第22話 修羅場

壮太と高森が食堂で涼み始めるのと同時刻、一ノ瀬は窮地に立たされていた。

彼女である美郷と図書館で勉強をしていたのだが、そこに突然、井上が姿を現した。

「一ノ瀬くん、少し良いかな?」

「え?ああ、井上か。どうしたの?」

「あのね」そう言うと、井上は辺りに人がいないか確認した。一ノ瀬と井上は本棚に挟まれた場所にいて、20台近くはあるだろう、図書室の机から死角になっていた。

「渡、どこにいるの?」美郷の声が耳に飛び込んでくる。どうやら本を探しに行ったきり戻ってこないので、一ノ瀬を探しにきたのだろう。



「あれ?2人で何しているの?こんなところで?」一ノ瀬と井上の姿を見つけた美郷の顔は怒りで醜く歪んだ。

「美郷には関係ないでしょ?」

「大アリなんだけど。だって渡は私の彼氏だし」美郷は一ノ瀬と腕を組み、井上を睨みつけた。

「あのね、一ノ瀬くん、私ね・・・」

「ちょっと待ちなさいよ!」美郷は井上が何を言うのか察し、凄い剣幕で捲し立てた。

「あのさ、ここじゃうるさくで迷惑になっちゃうから外に出よう」

一ノ瀬に促され、しぶしぶ2人は図書室から廊下へ出たが、2人とも顔を会わせようとしなかった。



「それで、何の用なの?私たちはテスト勉強しているんだけど」

「あんたに用はないの。私は一ノ瀬くんに話があるの?」

一触即発な2人を見て、一ノ瀬は動揺し、そして高校生のときも同じようなことがあったと思い出していた。

「あのね、私は一ノ瀬くんのことが好きなの」告白にしては乱暴すぎるが、井上は一ノ瀬に自分の気持ちを伝えることができた。

「はあ?何言っているの?渡は私と付き合っているの!」美郷はそんな告白を一蹴したが、「気持ちを伝えるのに時期なんて関係ないでしょ?あんただって、裕子に色々と探らせたんじゃないの?一ノ瀬くんの趣味とか好みとか!」

言葉の殴り合いが続き、一ノ瀬は宥める方法が見つからず、あたふたと慌てることしかできなかった。



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「ハ、ハクション。食堂ってクーラーが効きすぎているのかな?」高森は両手を口で押え、盛大にくしゃみをした。

「いや、そんなことはないよ。もう少し涼しくして欲しいくらいだよ」

壮太は教科書を団扇に見立てて扇いでいた。

「誰か高森さんの噂話をしているのかもよ?」

「五十嵐くんって迷信みたいなものを信じているんだね。あ、でも、それってあながち間違っていないかも・・・」高森は険しい表情で考え込み始めた。

「何か気になることでもあるの?」

「私が1人でいることを考えれば、五十嵐くんなら察しがつくんじゃないの?」

「まあ、うん。でも、そこまで悪化しているとは思わなかったから」

「もうめちゃくちゃ悪化しているよ」高森は気まずそうに、でも無理に笑ってみせた。


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図書室の廊下では、闘犬でもしているように一ノ瀬を取り合う2人が、まだ言い争っていた。

「裕子とかは関係ないでしょ!渡は私と付き合ってくれるって言ってくれたの!」

「そんなのズルいよ!」

「ズルくないね。あんたのは後出しジャンケンだから!」

「ねえ、もし2人から同時に告白されていたら、一ノ瀬くんはどっちを選んだの?」

「それは・・・」

二人は視線を外そうとせず、一ノ瀬は高校生のあのときは、どうやってこの状況を乗り越えたのかを思い返していた。

「渡を困らせないで!」

「だから、あんたには関係ないでしょ!」

いつ殴り合いが起きてもおかしくない。ここでストリートファイトをされたら、俺はどうすれば良いんだ?一ノ瀬は二人の間に割って入ろうとしたが、あまりの剣幕に気圧されて、完全にタイミングを失っていた。



プルル、プルル、一ノ瀬のスマホが着信を知らせている。応答ボタンだけは押したがタイミングがわからず、電話に出るのが遅れてしまった。着信名を確認する暇もない。

「2人とも、ちょっとごめんね。はい、もしもし」

「一ノ瀬、少しだけ声が聞こえたけど、随分とヤバそうな状況だな?」発信者が壮太の声とわかり、一ノ瀬は「あ、いが」と言い掛けたので壮太は「待て待て」と慌てて制止した。

「おい、お前、五十嵐って言いそうになっただろ?それはやめろ。よく聞け。もしお前がとんでもない修羅場で、どうにか脱したいなら通話相手が俺ってバレないように話を合わせろ。いいか、全部、敬語で答えろよ」と壮太は簡潔に指示を出した。

「わかった、じゃない、わかりました」

「あとは、適当に相槌を打って学生課に呼ばれたことにしろ。俺と高森さんはいつもの食堂にいるから、無理だと思ったら、こっちへ逃げてこい」

「ええ、そうなんですね?はい、わかりました。すぐに向かいます」そういうと一ノ瀬は電話を切った。



「ごめん、学生課に提出した書類に不備があったみたいでさ、俺はこれから学生課に行かないと。職員さんがかなり怒っていて」

「渡、学生課に行くの?」美郷の声のトーンが急に変わった。

「ああ、どうも入学のときに書いた書類に書き漏らしがあったみたいで、訂正しないといけないみたいなんだ」

「一ノ瀬くん、どのくらいかかりそうなの?」井上も声のトーンが変わっている。

「あんたには関係ないでしょ?」心配したのが気にくわなかったのか、美郷は井上の疑問をハンマーを振り下ろすように打ち砕いた。

「た、多分だけど、30分くらいはかかると思う」

「いいよ、渡、行ってきなよ。私は後出しジャンケンの、この女と決着をつけるから」

「望むところだよ。卑怯な手を使って付き合ったくせに!」

一ノ瀬は嘘を吐いたことに嫌悪感を覚え、この2人を残していくことに危機感と堪らなく不安を覚えた。

それでも、ここにいたところで自分は何もできない。「ごめん」とだけ言い残し、学生課に向かうはずの一ノ瀬は、壮太たちのいる学食へ向かって走り出した。



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「どうだった?」

「うーん、確実に修羅場だね。あれじゃ殺人事件になり兼ねない」そう言うと、壮太は高森から貰ったスポーツドリンクを飲み干した。

「参ったなあ」高森は食堂のテーブルに突っ伏した。

「俺が言うことじゃないけど、もうあの2人はダメじゃないかなあ」

「うーん、やっぱりそうなのかなあ。ダメなのかなあ」高森は顔を上げようとせず、ぶつぶつと呟いた。



「異性が絡むとやっぱり怖いね。嫉妬が剥き出しになって、本性がぶつかりあうから」

「男の俺にはよくわからないけど、そうなんだろうね」

壮太にとって、所詮は他人事だ。ただ、高森から様子を探って欲しいと頼まれたから一ノ瀬に電話をしたまでで、他意はなかった。



「あ、いたいた。五十嵐、電話をありがとうな。それと高森、美郷と井上が大喧嘩を始めちゃって」やはり一ノ瀬はスポーツマンだ。今さっき電話を切ったと思ったら、もうこちらに辿り着いている。

「知ってる」高森は気のない返事をした。

「俺はどうしたらいいんだ?高校生の頃に同じようなことがあったはずなんだけど、全然思い出せない」一ノ瀬はイケメンには相応しくなく慌てふためいている。壮太はそんな一ノ瀬の姿が滑稽で愉快だった。



「いっそのこと、高森さんと付き合うことにすれば?」

「は?何を言っているの?」高森が鬼の形相で壮太を睨んだので「すいません。嘘です」と壮太は泣きそうになりながら謝った。



「解決策としては、両方と付き合わないことかな?」

「それで解決するのか?」一ノ瀬は高森の答えに懐疑的だったし、壮太も高森が何を言いたいのかよくわからなかった。

「今頃、2人で大喧嘩でもしているだろうから、そのままの流れで美郷と別れて、今は誰とも付き合わないことにしちゃえばいいんだよ」高森は投げやりともとれる解決策を導きだした。



「それじゃ、美郷と井上さん、2人に失礼じゃないか?」

「でも、喧嘩に巻き込まれるよりはマシでしょ?それに・・・」

「それに・・・なに?」一ノ瀬の唾を飲む音が壮太にまで聞こえていた。

「それに、あの2人とは入学して間もないときからの付き合いだけど、物凄い面食いなの、2人揃って。大丈夫、一ノ瀬くんは確かに恰好良いけど、すぐに次を見つけて大騒ぎし始めるから」

「高森さんの、そう言うところには感心させられるよ」

「五十嵐くん、なんか棘のある言い方に聞こえるんだけど?」

「いや、そういうわけじゃないんだけどさ」

「五十嵐、高森、これは俺の問題だから、俺がなんとかするよ。高森の意見は勿論参考にさせてもらうけど、決めるのは俺だから」

「そうだね。そうしたほうがいいよ」

「そういう問題には俺は全く役に立たないから、俺に頼るなよ」

「ありがとう、2人とも」大した助言をしていないのに、一ノ瀬は自信に満ち溢れた表情を浮かべていた。

一ノ瀬もポンコツだな。ポンコツ2号だ。1号は言うまでなく早坂だが。

2人してポンコツとか、やっぱりポンコツクランだ。壮太は呆れたが、2号のポジションはすでに壮太になっていることに、当の本人は全く気付いていなかった。

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