31話 風の精霊(1)

 図書室の窓際、一番奥の席で彼女は一人本を読んでいた。

 肌は白く、深い緑色のウェーブがかった髪を風になびかせる線の細い体つきの少女。夏の終わりにとても合った白色のカーディガンを制服の上に羽織り、背筋を伸ばして読書に勤しむ姿はまさに深窓の令嬢といった雰囲気だった。

 彼女はランキング序列六位・三年の花崎みりり。六香海美に勝利し、ランキング序列七位となったねねねの次の目標だった。

 海美との魔法模擬戦でねねねたちは作戦会議をのぞき見られ、非常に苦戦を強いられた。その反省を活かして、作戦会議を行う場所を一箇所ではなく、ランダムに変更するようにしたのだが……。


(たまたま選んだ図書室で、まさか花崎先輩とバッティングするなんて……)


 みりりは日あたりの良さそうな席で一人静かに本を読んでいた。物語が好きなのか、外国の小説の翻訳版を読んでいるその様は春の日差しのように穏やかだった。


「ど、どうしよう? ここでの作戦会議は止めにする?」


 図書館前の廊下で中にみりりがいることを発見してしまったアルトは、焦ってねねねたちに相談する。


「うーん。せっかくここまで来たし、今日は花崎先輩の様子をうかがいながら作戦会議するっていうのはどうかな?」

「デス。何か思いついた内容があれば筆談にしましょう。……バトルの映像を見た感じ強敵デス。弱点の一つでもわからないと勝ち目がないのデス」

「そ、そうだね。じゃあ、今日はそうしよう」


 そう決めるとねねねたちは図書室の中に入る。みりりから出来る限り離れた場所の、彼女が良く見える対角のテーブルに座った。

 ねねねは鞄の中から魔法薬学のノートを取り出し「これに書いて?」と筆談を行えるようと真ん中に置いた。


(キコちゃん先生には悪いんだけど、授業の内容が分からなすぎてノート取るのもやめちゃったんだよね……)


 とほほ、と肩を落としながら、真っ白なノートに書き込んでいく。


『花崎先輩の弱点とか見つかりそう?』


 ねねねはノートにそう書いて二人に見せる。

 アルトは人差し指をあごの下に当てて考えていたが、やがてノートにシャープペンを走らせるとテーブルの真ん中に戻した。


『花崎先輩の戦闘スタイルはまさにオールレンジだよ。遠距離にいれば全方向からのかまいたちで切り裂かれ、近距離で戦おうとすれば強力な竜巻を発生させて吹き飛ばされちゃう。最強の風魔法使いだよ。あえて弱点を探すなら一撃必殺の魔法がないことくらいかな?』


 可愛らしい丸文字でそんなふうに書いてあった。それを見て真菰はノートを自分の方に引き寄せ、かぶりつくようにして書き込んでいく。


『かまいたち対策に全方向への防御障壁を展開させるコスチュームを作ることは可能デス。しかし、魔力の消費が激しいので、ねねねさんが使う場合長くはもたないのデス』


 真菰の文字は呪文のような走り書きだったが、なんとな読むことは出来た。


『私の魔力の量で全方位の障壁は何秒くらい張ってられると思う?』

『あのかまいたちを防ぐ防御障壁に全魔力をあてても一分がいいところデスね』

『そっか。それだと緊急回避にしか使えないね。でも、あるとないとじゃ段違いだから今度のコスチューム作りにそれも含めてもらえる?』

『承知したのデス』


 真菰がまたノートを書いて中央に戻す。


(っていうか、これなら生徒手帳でマジルをしても良いよね?)


 ねねねはそう考えて生徒手帳を取り出し、二人にメッセージを送る。

 二人の生徒手帳がポロン、と音を上げメッセージを受信したことを知らせた。

 その音を聞いて図書室の正面に座る図書委員からじろり、と睨まれた。他の利用者、みりりもねねねたちを見ていた。


(あ、ヤバ。花崎先輩を怒らせちゃった?)


 ねねねはそんな焦りからみりりの様子をうかがったが、みりりに気にした様子はなく、音がしたから見たという程度の反応で、すぐに興味がなさそうに手元の本に目線を戻した。


『急に送ってごめん。生徒手帳の音、マナーにしておこう』


 ねねねはノートにそう書いて二人に見せる。二人も理解していたようで、ぶんぶんと首を縦に振って同意した。

 そこから筆談を止めて、生徒手帳からマジルでのやり取りを始めた。


『花崎先輩の「目に見える範囲ならどこにでもかまいたちを打てる」っていう魔法に射程範囲はないのかな? 六香先輩の時みたいにホウキで逃げて隙を見て攻撃っていうのは使えない?』

『花崎先輩の魔法だと目が届く範囲はどこでもかまいたちを作り出せるみたい。人が見える最大の距離は4キロぐらいだから、射程は4キロ近くあるってことだね。それにね、距離を取って有利にあるのは花崎先輩だよ。距離が離れたすきに大魔法の「大竜巻」を使われたら逃げようがなくなっちゃう』

『うへぇ……。強敵だね。障壁魔法で竜巻は防げないかな?』

『おそらくかまいたち程度は防げるデスが、竜巻を障壁で防ぐのは厳しいと思うのデス』


 考えれば考えるほど強敵であることがわかる。ねねねたちは三人揃って下を向いて考え込んでしまう。

 考え込んでいると、廊下の外から騒ぎ声が聞こえてきた。


「待ってくださいよー、木更津せんぱーいっ!」

「うるせっ! 今日は一人で修行っつってんだろ、付いてくんな!」


 大騒ぎしながら廊下を歩いていくのは、転校初日にバトルした木更津のどかと篠崎ミモザだった。

 図書室にいた生徒のほとんどがそれに目を向け、みりりも顔をしかめてのどかたちに視線を送っていた。


(あれ? さっきの私たちを見る目より心なしか表情がキツいような……)

『どうかした?』


 アルトはねねねの何か気付いたような顔を見て、そうメッセージを送る。


『花崎先輩、うるさいのが苦手なのかな?』

『そうだとすれば拡声器などを魔道具でアレンジして作ることは可能デス』

『うーん。まだ確証がないからとりあえず保留にしてくれる? もう少し観察しててみよう? それよりも竜巻だね。何か避ける方法はないかな?』


 のどかは体にいつも体に香水をつけていて、彼女が通った後はほのかに香りがしていた。


(今日はなんだか匂いキツいけど……。あ、間違って香水をつけすぎて、だから一人でいるって言っているのかも)


 ねねねは「相変わらず見た目に反して可愛いなぁ」と思って、つい頬が緩んでしまう。

 生徒手帳のマジルにメッセージが届く。


『い、岩場に隠れるとか、穴に隠れるとかできれば効果は薄くなると思うけど……』

『属性の有利を活かした戦法だよね? 地面に穴を掘って隠れられれば、有利かも。真菰ちゃん、十秒くらいで私が入れるような穴を掘れるステッキ作れない?』

『そこまで早くはできないかもデスが、穴を掘るのに有効なステッキは作れそうデス。使うとすれば障壁で防いている間に穴を掘って逃げる運用デスね』

 ねねねがそれを見て「そんなのまで作れちゃうんだ。真菰ちゃん凄すぎ」と感心していると、


『僕だけじゃなく、部のみんなで作るデスよ?』


 真菰からそんなメッセージで送ってきた。どうやら考えていることが顔に出ていたらしい。


『そ、それが出来るなら、かまいたちを障壁で防いで攻撃、竜巻が来たら穴に回避、っていう攻撃パターンは作れそう……。後は遠距離から攻撃できる手段があれば良いんだけど……』

『そうだね。ハンマーステッキ攻撃するには近づかないといけないしね』


 議論が再び停滞していると、廊下を逃げるように駆けていく鯨波宇留美とそれを追いかける同級生の一団が通りかかった。


「げふっ、も、もう食べられないよー」

「えー、まだいけるって! このクッキーも美味しいから食べて!」

「これで学園際の写真展いこうと思ってるから、ね! もう一枚撮らせて」


 一同は大騒ぎをしながら廊下を歩いていった。


(そういえばもうすぐ学園祭だね。鯨波先輩が美味しそうに食べる写真を飾るのかな? 鯨波先輩、美味しそうに食べそうだもんね)

「……ちっ」


 図書室の中から舌打ちが聞こえて、見ると大人しい雰囲気だったみりりが険しい顔で廊下をにらんでいた。


(今、花崎先輩、舌打ちした? 顔も凄く険しい顔になってる……)

『ね、ね、花崎先輩って……』

『うん。やっぱり繊細な性格なのかな?』

『音に敏感みたいですね。さすがねねねサンです』

(あれ? 私が思ってることとちょっと違うんだけどな?)


 そう思って、ねねねはマジルに書き込みを追加する。


『音じゃなくて、臭いに敏感なんじゃないかな?』

『え?』

『臭い、デスか……?』


 ねねねとしては会心のひらめきだと思ったのだが、二人の反応は違ったものだった。


『さっき、木更津先輩が通った時香水の匂いがしたし、今は鯨波先輩がゲップしてたし、間違いないと思うんだけど……』

『うーん。言われてみればそうなんだけど』

『風の魔法を使えるなら、臭いなんて風で吹き飛ばせば良いのでは?』


 二人は頭をかいたり、腕を組んだりしてそんなメッセージを書き込んだ。否定的ではないものの、前向きでもないようだった。


『仮にそうだったとしても臭いを操る魔道具はちょっと聞いたことがないデス。僕たち魔道具研が作っている道具は現在既にあるものの劣化版でしかないので、臭いを出す道具はちょっと作るのは難しいと思うのデス』

『に、臭いが嫌いだったとしてもバトル中に変な臭いがして、怯むかなぁ? それはバトルの弱点にはならない気もするけど……』


 二人のメッセージを見てねねねは「そっかぁ」と肩を落とす。


『……ちなみにさ、現実の道具をバトルに持って入れるのかな? 例えば香水とか』

『できると思うけど、まさか持っていくの?』

『うーん。一応可能性だけは捨てないでおこうかなと思って』


 ねねねは「あはは」とあいまいな笑顔を浮かべた。

 その日の作戦会議はそれ以上意見が出ず、そのままお開きになった。



 翌日、一時間目の授業中にねねねはシャーペンの芯を切らしてしまい、アルトに購買部に案内してもらうことになった。


「そういえば私、この学校の購買部行くの初めてだ」

「早く早く、休み時間十分しかないから」


 購買部は一階にあり、授業を受けている三階から一階に駆け足で移動しなければならなかった。

 校舎の割り当ては一年生が三階、二年生が二階、三年生が一階になっている。


「わ、ここが購買部なんだ」


 連れてきてもらった購買部は余っている教室をまるまる一室売店にしており、ねねねの知る売店よりもはるかに大きく、ワクワクするような品揃えばかりだった。ハンガーのつるされた制服から魔法少女のコスチューム、鉛筆、消しゴム、ステッキから魔道具に至るまで学園で使う物は何でもそろってしまいそうだ。


「凄い凄い! ナニコレ!? あ、噂の『とっておきのレターセット』! 『見た目以上に物が入る紙袋』? 真菰ちゃんが良く使ってるやつだ!」


 ねねねは目的をすっかり忘れて目をキラキラさせながら購買部の棚を物色していく。


「えっと、シャーペンの芯は……。あった! この辺だね」

「ありがとう。じゃあそれと……。ねぇ、アルトちゃん。これは何?」


 ねねねはその紙袋の近くにあったモン〇ターボールのような三センチくらいの球状の商品を持ち上げて尋ねた。


「それは「見た目以上に物が入る紙袋」の形の違う物で『しまえるクン』だったかな?」

「へー! 開けるときはどうするの?」

「確か、そこの真ん中のボタンを押すと開いて……」

「ここを押すの?」


 ねねねは好奇心からボールの真ん中にあるボタンを押してみる。すると球体はバスケットのように大きくなって、がま口のように口が開いた。取っ手がついていて、バケツのように床に置くことができた。


「もう一回ボタンを押すとそのボールの形に戻るみたい」

「へー! へー!」


 ねねねが再びボタンを押すと球状に戻った。


「紙袋が作れるなら別の形にもできるかな、って作ったのはいいんだけど、この形使いずらいよね?」


 困った顔で笑うアルト。


「ちょっとね。だからこんなに安いんだ?」


 しまえるクンについていた値段は二百円と、ねねねのお小遣いでも買えるくらい安かった。


「ねねねちゃん、もう時間ないよ?」

「おっとっと、そうだね。これ下さい」


 ねねねはHBのシャーペンの芯一つと、しまえるクンを二つも持ってレジに出した。


「はーい。全部で六百円ねー」


 店員は魔法少女育成学園にふさわしい、ハット型の帽子にドレスという魔女の格好をした明るい感じのお姉さんだった。


「え? 買うの?」


 アルトはねねねの即決ぶりに驚いていたようだったが、ねねねはイタズラをたくらんでいる子供のような顔で笑った。


「えへへ、何かに使えるかなーって思ってね」


 ねねねはしまえるクンをスカートのポケットにしまうと、アルトと共に急いで教室に戻った。



 放課後――。

 ねねねたちが「今日の作戦会議は食堂で」決めて廊下を歩いていると、生ゴミの臭いとすれ違った。振り返ると見たことのある食堂のおばさんが残飯の入ったごみ箱を台車で運んでいた。


「残飯かな? ……大変な仕事だね」

「わ、私たちの食べ残しとかもあるのかな? 私はお弁当だからあんまり食堂では食べないけど、食べるときは残さないようにしたいね」

「臭い対策の魔道具を何とか作ってあげたいデス」


 あまりの臭いに思わず三人とも鼻をつまんでしまう。


「おばちゃん、いつもありがとう!」


 ねねねがせめて、と思い感謝の言葉を伝えると、おばさんはマスクの下からでもわかる笑顔で手を振ってくれた。


「うっ、くさっ! 何でこんなところ通ってるんですの!」


 ねねねたちが感謝した後に、辛辣な言葉を吐き捨てたのは花崎みりりだった。


(っ! この人っ!)


 貴族の令嬢のような見た目に反して、厳しい言葉を放つみりりに怒りすら覚え、ねねねはその背中を睨みつけた。しかし、彼女はどこ吹く風と涼しい顔で歩いて行ってしまう。


「自分だって食堂でご飯食べるくせに、それをおばちゃんが片付けてくれてるのに……!」


 今は何を言っても無駄だとわかっていた。この学園では序列が上の者には下の者は逆らえないのだ。


「気持ちはわかるのデス」

「バトルで、見返そう? ね、ねねねちゃん」

「そうだね……。絶対コテンパンにしてやるんだから!」


 ねねねは二人になだめられ、何とか怒りを抑え込む。内なる闘志を燃やしながら、みりり打倒を心に誓った。

 握りしめた拳をスカートのポケットに隠すと、ポケットの中で何かとぶつかった。それは先ほど買った「しまえるクン」だった。


「……あれ? そういえば、これ……。ねぇ、真菰ちゃん。このしまえるクンの中って異空間なんだよね?」

「よくそんな人気のないもの買ったデスね。無限ではないデスが、異空間にはなっているはずデス」

「異空間なら蓋を閉じたら匂いも閉じ込められるんじゃないかな?」

「可能性は、あるデスが……」

「おばちゃーん!」


 ねねねは何か思いついたように、ゴミ箱を運ぶおばさんを追いかけて声をかけた。


「あら? どうしたの?」

「おばちゃん、そのゴミ箱、この中に入らないかな?」


 私はしまえるクンのボタンを押してバスケットサイズに大きくした。


「その大きさじゃ、さすがに無理よ」

「この中異空間になってて広いらしいんだ。物は試しでやってみちゃ駄目?」

「えぇ? いいけど、制服が汚れないようにね」

「ありがと、やってみるね」


 おばさんの了承をもらい、バスケットの口を一番広げて床に置いた。ゴミ箱を持ち上げてバスケットの中に入れてみる。


「ねねねちゃん、手伝うよ」

「僕もデス」


 途中からアルトと真菰もゴミ箱を持ち上げてくれ、三人でゴミ箱を掴みバスケットの上に置いた。すると、ごみ箱はスルスルと吸い込まれるように入っていき、ゴミ箱ごと飲み込んでしまった。


「入った! ボタンを押して、と」


 ボタンを押すと元のピンポン玉ほどの大きさに戻り、一人で抱えるのが大変な大きさのゴミ箱が小さなボールの中に入ってしまった。

 ねねねはそれをそっと持ち上げて、臭いを嗅いでみる。


「うん! 重さもないし、匂いもしない! おばちゃん、これならお仕事楽になるんじゃないかな? 生ごみはこれに入れてゴミの日まで保管しておけば良いんじゃないかな?」

「凄いわね! うん! 食堂のみんなに話してみるわ」


 おばさんは嬉しそうにそう言った。


「ねねねちゃんは本当に凄いね。なんでこんな凄いこと簡単に思いついちゃうんだろ」

「本当デス。その閃き力、分けて欲しいデスよ」

「えへへ。ありがと」


 ねねねたちはその後もおばちゃんと一緒にしまえるクンで生ごみを運び、ゴミ捨て場にゴミ箱を出すところまで手伝った。

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