街の近くまできたときに、芋虫のような気味の悪いモンスターの集団から急襲を受けて、戦闘を繰り広げていた。だが、数が多いだけで所詮はレベル2だ。サクサクと倒していくと高森はレベル6に、一ノ瀬はレベル5まで上がっていた。



「あれ、そういえば、あの『ござるさん』は?」

「あそこ」一ノ瀬は高森にわかるように剣を伸ばした。リアンはゴブリンの集団を相手に素手で殴りまくっていた。レベル差があり過ぎるせいか、触れる前にモンスターが消失しているように見えた。

「私はもうあのモンスターと関わりたくない。えーーーい」火の玉が正確に芋虫モンスターの中心を目掛けて飛んでいく。勢いの強さで中央で土煙があがり、空からモンスターが降ってくるのを確認して、落下する前に一ノ瀬が切り落とした。



「そのほうが賢いと思う。高森は豹変すると怖いからな。おりゃ!」

「それ、どういう意味なの!それにしても、これじゃキリがないね」

「そうだな、五十嵐から使い方が違うとか文句を言われそうだけど。そりゃ!」一ノ瀬は単騎で突っ込むと、剣を高々と持ち上げて円を描くようにクルクルと回した。



「一ノ瀬くんはもともと身体能力が高いから、慣れてくると強いなあ。高森さんは気づいていないだけで、何かを秘めていそうなんだけど・・・ただ、中核の五十嵐くんがいないと、やっぱり厳しいな・・・」早坂はモンスターの集団から距離をとり、分析しながら独りごちた。



「しかし、花子が心配だ。花子も暴走していなければいいけど」

残念ながら、早坂の杞憂は杞憂で終わらなかった。



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「ほら、すぐそこです。気づきませんでしたか?」

「いやあ、全く、うん、全然、へええー」

壮太は花子と並んで歩いているだけで心臓が高鳴り、極度の緊張で吐き気を催し、なぜか肺まで痛かった。

「なんだか顔色がすぐれないようですけど、大丈夫ですか?」

「平気平気。いやあ、花ちゃんみたいに可愛い子と並んで歩くと、もうそれだけで緊張しちゃって」

白いTシャツに薄茶色のカラーパンツを穿いた花子は「なんです?それ?」と笑ったが、壮太には笑い事ではなかった。



「だって、花ちゃんって、とんでもなく可愛いから」

「それはそれは、どうもありがとうございます」花子には聞き慣れた言葉だろうが、壮太は言い慣れていないし、何よりさっきから行き交う通行人がこちらを見ている。

「俺はさっきから視線を感じているんだけど・・・花ちゃんへは羨望の眼差しなんだろうけど、俺への視線は痛い。こんなの悪意そのものだよ。なんか殺意も感じるだけど、これは気のせいじゃないと思う」壮太は若干怯えていた。分不相応も度を過ぎると、怒りを買い兼ねないと痛感した。



「五十嵐さんって面白いですよね、一緒にいて飽きないです」

「よし、じゃあ結婚しよう」と危ない思想が働き、壮太は慌てて右手で脇腹を殴りつけた。

「それは何かのおまじないですか?」

「うん、まあ、そんなもの」花子は早坂家の人間だけあって、少しズレているのだろう。並んで歩く男が突然、脇腹を殴打したら恐怖を感じるはずだ。高森なら勿論そうするに決まっている。だが、花子は「おまじない」と聞いてきた。

それだけに、普通と思っている行動で花子は嫌悪感を覚えてしまうかもしれない。

ただ、壮太が普通の人間なので、何が普通とそうではないのか、基準がわからないのが歯痒かった。



「着きました。本当に近いでしょ?」花子は幾分かはしゃいでいるようだ。こういうところは年相応だし、やっぱり女の子だ、と今まで彼女がいない壮太が偉そうに納得した。

「うん、全然気がつかなかった。それで花ちゃんは何か買いたいものでもあるの?」

「それは秘密です」人差し指を立てて、ウインクをするように片目を閉じている花子を見て、壮太は感激というより、死期が近づいていいるのではないかと疑った。



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「五十嵐、頑張れよ!」一ノ瀬は次から次へと湧いて出てくる芋虫、よく見ると頭上に「worm」と表示されてモンスターを片っ端から切り倒していた。一ノ瀬が強いのを察したのか、いつの間にか手にナイフを持ったコボルトまでもが戦闘に参加してきた。だが、一ノ瀬は持ち前の運動神経と戦士という職業に慣れてきたので、襲い掛かってきたコボルトを造作もなく倒していた。

パンパカパーンとセンスの欠片もないレベルのアップの音が連続で鳴り、一ノ瀬はレベル8にまで上がっていた。



高森はマジックポイント回復のために隠れてもらっている。戦場では、戦士の一ノ瀬とモンクのリアンが大暴れいている。



そして、もう独り。戦闘に参加せず、難しい顔をした早坂は「現実世界の五十嵐くんは、今頃どうしていることやら」と想像を巡らせていた。

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