第2話小森君は知っている

 窓から注がれる斜陽によって目が覚める。


 春の残滓は僕の体を緩慢な動きにしてしまう。


 どんなに獰猛な動物でもこんなに気持ちのいい気温では争う気も起きまい。


 こんな日が一生続けばいいのにと改めて思う。


 職業欄には一生学生と書いていたい。


 就業時間に睡眠をとれる唯一の職業だからだ。


 それに責任もない。


 一端の学生のミスで起こる不祥事なんて基本は学校内で治まる。


 失敗は成功のもとなんて学生にしか使えない魔法言葉マジックワードである。


 社会人の失敗は首ちょんぱのもとだ。


 それに学生のぼっちは意外となんとかなる。


 ・・・・・・・・なんとかなる。


 好きだなぁ。この言葉。


 無責任な感じがいい。諦めている感じがいい。自分に期待していない感じがいい。


 なんとかするではなく、なんとかなるだもんなぁ。







 ・・・・・・・・ってなんで誰も起こしてくれなかったんだよぉ。





 時は少し遡り。


 学級委員長の決定後はすんなりと話がまとまった。


 各々、やりたい役割に手を上げ、人数オーバーの時にはじゃんけんをした。


 大きな争いごとはなく、前々から仲のいい人同士で何に入ろうかと決めていたようだった。


 それもそのはず。


 今日の役割決めは前々から告知されていたからだ。


 もし、同じ状況なら僕だって事前に友達と話し合って何に入るか決めていただろう。


 ・・・・・・・・そういえば同じ状況だ。


 違うのは僕に友達がいないってことだった。


 ふんっ。別にいいさ。


 友達と話し合って決めるなんて、どちらかが確実に遠慮してるんだから。


 自分の意見を押し殺して協調性を重視するなんて馬鹿らしい。


 いかにも日本人って感じだ。


 結局どっちかがどっちかの意見の犠牲になってるんだ。


 その点僕は自分の意見を何よりも尊重し、自分至上主義で動き、自分のことを誰よりも大切にしている。


 睡眠は飽きるまでするし、昼ご飯は風通しのいい校舎裏で黙食しているし、席を立つのは移動教室の時と、トイレと、あと昼ごはんの時とお待ちかねの帰宅の時くらいなんだから。


 無駄な体力を使うことなく、それでいて過剰な休息をとる。


 僕以上に自分を労っている人間はそうそういない。


 ・・・・あれ?なんかまたまた目汁が出てきた。



 回想終了。


 時は戻り、茜色の空に目を奪われる。


 僕もあんな情熱的な色の生活を送ってみたいもんだ。


 『ガチャガチャ、バン!ゴソゴソ、ドカン』


 あぁ、なんて良い景色なんだろう。


 『ガンガンガンッ!ドンガラガッシャンッ!』


 地平線に沈む太陽を追いかけるような人生を目指すのも悪くないかもなぁ。


 「そんな届かない物を追いかけても虚しくなるだけよ。そもそも身近な友達すらも夕日くらいに遠いようじゃあまりにも無謀だわ。やめた方がいいと忠告しておくわ。ついでに人生も」


 「おい、待てこら。最後のは聞き捨てならねぇな!僕の人生は谷より深く色濃いものになると確信している」


 「あら?今もなお底辺なのにさらに落ちるつもりなのね。馬鹿は高いところが好きというけれどぼっちは低くて暗くてじめじめしたところが好きなんて勉強になるわ」


 「甘いな。低くて暗くてじめじめしていてそれでいてところがぼっちにとっての居場所だ」


 私としたことがと落ち込むふりをする。


 しかし、僕の隣の騒音が止まることはない。


 ・・・・・・・・そう、僕の隣で作業をする静川の手が。


 「僕たち初対面だよね?」


 「・・・・・・・・まだ思い出せないのね。この鈍感、にぶちん、クソ陰キャ」


 「今更、実は幼馴染とか、実は親戚とか流行んねぇつぅー・・・・・・・・おい。最後のやつ!・・・・・・・・事実だな。それも紛れもない事実だ」


 「あなたと親戚なんてありえないわ。今更地動説を唱えるくらいありえないわ。訂正して頂戴」


 宇宙規模で拒絶!


 例えなのに、わかりやすく伝えようとしただけなのに。


 僕の気分は今、谷底に落ちた。


 「なぁ、それよりお前、工事現場みたいな騒音奏でてるけど何やってんだ?」


 僕は話をうまくすり替えようと隣の騒音について言及する。


 僕にとってすり替えは朝飯前、いや、もはやまだ寝ていると言っても過言ではない。


 なんせ僕は話だけではなく自分の心までもをうまくすり替え、偽り、何もなかったと切り替えることが出来るからだ。


 中学の時のあいつに言われた陰口も、中学の時のあいつにつけられたあだ名だって今は僕に対する妬み嫉みからきたものだとすり替えているんだから。


 ハハッ。愉快愉快。


 「なに、にやにやしてるのよ。気持ち悪い」


 彼女は僕に凍てつく視線を送り、口からは毒を吐いた。


 僕はこの瞬間同時に2つの状態異常を受けたみたいだ。


 毒と氷。


 動けなくされ固定ダメージを与え続けられる。


 ・・・・・・・・僕の学校生活みたいじゃないか。


 閑話休題。


 「私、今書類整理をしているの」


 静川は一切手を止めず現状の説明を始めた。


 今はあの工場地帯のような音は止んでいる。


 この瞬間先ほどまでの騒音が単なる嫌がらせであったことが確定した。


 ・・・・・・・・初対面なんだけどなぁ。


 「大変だな」


 僕は感想だけを告げた。


 すると彼女のこめかみに1筋の線が入ったが、その冷ややかな表情に変化はなく、彼女は相変わらず止まらない口を華麗で優雅に動かす。


 「えぇ、あなたのせいですごく大変よ。私があなたにすがったのが間違いだったのね。まぁ、私もこれで学んだことだし次からは同じ失態を犯すことはないわ」


 彼女の口から紡ぎだされる一見強がりともとれるその言い草には何故か負け惜しみのようなものが見受けられず、そよ風のような潔さと爽やかさがそこにはあった。


 そして彼女の口角が上がり、彼女のターンは続く。


 「だって私がすがった相手がまさか私よりもかわいそうな人間なんて思わなかったもの。人間、上を見ることだけが大切じゃないのね。時には下を見て安心することも人格形成には必要な事らしいわ。ソースは私自身。だって今の私の心は慈愛に包まれているもの」


 聖母マリア、マザーテレサを彷彿させるような気品を交え、流暢に性格の悪いことを話す。


 だが、彼女に差す後光は窓から注がれる赤い斜陽。


 今の静川は言動も相まってまるで大魔王のようだ。


 あぁ、今にも屈服しそう。


 しぃかぁー--しぃ、僕は負けないよ。


 悪口陰口を向けられたことは幾度となくあるが、被弾率は7割程度。


 長年の訓練を積んでいる優秀なぼっちはそんなものには簡単に屈しない。


 「かわいそうな人間?違うね。僕は特別なんだ。窓際の席で1人黄昏ているなんてまるで主人公だろ。特別な人間ってのは少しの影を要するもの。それが後々にスパイスとなって世界を救ったり、空から女の子が落ちてくる座標に居合わせるってもんだ」


 僕は高らかに宣言した。


 どんな罵詈雑言にも負けない強いハートを持つ僕にはそれを宣言する義務があるように。


 しかし、返ってきた言葉はやはり氷のように冷たく、剃刀のように鋭いものだった。


 「たしかに周りと違うという意味ではあなたは特別なのかもね。皆がワイワイしている時に1人ぽつんと佇んでいる。でもそれって言い換えればただ協調性がないってだけじゃない?1人でいることに価値を見出しているんじゃなくて1人でいることしか出来ない。人工的で偽物。私にはただの言い訳にしか聞こえないわ。必死に自分を肯定しているようにしか。誰も自分を肯定してくれないから」


 ・・・・・・・・僕の訓練されたハートはあまりに脆く、自分の期待していたものよりずっと儚いものだったらしい。


 本物の前ではあまりに無力だった。


 静川はあまりに特別だった。


 容姿端麗、頭脳明晰。


 見る人の目をブラックホールの引力のように引き付ける艶やかな黒い髪。


 切れ長で大人びた瞳。


 そのくせどこか女の子らしくくっきりと大きい。


 シャープな顔筋にこれまた整った鼻。


 白磁のように繊細な肌は毛穴の1つも許さない。


 長い手足はまるでモデルのようだった。


 そんな外見を要しているのにも関わらず、入試は主席合格。


 入学式では新入生代表として僕たちの前へ君臨した。


 もう何がなんだかといった感じ。


 すがすがしいくらいに特別で、わかりやすいくらいに希望を打ち消す。


 「まぁ、とりあえず。あなたはその机の上に散乱している書類を整理しなさい。・・・・・・・・ねっ?副学級委員長?」


 その瞬間だけ、静川は作業の手を止め、僕に偽物の笑顔を見せた。


 窓から注がれる斜陽の恩恵の期限は切れ、夜の闇が彼女を映す。


 僕は相変わらず諦め、納得し、頷く。


 闇から見える訥々とした光に嫉妬する。


 僕はやはり月のように意思もなくただ光らされているだけ。


 常に受け身なんだと自覚する。

 

 でもそんなことは微塵も思わせない。


 だって僕はもう大人なんだから。



 


 


 


 

 


 


 


 

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