プルースト
シロガネマヨイ
第1話
檸檬の香りがした。いつまでも、残っている。高校の部活動に丁度区切りがついた時期だった。放課後、私は幼馴染みと教室で他愛の無い雑談をしていた。
「それにしても、大会、惜しかったな」
「……うん」
部活の話題になると、彼女は沈んだ表情を浮かべた。話題選びを間違ったと少し後悔し、励ましの言葉を掛けようかと逡巡した。
「なあ……」
その時、教室の入口から彼女に、同級生の女子生徒から声が掛かった。彼女を担任が呼んでいるという旨であった。彼女が勢いよく立ち上がり、鞄を肩に掛けて走り出す。
「ごめん、またね!」
「ああ」
そんな彼女の後ろ姿を見送った。その時は、確かに檸檬の香りがしていた。そんな記憶が、残り香のように、しかし確かに脳裏を漂っている。彼女が自分自身のミスに思い悩んでいたことも、久方振りのの全国大会出場を期待していたOBやOGから陰で非難されていたこと、全部、後から知った事だった。彼女になにか声を掛けていれば、変わっていた事であったのだろうか。
そして、今、私は彼女の写真の前で手を合わせている。今年の夏はいつにも増して酷く熱い。顔を上げて、纏わりつくような、じっとりと溜まっている憂鬱な暑さを払うように汗を拭う。相も変わらぬ笑顔の彼女をぼうっと眺めていたが、生温い扇風機の風と、部屋の奥から聞こえてくる声にふっと我に返る。
「今年も、ありがとうねえ」
「職場からもそう遠くは無いですから」
彼女の母親とも付き合いは長いが、こういう時にしか顔を合わせる機会は無くなってしまった。軽く近況について雑談をしながら、帰り支度をして玄関へと向かう。
「これから実家に戻るの?」
「いえ、今日が休暇最後だったので、このまま職場の方に戻ります」
「そう、わざわざありがとうね。あの子も喜んでると思うわ」
胸がざわつく。そう、でしょうか、本当にそうでしょうか、と口から出そうになったものを抑え込み、逃げる様に挨拶を済ませて帰路につく。暑さが、身体をを絡めとるように足取りを重くさせる。駅に向かって歩いていると、コンビニエンスストアの店頭に貼りだされた、かき氷の広告が目についた。少しでもこの暑苦しさを何とかできないかと思い、店内に入る。
「かき氷の……レモン味、一つ下さい」
会計を済ませ、店外のベンチに腰掛ける。そして氷を一口、放り込む。幾分か身体が楽になった気はする。檸檬の香りは、しない。カップの表面に滲んだ水滴が、ぽつり、ぽつりとアスファルトに垂れていく。彼女のいない夏がまた通り過ぎる。
プルースト シロガネマヨイ @shirogane_mayoi
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