谷原 真理④

 暑さが増してそろそろ夏服の用意をせねばと思い、真理は洋服の整理をしていた。春先に着始めた鮮やかなピンクや水色のセーターをしまい、これから着ることになるであろう一枚で綺麗に見えるシャツやらスカートやらを代わりに出してみる。心なしか、気分は軽やかだった。今年の夏はどんな服を着ようか。そしてどこに行こうか。もしかしたらやはり自分は服やデザインについて興味があるのかもしれないと真理は思った。こうして服を整理している時はそれ以外何も考えなくなっている。だがそれに気づいた瞬間に、他のことが頭の余白に割り込んでくるのだった。思えば、綺麗な服を着たところで、友人に誘われない限りどこにも出かけたり散歩したりしないということも、夢で見た栄斗の横顔も。そのまま何も考えないでいられたならよかったのにと、一通りまとめおわったセーターを入れたかごををもう一押し押し入れの奥に押し込んだ。その時、ぐしゃりと奥の方で音がした。何か奥の方に挟まっているのかと思い、かごや使わなくなりつつあるトートバッグをどかしてみると、そこにあったのはいくつかの紙袋や、プラスチック製かどうかわからないが、そういったつるつるした袋たちだった。店舗で購入した本や雑貨、それこそ洋服を入れて渡される、アレだ。何かを入れるのに使えるかもと思いとっておき、結局捨て時に困って押し入れに入れておいていたのだった。ため息をついて、それらを一つ一つ集めて広げてみる。いつも行く本屋の袋、優美と出かけた時に買った服が入っていた袋、スポーツ用品店でランニングシューズを買った時の袋。そのシューズは、玄関にある小さな下駄箱の一番下の段で何か月も、いや、一年は家の外の地面を踏みしめていないだろう。近々そいつを外に連れ出してあげようと、真理は思った。他にもいろいろな袋が出てくる。実にそれらは色とりどりで、気が付くと真理の足元だけ部屋の中でやけに目立っていた。その中で、紺色一色の袋を改めて拾いなおす。それはメンズ服を中心に世界中で展開しているファッションブランドの袋で、紺と白だけでデザインされたシンプルなロゴマークがプリントされていた。真理自身はもちろんそのブランドの存在こそ知ってはいるが、どれくらいの年代向けでどのくらいの値段なのかもはっきりと覚えていない。なぜこんなブランドの袋が出てくるのだろうか。誰かに本を貸してもらった時にでも使われたものだろうか。まあ、それがどんな形で渡されてもどうせもう使わないだろう、この際に捨ててしまおうと真理は袋を何の気なしにゴミ箱へ放り込む。空中で持ち手が下を向いた途端に袋の中からレシートが顔を出した。その上に、次々と袋が積みあがっていく。レシートの発行日付は、六年前の九月十八日。栄斗の二十一歳の誕生日の三日前だった。



 洋服の整理を終え、午後からは新しい服を見に出かけてみることにした。とはいえそれは家に引きこもらないようにするための口実で、実際に外に出たいという強い思いがあったわけではない。薄手のシャツとジーンズを着て、駅までを歩く。住宅街を抜け商店街を歩いていると、昔、真理が大学生になってここに部屋を借りる前から続いているらしい八百屋のところに、中学校時代のクラスメートがいた。店主らしき人物と何やら話をしている。もちろん、真理は元クラスメートというようにしか捉えていないので、また彼女は成人式の集いにも顔を出していなく何となくきまりが悪いので、真理は道路の左側へと移り、気づかれないようにしながら八百屋の横を通り過ぎようとした。すると八百屋から小さな男の子が飛び出してきた。彼の目の前にはバイクが迫り来ている。

 「危ない!」

真理は夢中で男の子を抱きかかえるようにして止め、彼が事故に遭うのを防いだ。バイクは乱暴にクラクションを鳴らして去っていき、休日の昼間の平和な時間が一瞬止まった。一歩間違えれば自分が轢かれていたかもしれないという恐怖心から、真理は俯いたまま動けず、胸は高鳴っていた。

「すみません!怪我されてませんか⁉」

すぐに男の子の母親らしき女性の慌てた声が近づいてくる。

「あ…大丈夫です」男の子が母親のもとへ走っていくのと同時に、それだけ言って顔を上げた。その母親は、今気づかれないように距離を置いたクラスメートだった。

「ありがとうございます!…え…ねぇ、谷原さんだよね?」彼女が真理に気づく。

「あ…」真理はそれしか言えなかった。まるで今この瞬間彼女の存在に気づいたような表情で。宮本さん、と付け足そうと思ったが、彼女の名前が宮本で良かったのか、仮にそうだとしても今は宮本でないのかとか、そんなことが気になって喉の奥で雑音が詰まった。

「ごめんなさい本当に!私が目を離しちゃって…。谷原さんが助けてくれなかったら危なかった…本当に大丈夫?」子どものことで真剣に謝り、真理を心配する彼女の態度は、すでに母親のそれだった。

「あ、いや、大丈夫。えと…お子さん、いるの?」自分のことを覚えているか、という質問をされる前になんとか出てきた質問をする。

「うん…今三歳。この子を助けてくれて本当にありがとう。ごめんなさい」何度も彼女は頭を下げて謝罪をする。今となっては、バイクに轢かれそうになったことなど真理の頭の中ではとても小さな出来事になっていた。それよりも、クラスでもとても大人しく目立たなかった彼女が、子どもを連れていることの方が衝撃的だった。見てみると彼女の左手の薬指には指輪が光っていて、雰囲気や着ている物も上品ですっかり垢抜けていた。どこからどう見ても綺麗な大人の女性だ。彼女が、(店の人には失礼だが)こんな何の変哲もない八百屋にいることがなんだか場違いにさえ思える。彼女が恋をし、綺麗になり、愛し合える男性と出逢い、結婚をし、子どもを産んでもなお綺麗でいることが、この時真理のコンプレックスを刺激した。彼女は、今の自分にはないものを何でも手にしているような気がした。もしかしたら、いつか見た夢の中で栄斗の隣を歩いていたのはこんな雰囲気の女性だったかもしれない。

「あ、気にしないで。大丈夫だから…」…別の部分が大丈夫ではないのだが。

「あの…いきなりで申し訳ないんだけど、何かお礼させて。谷原さんに久しぶりに会えてなんか嬉しいし…お礼のひとつでもしないと私の気が済まないよ」

「え、いやぁ…」

「あの、この子も一緒で良かったらどこかで何かご馳走させてもらえないかな?って、そうだカズ君、お姉さんにちゃんとお礼言った?言わなきゃダメでしょ、カズ君のこと助けてくれたんだよ。お姉さん」

「おねえさん、ありがとぉ」

「うん、いいんだよ」真理の顔は自然とほころんだ。この、カズ君の笑顔はなんて愛らしく、可愛いのだろう。この子が笑うのを見たら、轢かれそうになったことなんて何も大したことの無いことのように思えた。

「駅前の最近できたとことか…どうかな?」再び彼女がお礼の件を持ちかける。

「…」ふと冷静になる。彼女は本当に改めてお礼をしてくれようとしているし、約十年ぶりに会ったというのにそれを喜んでくれている。悪い気はしなかった。だが、今の自分と彼女が話をしたらどうなるだろう。きっと今の彼女を見ていたら、自分が惨めに感じられるに違いない。彼女は結婚していて子どももいて、綺麗で、きっと素敵な夫と暮らしている。それに比べて自分はどうだろうか。同じクラスだった時もさほど有名人でもなかったし、彼女と特別仲良くしていたわけでもないし、私と話をしても彼女には楽しんでもらえないはずだ。

「ごめん、今日は用事があって。あ、でも本当に私は何ともないから気にしないで」できるだけ明るくそう言うのがやっとだった。そんな忙しそうな女には、到底見えないかもしれないが。

「えー、そっか…。何かあったら言ってね。治療費とかちゃんとお金も出させてもらうから」

「うん、ありがとう。じゃあ遅れちゃうから、行くね」駅の方に体を向けて、わざとらしいくらいに腕時計に目をやる。

「あ、うん。本当にありがとうね。久しぶりに話せてよかった。あ、ほら。ちゃんとバイバイしなさい」

「ばいばぁい」

真理は駅の方へ歩きながら二人の方を振り返り、微笑んで見せた。カズ君の手をもって一緒になって手を振っている彼女が眩しかった。他人の子どもでさえあんなにかわいく思えるのだとしたら、自分の子どもはどれくらい可愛いのだろうか。愛おしいのだろうか。そして私は、いつか彼女のように愛し合える人と子どもを育てられるんだろうか。

 歩いていると右の脚にズキズキとした痛みが走り、見てみるとジーンズは破れており、隙間から赤くなった皮膚が覗いていた。結局、彼女の名前ははっきりしないままだった。




 小田急線に乗り、とりあえず新宿に向かうことにした。何をしたいか自分でもよく分からない今の状態でも、新宿の街なら何かしら気を紛らわせてくれるだろうと思ったのだ。新宿までは二〇分。我ながら良いところに住んでいると都心に出向くたびに実感する。服を見るなら途中に下北沢があるのだが、あそこは古着が中心らしい。何年か前に今は付き合いのなくなった大学の友人に連れられて一度行ったことはあるものの、真理の趣味に合う服はそれほど置いていなかった覚えがある。全体的にくすんだ色合いのものが多くて、サイズも大きめに作られているか、もしくは年月を経て生地が少し伸びた感じのものが中心だった。あの時は正直つまらなかった。反対に、色がはっきりとしていて爽やかに見える服が好みの真理には、あの街の良さが分からなかった。それに、あの街にはいくつもの小さなライブハウスや劇場があるらしく、確かにどうしても売れる気配のないバンドマンみたいな人がちらほら歩いていたのも気に食わなかった。当時はおそらくそういった貧乏暮らしをしつつ夢を追いかけている人を見下していたのだが、今思えば、それは彼らに対して嫉妬していただけなのかもしれない。それが、あの時抱いた嫌悪感の正体だった。自分は人生の中で、何かに熱中したことや本気で何かを追いかけたり学んだりしたことがなかった。それを見た目だけそれっぽく装い、自分よりも貧乏くさく冴えない彼らが経験していることが、何かやるせない感情を真理に植え付けていた。いい成績をとっていい大学に進学して親の期待にも応えて…、それなのに、敗北感を感じさせられた。人は、自分がやりたくてもできないことをやってのける人のことを妬ましく思う生き物なのかもしれない。

 新宿は賑わっていた。いや、賑わっていない新宿、というのはそもそも想像すらできない。どこに服を見に行こうかと考えながら歩いていても、どの店も同じような雰囲気がしたために決め手に欠け、真理はどこにも入れないまま二〇分ほど歩き続けた。選択肢がありすぎる。新宿のどの方角の空を見渡してみても、たくさんの店が入っている何かしらの百貨店がキャンバスの中に割り込んできて、この街の空は窮屈に感じられる。新宿はここまであちこちに店を出して発展させなければならないのだろうか。歩いているとそれらの建物は上から今にも襲い掛かるように真理を見下ろし、その威圧感から中に入ろうとは思えなくなった。新宿に行けば何でもあるから気が紛れるだろうと思って来たが、それゆえに何をしていいか、どれを選んでいいか分からない。個性的なものばかりあるなら選びやすいと思うものだが、そこにあるものみんなが同じ顔をしているように見えるのだ。いつか帰省した時、父が最近人気の女性アイドルグループを見て「みんな同じ顔に見える」とぼやいていたのは、ちょうどこんな感覚なのかもしれない。真理はその後も歩き続けて、それでも入りたいと思える店に巡り合うことができず、もう帰ってしまおうと思った。だがせっかくの休日にここまで来たことが無駄になってしまうような気がして、駅までを歩きながら、途中にあった大きな書店に寄ってみることにした。ここでいい本に巡り合うことができたら、今日は無駄ではない。




 店内に入り、色々なコーナーを見て回る。小説や自己啓発本、ビジネス書に料理本、もちろん、真理の会社が出版を手掛けたファッション雑誌のコーナーも見た。書店の空間というのは実に良いものだ。この無数にある本の一つ一つに、数えきれない人の努力が詰まっている。自分と同じように苦労をして本を出している人のことを思うと、自分も頑張らなければ、と思うことができる。最近のようなモチベーションのまま書店に行っては、また他のライバル会社の仕事ぶりが目についてさらにやる気を削がれるかと思ったが、やはり身が引き締まる思いの方が強い。まだやれる。モチベーションが低くなってしまった時こそ、こうして書店に寄って自分や他の人の書籍に対する熱意を感じなければならないのかもしれない。気が付くと書店に入ってから三〇分ほど経っていた。一つ一つを熟読して実際に購入するわけではないものの、目にするだけで鳥肌が立つくらい印象的なタイトルがついた本や美しい装丁が施されている本を見ると、真理の胸は高揚していた。やはり職業柄、そういったことには関心があった。ふと教育のコーナーに寄ってみると、隣には育児のコーナーが広がっていた。大々的に宣伝されている子育て本の表紙には若い母親と幼い女の子が写っていて、それは昼過ぎに会った彼女を思い出させた。彼女はこういった本を読んで、カズ君と向き合って生きているのだろうか。実際にはモデル同士は他人なのかもしれないが、そこに写る子どもを見守る母親の微笑は包み込むような優しさを感じさせ、平和な日常を切り取ったようにうまく描かれている。真理は純粋に、この母親のようになりたいと思った。しかし、そこでまた自分にそんな機会が訪れるのかという不安が頭をよぎる。いたたまれない気持ちになった真理は、育児のコーナーを後にし、そのまま書店を出た。どうしようもない自分の現状が情けなくなり、時が時だったら静かに涙を流していたかもしれないくらいの悔しさを、顔には出さずに再び駅までを歩いた。




 真理は無心で夕飯を作っていた。美しい母親になった同級生に対し劣等感を抱き、ジーンズは破れ右脚には大きな擦り傷ができ、気休めにと出かけた先では服も本も買うことなく帰ってきた。それ以上外で何かをする気は起きなかったので、せめて家で美味しいものでも食べようという、この日最後の抗いだった。だが幼い命を危険から守ったことを考えれば、それほど悪い日ではなかったのかもしれない。それでも抗いは止められなかった。自分自身は良い思いをできていないのだ。あの時商店街にさえ行かなければ怪我をすることも劣等感を感じることもなかったのにと、この期に及んでそういう風に少し考えてしまう自分が余計に、みすぼらしい。

 気合を入れて作った生姜焼きは旨かった。真理の一番の得意料理だった。少しピリ辛にした味付けが、チューハイとよく合う。これは栄斗が真理のアパートに来た日、初めて振舞った手料理の味だった。手料理といってもそんな手の込んだものは作らずに、あとは適当に作ったサラダとご飯を炊いただけだったが。真理はふと、栄斗の口いっぱいに頬張る姿を思い出した。他にもあまりにも栄斗がたくさん食べるので自分の食べる分がかなり少なくなったこと、キャベツにかける中濃ソースがなかったこと、最後の生姜焼きだけは真理が意地で食べたこと、そんなどうでもいいようなことが、今になって思い出された。そうやって恋人と自分が作ったものを一緒に食べるというのはもちろんそれが初めての経験で、幸せで、こんな日々がずっと続けばいいのにと思った。それから何度か栄斗に手料理を振舞って以来、思い返せば誰かほかの男性に料理を作ってあげたことは一度もなかった。この生姜焼きを食べたのは、今この世で真理以外には栄斗だけだった。それが二人だけの思い出というか、二人を繋ぎとめている証のような気がした。あれから何年か経ち引っ越しを考えもしたが、結局は交通の便の良さや手ごろな家賃から、今でもこの部屋を借りている。ここは、栄斗と真理がいた場所なのだ。でも今は、どんなに気合を入れてご飯を作っても、それを美味しいといって食べてくれる人がいない。真理は内心、自分のためだけに金を稼ぎ、料理をすることに嫌気がさしていた。もう一度、栄斗のためにご飯を作ってみたい。美味しいと言ってほしい。叶わぬ願いを抱きながら料理を食べ終わると、テーブルの上には何ともいえぬ虚無感が漂った。一人分の皿、一人分の茶碗、一人分のグラス。それを見ているだけで、真理は自分がこの世でどこまでも孤独な人間であるような気がしてならなくなり、急いで食器を流しのところに積み重ねた。積み重ねたところで、幾分の高さにも満たなかった。

 今頃私以外の人たちはこの何倍もの食器を使って誰かと食事を楽しんでいるのだろうかと、真理は思った。会社の森見や、齋藤や、田中や、白石まで。田中は若く可愛らしいから、今どきのイケている男にご馳走でもしてもらっているのだろうか。白石はあの独特な雰囲気と世渡りのうまさで、どこかクセのある、それでいて素敵な紳士とバーで仲良くなってたりするのだろうか。片瀬主任は奥さんとお子さんと賑やかに食卓を囲んでいるのだろうか。帰りのスーパーの話とか、お子さんの学校での話をしながら。あの、八百屋にいた彼女も同じように。栄斗も同じように私以外の素敵な人と出逢い、今まさにその人の家で食事をしているだろうか。美味しいと言って子どものような笑顔を見せてその人の手料理を頬張り、おかわりをねだり。きっと優しい彼のことだろう、その人にやらなくていいと言われても洗い物は自分がしているに違いない。栄斗の優しさが、懐かしい。そしてそれが自分にはもう向けられることはないと思っては、過去に何回もした後悔の上に、また後悔を塗り付けるのであった。




 疲れているはずなのに、その日は寝付けなかった。劣等感を植え付けられたうえ、当てもなく新宿の街を歩き回り、せめてもの抵抗として酒を入れたにもかかわらず、だ。疲れをとるための休日であるのに、出勤する日よりも疲れてしまった。明日も休みなのが幸いである。明日は思い切り休んで、何もしない日にしようと真理は思った。寝れない時は、たいていスマートフォンで意味もなくいくつかのアプリを往復したり、もう何回も見てしまったアーティストのPVやお笑い芸人のコントを見たりするくらいしかやることがない。そうするときは大抵一二時くらいから深夜二時くらいまでずっとそうしているのだが、今はまだ午後九時を回ったばかりだ。休日という時間を過ごす時、その割り振り方はいつまで経っても確立できないし、暇な時間ができてしまいがちである。とりあえず、と電気を消してベッドに横になってみる。高校時代の顧問は、寝れない時でもベッドに横になっているだけで疲労は取れると言ってはいたが、本当なのだろうか。そうではないとしても、今はこのままでいい。真理はずっと、寝ていたかった。今、これ以上何かをしてもいいことが起こらない気がした。外に出かけても、また誰かに会って、そしてきっとその人は今の自分よりも充実していて幸せで、それは良いことなんだろうけども、今の自分にとっては言わずもがな悪いことであった。ふと、またあの日のように天井を見つめる。それから横に顔を向けるとそこにはやっぱり栄斗の横顔を思い浮かべてしまって、だがその奥には八百屋で見た彼女に似た、別の女の顔がちらつくのだった。栄斗が次にどんな顔を彼女に向けるのかが気になったが、それを見てしまったら本当に自分はどうしようもなくなる気がして、真理は二人の幻影をかき消すように勢いよく布団をかぶった。二人はふっと粉のようにしてほどけながら宙を舞い、さらに細かくなっていくようにして姿を消した。

 真理のスマートフォンが鳴ったのは、それから間もなくだった。

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