一時停止「pause」

「――宣人くん、来てくれたのね」


 振り向くと柚希の母親が立っていた。母親とも家族ぐるみの付き合いだ。見知った顔を見て緊張の糸が解ける。


「柚希は眠ってしまったようね。来てくれたのにごめんなさい……」


 先程までおびえていたはずの彼女は、いつの間にか眠っていた。ベッドの脇に柚希の母親とともに寄り添う。


「柚希はどうしたんですか? まるで電源スイッチが切れたみたいに眠って。それに僕を見ても分からないなんて」


 思わず質問を投げかけてしまう。


「柚希と話したのね、お見舞いに来たということは近所のうわさを聞いた?」


「はい、わからない言葉も多かったですけど。二宮のおじょうちゃんに、が降りて来たとか、お年寄りが言ってました」


「そうか、知らないのね。あの辺りに伝わる風習ふうしゅうを」


「風習? 柚希に何の関係があるんですか」


「夏のお祭りで、女の子が巫女舞みこまいをするのは知ってるよね」


「……はい、今年は柚希でした」


「それが今回の原因かもしれないの」


 話はにわかには信じられない物だった。柚希とかくれんぼをした神社、夏の匂いが砂利の音で蘇る。待ち合わせをした石段にある一対のお稲荷さんの像。そのキツネ像をあがめるお狐様の夏祭り、今年の巫女役は柚希だった。舞姿まいすがたは何かに取り憑かれたように綺麗で、花火もかすむほど目に焼き付いた。その日から僕は柚希を異性として強烈に意識し始めたんだ……。


「噂みたいに狐憑きつねつきかは不明よ、原因は分からないけど、あの辺りの女の子だけに起きる現象。柚希くらいの年齢で、同じような原因不明の病気になる子が、まれに現れるそうなの……」


「柚希が治る方法はないんですか!?」


「寝ている時間も増えてきたし、担当医も手のほどこしようがないって」


「お年寄りはこんなことも言ってました。千里眼せんりがんの使い方が良くなかった。まだ若いのにって。お母さん何か知っているんですよね!!」


「宣人くん、自分の目で確かめて、きっと柚希もそう願ってるはずだから」


 母親から手渡されたのは、あの交換日記だった。僕は何げなくページをめくる、その手が途中で止まった。


「これは……!?」


 あんなに僕との交換日記を楽しみにしていた柚希。その期待を僕は数日で裏切ってしまったんた。面倒くさいという理由で。本音は交換日記を続けたら、僕は絶対に自分の気持ちを書いてしまうはずだ。


『柚希のことが大好きだ!!』って。


 それが怖くて日記から逃げ出した。なのに彼女は僕のために日記を続けていたんだ。


 僕が書くはずの左側のページ、書くのをやめた日から空白が続く。その右側に書かれた彼女の日記。柚希が姿を消した前日まで続いていた。


 最後の余白に書かれた文字。


 ――私、もう一度あの曲が聴きたかった。


 彼女の想いに涙で日記の文字が読めなくなる。深い後悔がインクの染みのように僕の胸に広がった。


「お母さん、頼みがあります。これから毎日、柚希をお見舞いさせてください……」

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