第6話 修羅場
とある晴れた祝日。
空は淡い青色に染められ、薄く剥がれた綿のような雲がふよふよと風の赴くままに浮かんでいる。
それらは一見すればまるで自我を持たない、文字通り流されやすい存在ではあるのだが、いかんせん1つ1つに個性があるのがはなはだ扱いづらい。
自我がなく基本的になんでも誰かに任せるくせに、ある小さな枠組みの自分のアイデンティティのようなものの琴線に触れるようなことにはとことんこだわる。
だから僕は雲が嫌いだ。
僕のように争いごとを好まず、まるで他人任せな性格という点で共通点を見出し僕に這いよるくせに、決定的なところは譲らないという僕とは違う点を見せつけられ、僕に淡い期待を持たせるうえ、さらにお前とは違うんだと上から目線で語りかけられるような気にもなる。
それはただのわがままであり、そしてこの世で一番厄介なプライドの高い人間とのかかわりを生むだけの僕にとってはまったく生産性のない出来事へと変わってしまう。
あたかも僕はこの世のあらゆる人種とかかわりを持ち、様々な人間を見てきたような物言いだが、別にそんなわけもなくただ単純に目の前の現実からいったん逃避しているだけである。
何かから逃げたいときは別の何かに頭をフル活用すればいいと思う。
実際テスト期間中とかって他のことに気をとられ、さらにはその他のことのが上手くいったりするものだ。
つまりは人間というのは本能的にこういった習性を持ち合わせているのだ。
あぁ、なんて効率の悪い存在なんだろう。
そのくせ素晴らしい技術をたくさん開発し、人々の暮らしを年々よくしていき、平均寿命を底上げしたりもするんだから怖いものだ。
・・・・・・・・まぁ今のこの状況に勝る恐怖なんてこの世にはないのかもしれないが。
「ふはは!おにいちゃん、そらがわらっておるわぁ」
「双葉ちゃん、空は笑わないよ。この世で笑うのは人間だけ。君に向けられた笑いは嘲笑という名の、分類するならかわいそう系だよ」
妹の双葉の相変わらずの残念な感じに辟易するとともに、これが日常なのかと思うと世界の平和を間近で見れた気がしてほっと安心する自分もいる。
僕たちは今、近くのショッピングモールに向かっている。
手の届くところまで迫ってきたオリエンテーション合宿のための買い出しが目的である。
特に必要なものなんてないだろうと慢心していたのだが、いざ準備を始めるとあれがないこれがないと数多の必要なものがまるで壊れた蛇口から溢れる水のようにドバドバと出てきた。
そんな焦る僕にお金を渡し、ついでに暇を持て余した妹の子守を兼用させ、母はすやすやと祝日の昼間を謳歌した。
まぁ、普段はパートに家事と慌ただしく駆け回ることでこの日本に貢献し、さらに家では僕たちの大いなる救いになっているんだ。
それに僕だって感謝しているし、親孝行だってしたいと思っている。
こういう小さいことの積み重ねが大事だよな。
って何様だよ。
閑話休題。
双葉は久々のショッピングモールにか、それとも僕とのお出かけにかは定かではないがいつも以上にテンションが高い。
ぷにっとしたクリームパンのような手が僕の手と重なり、その手は上下に激しく振り回される。
まるで羽でもついているのかと思うくらいに双葉の足取りは軽く、日に透かされベリーのような色付きになった黒い髪がその足取りに応えるかのようにふわふわと靡く。
今日の快晴を彷彿させるような満面の笑みを浮かべ、日に照らされた瞳は爛々と輝き、薄い唇から開かれた白い歯が双葉の気分の高まりをさらに証言していた。
「おにいちゃん。きょうね、きょうはね、これみてぇ!」
そう言って双葉は片方の空いている手で、首から下げたとあるキャラクターの顔をした財布を僕に見せつける。
「きょうね、おこづかいいっぱいもってきたのぉ。これでほしいものかうんだぁ」
「へ、へぇ・・・・・・・・」
僕は双葉の財布を見ると少しげんなりしてしまう・・・・というか
・・・・そ、そうだ。この手があった。
「なぁ双葉」
「どうちたの?」
「もしよかったらお兄ちゃんが財布を買ってあげようか?その財布もうずっと使ってるだろ?」
「やだ!これおきにいりだもん!いっしょうつかう!」
「は、はは。双葉は物を大事にするいい子だもんなぁ」
「うん!だからおにいちゃんもいっしょうだいじ!」
「ワァウレシイナァ」
僕は今この時をもって妹との接し方を少し考えるべきだと改めた。
なお、変えるつもりは毛頭ない。
「うわぁ呆れた」
「え?」
僕は声のする方へとっさに振り返った。
どこか聞き覚えのあるその声。
嫌な予感がした。
「あいつの尻に敷かれるだけじゃ飽き足らず、今度はなに?どこからそんな小さい子を誘拐してきたの?」
「は、はぁ?何言ってんだよ。この子は」
「言い訳は聞きたくない。ほら、今ここで死ぬか、あっちで死ぬか、もう少しあっちで死ぬか選ぶ前に死になさい」
「それ結局この辺りで死ぬじゃねぇか。分かりにくいんだよ。ツッコミポイントは1つに絞ってくれよ」
僕は目前にたたずむ見覚えのある女子高生に叫んだ。
金色に染め上げられた長い髪が風に吹かれて揺らめく。
何度もブリーチをしているはずのその金髪は嘘のように光沢があり、枝毛の1本も許されていない。
少し吊り上がった眉は僕に対しての信用がないことがうかがえ、僕を見据えるその大きな瞳には焦る僕が映っていた。
シャープな鼻筋にむすっとした口元。
胸元の辺りで組まれた腕のおかげか、あまり目立たない胸にスポットライトが当たる。
おいおい、意外といいもん持ってんじゃねぇか。
「・・・・・・・・おにいちゃん、さいてぇー」
「は、はぁ意味わかんねぇしー。双葉の言ってること意味わかんねぇしー」
僕はまるで小学生のような言い訳を、というか言い訳にもなっていないような否定の意を中身のない逆ギレともとれるような口調で双葉に言い返す。
5歳児にすら悟られてしまう僕の下心に、僕自身も恐怖した。
いや、この恐怖は別のところから生まれている。
「お、おい、なんだよ河合。さっきまでの仏頂面はどうした?訝しむ視線は?その笑顔はなに?なぜ僕の頬に手を添えるの?ねぇ、ねぇ、ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
僕の悲鳴のすぐ後に、何かが弾けるような音がしてその場は一旦治まった。
痛みは時として突き付けられた罪までもをかき消してくれるみたいだ。
都合がいいなぁ。
閑話休題。
「もしかしてこの人が氷の女王なの?」
「いいや、違うよ」
僕は強く首を振る。
たしかに今のこの現場だけを見れば、河合が冷徹で高潔で特別な氷の女王のように見えたのかもしれないがそれは違う。
違うと断言しなければ僕の何かが収まらない気がした。
「何よ、氷の女王って」
「あぁ、そのことなんだが。実はな」
「おにいちゃんの下僕のことだよぉ!」
「は?」
突拍子もない、そして予想だにもしていないような双葉の言葉に動揺を隠せないらしい河合は、その戸惑いを吐き出す。
まぁ、こういうところこそがそういうことなんだと思う。
そして僕が今から口にしようとしていることもやはり河合と同様に笑えるくらいに凡庸である。
「ちがうん」「おにいちゃんは『ぜんせはこのよをすべていた魔王様』なんだよぉ!」
僕の言い訳は途中で遮られ、双葉の誇らしげな声が僕たちに周りを席巻した。
僕の顔は見る見るうちに赤くなり、その姿は魔王というよりも矮小な赤鬼のようだ。
そんな僕を見るなり河合はあざ笑うこともせず、「ほぅん」と何かを納得したような声を出し、僕と双葉を交互に見つめた。
「たしかに君のお兄ちゃんは魔王様だね。なんせ強者はいつだって孤独だもんね」
その口ぶりから察するにそこに含まれるのは皮肉だけ。
されどそれはまだまだ未熟な双葉には伝わらなかったみたいで「あたりまえじゃん」と頬を上気させ嬉しそうに相槌を打っていた。
「おにいちゃん。このおねえちゃんもやっぱり下僕なの?」
興奮冷めやらぬといった感じで、好奇心を前面に押し出しこれまた答えづらい質問を続ける双葉に僕はたじろいだ。
そんな姿を河合はまるで品定めするかのように見つめる。
「お前はどう答えるんだ」と耳元で囁かれているかのような幻聴が聞こえてくるみたいに。
「このお姉ちゃんは、河合は・・・・・・・・」
逡巡する、立ち止まる。
心にいつのまにか付随する未知のストッパーが強く僕を引っ張る。
取ってつけたような言い訳で自分を言いくるめ、適当な言い分で、日に日に姑息に回る口でこの場を乗り切ろうとする自分が何度も頭の中をめぐる。
違う。そうじゃないだろう。
僕の大切な妹。僕のことが大好きな妹。
そんな妹の期待を裏切ることはどれほど後悔するかなんて考えなくてもわかる。
いつかは分かる嘘、そのいつかは今じゃなくていい。
おにいちゃんは最強、かっこいい。
今はそう思われたじゃないか。
そう、これは自分のため。
だから問題ない。
「そうだ。このお姉ちゃんも僕の・・・・いや我が下僕である」
僕はそう高らかに宣言し、双葉の頭をゆっくり撫でた。
「へへぇ、やっぱりねぇ。そんな気がしたぁ。だってこのおねえちゃんとおにいちゃんちょっとだけ似てるもん」
「「はぁ?」」
「ふっふぅん。ほらねぇ?」
「やっぱり私、あなたのこと嫌い」
「それは僕も同じだ」
ふんっと僕たちは目線を逸らしそっぽを向いた。
そんな様子をにこにこと見つめる双葉にはあとでしっかりお説教が必要だと思う。
だがどうだろう。
僕たちがどこか似ているというのはあながち間違いではないのではとも頭のどこかで思ってしまう。
僕たちはお互いを嫌いだと罵ったが、残念なことに一言も否定の言葉を言えなかった。
それはあくまで無意識で、しかしそれは無意識のうちにお互いがお互いに嫌な類似点を見出していると考えることもできるわけで。
あぁ、本当に嫌気がさす。
改めて・・・・・・・・僕は・・・・・・・・僕たちは本物に魅せられた偽物なのだと頷かざるを得なくなってしまったじゃないか。
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