番外編 俺にはもう推す資格なんてない
目を覚ましたのは知らない部屋だった。
死んだのかと思ったが、どうやらまだここは死後の世界ではないらしい。
真っ白で固いシーツ、冷たく重たい掛け布団。
左腕の点滴を見て、俺はすぐに自分が病室にいるのだと理解した。
「あー、やっちまったな」
スマホを見ると山ほど通知が来ていた。
アイドルVtuberのファン友達からのものがほとんどだが、連絡が取れなくて心配した親からのものもあった。
俺の病室は個室であり、このままベッドで電話をかけても問題はなさうだ。
「もしもし、お母さん? あぁ、大丈夫。ちょっと風邪引いてただけだから。だから大丈夫だって。もう平気だよ……うん、うん……今年の年末は実家帰るから。はいはい、じゃあもう切るよ。お父さんにもよろしく言っといて」
久々に母親の声を聞いたら、少しだけ涙がこぼれた。
大学を卒業したら、地元で就職してもいいかもしれない。
下手したら死体で対面していたかもしれないのだから。
俺は涙を拭いて、気持ちを落ち着かせてから、手元にある小さなスイッチを押してナースコールを鳴らす。
ほとんど待つことなく、医者と看護師が来てくれた。どちらも男性で、優しそうで安心した。
俺はきっと叱られるから。
「お目覚めだね」
「はい、ご迷惑をおかけしました」
俺は点滴に繋がれているので立ち上がることはできないが、身体を起こして頭を下げる。
「ホントだよ。最近君みたいな子多いんだよね」先生はそう言って冗談めかして笑った。
俺みたいな子――。
VR依存で……それだけならまだしも怪しい脱法ドラッグにも手を出して、薬物依存にまでなるバカのことだ。
大量にクスリをヤって、ぶっ飛んでそのまま危うくあの世までぶっ飛びかけた。
辛うじて恥をまき散らしながらこの世に墜落したが、実質一回死んだようなものだ。
「そうですよね。恥ずかしいです」
「ま、薬も抜けて、頭も冷えたみたいだし……ちょっと看護師さんにお説教してもらったら帰っていいよ」
優しそうな看護師さんは先生が病室を出た瞬間に鬼の形相になり、きついお説教を受けた。
久々に大人にちゃんと叱られた。
※
自宅に帰った俺は部屋の掃除を終え、グリモワールにダイブせず、PCからDMに順番に無事を知らせる返事を戻していく。
どうやらグリモワール内では俺の醜態がそこそこ知れ渡ってしまったらしい。
クスリと、大好き"だった"アイドルVのディープフェイク動画をキメて、グリモワール内を徘徊し、現実とVRの区別がつかなくなって、バッドトリップし、意識を失った。
あの時のことははっきりとは思い出せないが、なぜか俺は最初グリモワールからもう出られないんだと思い込み、ログアウトポイントでもないのにログアウト操作を何回も失敗してもう一生ここで生きていくんだと諦めかけたところで、実はここが現実で俺はこれからグリモワールに行くのにもう行けないのだと急に思考が急転換して悲しくなり、その悲しみがどんどんどんどん膨らんで、悲しみが自分の身体を突き破って自分が悲しみの概念によってバラバラに砕け散った錯覚で意識が飛んでしまった……ような気がする。
あの身体を概念が突き破る痛み……苦痛はそれまでに得た快楽がマイナスベクトルになって俺の脳と肉体で帳尻を合わせたのだろう。
あれだけの目に遭ったのに、まだふと気がつくと無意識に視線がクスリを探している。
「捨てるか」
と思ったが、なぜかクスリは家から綺麗さっぱりなくなっていた。
どうやら救急隊が持っていってしまったようだ。ディープフェイク動画も俺のアカウントから削除されていた。
グリモワール運営が今回の通報を受けて、調査して削除したのだろう。
目にしたら最後の一回などと言って、再びドラッグや違法動画に溺れていただろうからこれで良い。
アカウント自体はまだ残っていたが、今後もし規約違反行為を発見した場合にはBANすると警告文が表示された。
かなり甘い処置だと思う。
[おい、藤堂ニコのチャンネル見ろ!]
数人の友人からDMが届いている。
俺はよくわからないまま、登録しているニコのミステリーチャンネルの生配信の視聴ボタンを押した。
画面の向こうではニコの静止画と共に「※潜入捜査中の音声を配信しています。」と表示されている。
「あのセミナー……」
ニコがあの脱法ドラッグと過激なディープフェイク動画を販売するセミナーに潜入していることは一瞬でわかった。
俺もつい先日まであそこにいたのだから。
もともと俺はニコのファンだった。
ただ、ファンといってもお笑い芸人の番組を観るのと感覚的には同じで、特に疑似恋愛感情なんてものは欠片もなかった。頭が良くて、面白いことを話すから番組をやっているなら観る、程度だ。
だが、ある時からニコはアイドルの事件にかかわるようになった。そして、彼女の番組をきっかけに”ふぁんたすてぃこ”やぴーちゃんにハマるようになったのだ。
今となってはずいぶんと昔のことのように感じる。
特にフローラのことが好きだった。
ガチ恋だった……。
「でも……もう現場には行けないよな。どの面さげて会いに行くっていうんだよな」
ディープフェイクと没入感を高める脱法ドラッグの組み合わせはガチ恋勢にとってはまさに劇薬だった。憧れのアイドルがまるで恋人になったと錯覚できたのだ。
だが、フローラからしたら気色悪いことこの上ないだろう。
自身の容姿を使って、その他大勢のオタクの慰み者にされたのだ。
罪悪感で押しつぶされそうだ。
だが――。
画面の向こうからニコが俺に話しかけてくる。
「あとね、これを観ている皆さん、もし愛されたいなら、ふぁんたすてぃこやぴーちゃん、じゅじゅ、ミコ先生のライブに行ってください。彼女たちは……アイドルはファンを等しく愛してくれます。それは報われない関係かもしれませんが、きっもあなたを満たしてくれるはずです。こんなところで偽物で満足なんてしなくていいんです。もし……フローラやぴーちゃんのところを離れて、ここに来て倒れてしまったあなたも、これを観てくれているなら、二人に謝って現場に戻ってきてください。彼女たちは待っていますよ」
そうだ。
ニコの言う通りだ。俺は……本当は満たされていた。
フローラやぴーちゃんに救われていた。
彼女たちを通じて、俺のことを心配してくれるような沢山の友達もできた。
それなのに……こんなことになってしまって……ごめんなさい。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
偽者に手を出してしまってごめんなさい。
裏切ってごめんなさい。
心配かけてごめんなさい。
でも……ありがとう。
ニコから勇気をもらった俺は……ふぁんたすてぃこの次のライブのチケットを予約した。
直接謝るんだ。
※
「フローラ……あの……俺……」
「来てくれてありがとう。待ってたよ」
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