アナザーサイド~白魔法使いのお姉さん~

 ゴブリンの薄汚れた手が、わたしの純白のローブを掴み取った。

 白魔法使いになった記念に両親が買ってくれた物なのにっ!


「離してっ!」


 怒りのままに拳骨をゴブリンの側頭部に振り下ろす。

 ぽこんっ、と軽い音を鳴らしてゴブリンの側頭部に拳骨が弾かれる。

 ……なんてことはない!

 ごきっ! とゴブリンの側頭部が卵を割るみたいに凹み――、

 ぐしゃ! と顔面の穴という穴から中身が飛び出す。


 妖精であるお母様から受け継いだ高い魔力は、妹のテトラちゃんは元の【まりょく】の値に乗算される形で受け継いでいるけど、わたしはちょっと違う。わたしの場合は肉体強化という形で現れ、常に【ちから】や【すばやさ】にバフが掛かった状態になっているのだ。


 だから、この筋肉とは無縁の細腕だって、見た目通りの女の子の腕ではない。

 一振りでゴブリン数匹を一度に吹っ飛ばし、その矮躯を簡単に拉げてしまう。

 腕でこうなのだから、足の力となるとちょっとした魔法だ。

 蹴ればゴブリンごと地面が吹き飛び、踏めばゴブリンごと地面が砕ける。

 殴って蹴って殴って、襲い来るゴブリンを次々と薙ぎ払う。


「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」


 テトルちゃんが必死に手を伸ばす。わたしも負けじと手を伸ばす。

 けど、二人の手は指先さえ触れ合うことはなかった。

 わたしはゴブリンの肉壁に邪魔され、手を伸ばすので精一杯。

 けど、テトラちゃんを遮るのは、お仲間であるはずの斥候のグルワーズさんだ。

 グルワーズさんの後ろにガリウスさんの姿が見える。


「ガリウスさん!!」


 ゴブリンの悪臭と血飛沫にまみれながら必死に叫ぶ。

 すると、ガリウスさんは振り返り――わたしを見て、にやりと笑ったのだ。


 ――なぜ?


 次に見たのは、ガリウスさんの背中だった。

 グルワーズが「けけっ」と笑ってその後に続く。

 信じられない光景だった。

 わたしをゴブリンの囮にして自分達は逃げようというのだ。わたしがゴブリンの慰みものにされようと、食い物にされようと、それさえ好都合であるかのように。


 そのとき、ごきぃん、とわたしの後頭部を何かが打った。


「――ぐっ!」


 目の前に星が飛び、前のめりに倒れそうになる。

 一歩踏み出して堪え、振り返ると、棍棒を持ったゴブリンが――


「痛いじゃない!」


 ――いた。

 けど、すぐにグーパンチで黙らせる!


「今はあんたたちなんかに、――ぎゃん!」


 ……な、なに? 

 突然、横っ腹に衝撃を受けた。危うく転がりそうになるのを蹈鞴を踏んで堪える。

 見れば、また棍棒を持ったゴブリン。


「よ、よくも――」


 呼吸のたびに脇腹に激痛が走る。

 奥歯を噛み締めて堪え、そのゴブリンに向けて一歩を、


「ぎゃぎゃぎゃ!」

「ぎゃぎぎゃん!」


 ……踏み出そうとした瞬間、

 ゴブリン共が一斉に躍りかかってきた!


「馬鹿にして!」


 数に頼ればわたしが怖じるとでも思ったのか、――大きな勘違い!!

 拳骨を鉄槌のように奮い、たちまち3匹のゴブリンの頭部に大穴を穿つ。

 ごすっ、ばきっ、どすんっ、と背中に衝撃。


「……くぅ!」


 痛いっ、と叫びそうになるのを堪え、振り返ると同時、地を擦るように蹴りを放つ。

 たちまち、棍棒持ちのゴブリン3匹がその矮躯をねじ曲げて宙に舞った。


「はぁ、はぁ……」


 呼吸のたびに、今度は背中まで痛むようになった。

 ……失敗したなぁ。

 連撃でゴブリン数匹の頭部を砕く。

 殴るたびに指先に、ごきっ、べきっ、と鈍い音。

 拳を引き戻すと、案の定、指がおかしな方向にねじ曲がっていた。

 拳闘士だって専用の防具を着けて殴るのに……、

 素人で、しかも防具も身につけていないわたしが同じ事をすればこうなるのは当然だ。

 早く白魔法で回復を――、


「――っ!」


 刹那、上腕にゴブリンの棍棒を受け、ごきぃん! と破滅的な音が響く。

 棍棒を受けた左腕は、……だらりと垂れ下がって動かない!


「このっ!」


 怒りを乗せて蹴りを放つ。反撃の一撃。

 ごきべきぼきっ! と蹴りを食らったゴブリンから心地よい音。……え?

 わたしの蹴りを受けたままゴブリンがにやりと笑っていた。

 ぞぞぞっ、と背筋に怖気が走る。


「は、離せっ!」


 足を振る。でも、離れない。手足でがっちりと絡みつき、

 ――だめっ!

 遅かった。そいつは腰元からナイフを取り出すと、わたしの足を二度三度四度と瞬く間に突き刺したのだ。


「痛いっ!」


 打撃とは別種の痛みに、反射的に蹴りを放つ。

 ……まずい!

 頭を後悔が過ったときにはもう遅かった。

 後先を考えない全力の蹴りに体勢が崩れる。

 手足をばたつかせて、なんとか……バランスをとろうとするけど! 


「ぎゅぎゃぎゃぎゃ!」


 ……嫌なやつ嫌なやつ嫌なやつ! 

 ここぞとばかりにゴブリンが躍りかかってくる!

 まだ、ままなる右手で躍りかかってくるゴブリンを打ち払うけど、


「ぎゃぎゃぎゃぎゃん!」


 大波のように押し寄せてくるゴブリンゴブリンゴブリン!

 わたしの足に絡みつくもの、押し倒そうと背に負うもの……。

 小さな子供のような体躯がわたしの体に何匹も何匹もまとわりつく。


「――あっ!」


 棍棒持ちのゴブリンがわたしの迎撃を抜いて、目の前に躍り出る。

 不味い、不味い不味い不味いっ! 振り下ろされた棍棒がわたしの顔面に迫る。

 咄嗟に、頭突き! 棍棒の一撃を額で受けた……けど、意識が……やばい。

 急速に現実が遠のく――五感が鈍り、目の前から現実味が薄れる。

 それでも身を守ることを忘れずに手や足を出すけど……。

 ごすっ、ばきっ、どすっ、どすっ、と衝撃に視界が揺れる。

 わたしの手が、足が……わたしの形が崩れていく。

 痛みは……どこか他人事のよう。まるで記録映像を見ているみたい。

 どすんっ、と衝撃。背中を地面に打ったのだ、と他人事のように理解。


 1匹のゴブリンがわたしに跨がる。

 強引に腕を万歳させられ、決して豊かではない胸部が強調される。

 ゴブリンの手がローブの胸元に手をかけられ――


「――あっ」


 びりびりっ、とローブが破れる音をどこか遠くで聞いたような気がした。


「ぎゃぎゃぎゃ!」


 一匹のゴブリンの濁声を合図に、手下のゴブリンに皮を剥くみたいにわたしの衣類が千切られていく。


 ――終わり、か。


 実感はない。心は空っぽで、何も浮き立つものはない。

 ただ、事実を事実として達観している冷めた心地があるだけ。


「ふふ……」


 ゴブリンがぎょっとしてわたしを振り返る。

 笑っていた……なぜ?

 ああ、そうか。死ぬのも存外悪くないわね……。

 テトラちゃんは心配だけど、死ねばまたあの子に会えるかもしれないから……。

 それだけがちょっとだけ救い、よね……。

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