吉村 栄斗②
「見送りってどういうことですか」栄斗は納得がいかなかった。先日のプレゼンは自分の中では上出来だと思っていた。だが、今回の原料供給は残念ながら見送られる結果となってしまったのだ。
「俺もお前のプレゼン自体は良いと思ってたよ。だけど、途中からどうも相手方の表情があまり良くなかったとは思わなかったか?」
「いえ、特に…」
「たぶんあれはコンセプト自体にピンときてなかった顔だよ。お前のプレゼンがどうこうじゃない、俺たち開発チームみんなで考え抜いたコンセプトと、あちら側の求めるコンセプトが合わなかった。そういうことだ」
「………」
「こればかりはどうしようもない。お前はこれまでうまくやってきたから初めてのことだろうが…。でもお前が責任を感じる必要はないよ。あんまり抱え込んだりすんなよ」それは間違いなく佐々木の本心であったが、栄斗にはそうは思えなかった。
「また一から練り直すしかないよ、そのためにはお前も必要なんだからな」
「はい、すみません」栄斗はぽつりとそれだけ言うと、部屋を出た。佐々木の目を見ることができなかった。
「大丈夫ですかねぇ、吉村のやつ」第二課開発チームの一人、神谷が怪訝そうに聞いた。神谷は栄斗の三つ上の先輩だ。「でもなんか、仕事に支障の出ることは気にしないでいられるような感じだから、心配しなくても良いかも知れませんね」
「いやぁ、どうだろうな」すかさず佐々木が首を傾げた。
「今回ばかりはそうもいきませんかね?みんなはアイツのこと責めたりしてないみたいですけど」
「いやぁ俺もさ、吉村はバリバリ仕事してテキパキ片付けて、ミスとか過ぎたことは気にしないタイプのやつだと思ってたんだけどさ。あ、いい意味でね。いい意味で。でもさぁ、あいつ今まで大したミスした覚えないんだよなぁ」
「あー、確かに優秀だし、へこむほどじゃないミスしかしてないかもしれませんね。羨ましい限りですけどね」
「まあ、お前はもうちょい吉村を見習ってやる気を見せてくれ、いっつも口開いてるぞ」
「ちょっと、今それ言わないでくださいよ」
「まあまあ、いいじゃん」
———佐々木課長は嘘をついている。本当は俺だ、俺のせいなんだ。俺がもっとうまくやっていれば。課長は自分を傷つけまいと、うまくフォローしてくれた。でも他のみんなは?俺のことを恨んではいないだろうか。俺は、みんなが寝る間も惜しんで考えたアイデアを無駄にしてしまったんじゃないか。俺の評価はダダ下がりにならないだろうか。いつもよくしてくれる課長にも、次からは見切りをつけられるんじゃないのか。でもプレゼンをやるのは好きだ。でもこれからも俺に任せてもらえるんだろうか。いや、きっと次からは他のやつに任されるんだろう。今まで順調にきていた分、一気に信頼を失ってしまった…。———。
栄斗は必要以上に抱え込んでしまっていた。向こうのガラス越しに、なにやら話をしている佐々木と神谷がちらりと見えたが、それ以上はそちらを向かないようにした。
「うん、面白いね。どうしても健康飲料というとカロリーとか人工甘味料とかが控えてあるぶん、多少味が落ちるものですけどね。これはそんなことなさそうだ。」
「ありがとうございます。…そして次にご覧いただくのが調査による一〇〇㎖あたりの成分の一覧となっているのですが、まずビタミンに関しては…」
「でもちょっと色合いがねぇ、もうちょっと美味しそうになりませんか、これ。ちょっとこれじゃ購買意欲は掻き立てられないかなあと思うんです」
「え、あ、すみません…。しかしそれを補うことができるくらい健康的な成分がたくさん含まれていまして、たとえばこの…」
「あ、ごめんなさい、健康的でも…もう少しさわやかに飲めそうな印象が欲しいんですよ、サンプルの様子を見た限りですと、すでに世に出回っているものよりもドロドロしていそうですし」
「そうですか、ではもう一度改良を重ねまして、それから改めて発表をさせていただくというのはいかがでしょうか」
「いえ、せっかくですがもうあまり時間もありませんから、とりあえずこちらで商品化できないか検討させてください。十分に健康飲料としては優秀な栄養成分がありそうですし…」
栄斗は帰りの満員電車に揺られながら、先日のプレゼンでの一部始終を思い出していた。思い返してみると、先方の顔つきはあまりよくなかったかもしれない。プレゼン自体はうまくいって、というよりは流暢に話すのがうまくいっただけで、俺は変に自信を持っていただけだったのかもしれない。あちらの様子を見ながらとか、みんなの意見を途中で集めるとか、そういったことには気が回っていなかった。一人で勝手にできたと思い込んで、あちらのネガティブな意見もあまり気に留めていなかったんだ。なんて身勝手で恥ずかしいことだろうか。穴があったら入りたい気分だ。帰宅するサラリーマンらしき男性がひしめく車内で、栄斗は一番気力のない顔つきをしていた。ボーっとしながらなんとなく、車内のモニターに映し出されるどこかの企業のコマーシャルを見つめていると、
「あの、すみません」と一人の男性が少し何か気に食わない、とでも言いたげな表情を作って栄斗に話しかけてきた。
「え?」
「降りるんで道開けてください」
「あ、すみません」
栄斗はプレゼンのことで頭がいっぱいになっていて、駅について目の前のドアが開いたことすらはっきりと認識していなかった。やがてドアが閉まり、男性がせかせかと歩いていく姿を見てから、栄斗はそこが、自分も降りる駅であったことに気が付いた。なんだかしばらくはついてない生活を送ることになりそうだ。そんなことを思った時、栄斗の携帯が右のポケットの中で震えた。
「ふうん、ま、人生そんなこともあるよ。とりあえず今日は飲もうぜ。明日栄斗も休みっしょ」中山がビンのまま出されたビールを栄斗のグラスに注ぐ。ビールを注ぐ音が、ざわついた空間に消えていく。「この音が好きなんだけどなぁ」と言いたくなる気持ちを、栄斗は軽く飲み込んだ。中山は栄斗の高校時代からの親友である。以前から何かと理由をつけてはよく二人で酒を嗜んでいて、今日も中山から、酒が俺を呼んでいるから付き合えという連絡がきたものだから、会うことになった。語り合う時に飲むものはコーラから今はビールに変わったが、中山との仲は変わらない。少し互いに他愛もない話をした後、話題はお決まりといってもいい仕事の愚痴というか、悩みの話になっていた。
「いやぁ、でも今回はちょっと参ったな。会社のみんなめっちゃ頑張ってくれてたからさ」「でも栄斗のせいじゃないって、上司の人に言われたんでしょ」
「んまぁ言ってはもらったけどさ…」
「まあ、お前昔から努力でしっかり結果残すタイプだったもんな、今まで聞いた感じ。社会人になって失敗らしい失敗してないっぽいもんね」
「そうなんだよ、だから今まで評価してきてもらったのになんでここでやらかすかなぁ、俺」
「大丈夫だよ、お前心配しすぎだって」
「そうかなぁ」
「大体さ」
中山が少し真剣な面持ちをした。いつもは割と楽観的でこんな表情をしない中山が、急にどうしたのだろう。久しぶりに見るような表情である気がした。
「栄斗さ、やっぱりまだ頑張りすぎちゃう部分あるんじゃない?」
「そう、なのかね」
「栄斗ずっと前から言ってたじゃん、『俺は才能あるわけじゃないから努力しないとー』って。でも俺いっつも言ってっけどさ、お前普通に何でもこなせるほうだと思うしさ、あんまりバリバリやってると周りの人ひいちゃうって。マジで。会社の人たちはさ、今まで普通に栄斗のことバリバリ仕事してくれる奴って思ってくれてんでしょ?」
「あ、うん…多分?」
「そんなら、今回のこともお前にとっては肩の力を抜いてひと息入れるいい機会だってくらいにしか思ってないよ、きっと。若干バリバリやってるお前に距離感感じてる人もいるかもしれんし。…俺はもうお前とはこんな仲だから何も思わないけど」
「はたから見るとそう、映ってるのかな?」
まだはっきりと中山に言われたことに納得できないが、栄斗は苛立ちは感じなかった。たぶん他のやつに同じことを言われたら、ほっといてくれと思うような指摘なのだろうが、中山に言われると全くそんなことは思わない。中山は楽観的だが決して無責任なことを口走るタイプではないし、自分のことをよく理解してくれている。
「まあ、ちょっと気楽に受け止めるくらいでいてもいいのかな」
「そうだよ」
こんなに話し方というか、コミュニケーション全体が上手いお前の方が仕事できそうだと思われてるんじゃないか、と思いながら、栄斗はもう一品つまみを注文した。
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