第26話 ヒーローの証明

界獣かいじゅう……ジャスイゾーア……!」


 戦慄に震えるアウラ達の声と、逃げ惑う人々の悲鳴が俺の聴覚に届く。

 天を覆い地を揺るがす、圧倒的な邪神の威容。巨人に変身した俺の軽く十倍はある巨体から、象の鼻に似た一本の触手が星空に向かって伸び、雲の合間でバチバチと稲妻を集めている。


(くっ……!)


 それが地上に向かって撃ち出される間際。俺は巨人の体に最後に残った力を振り絞り、よろめきながら立ち上がって、宝玉から光のバリアを発生させた。

 人々と怪物の間に立ち塞がった俺に、容赦のない雷撃が触手の先から浴びせられる。紫の稲妻がバリアの表面で弾け、街に縦横無尽の破壊を撒き散らした。


「ヒナリ様っ!」


 シルヴィアの声が足元から響く。彼女達と周囲の人々を守るバリアを必死に維持しつつ、俺はすかさず背中の翼をその前面へと回り込ませる。

 敵の魔法攻撃を受け止め力に変える光の翼。この能力があれば、限界まで使い果たしたエネルギーも復活させられるはず。

 だが――。


《ぐあぁ……っ!》


 翼で浴びた雷撃は、そのままダメージとなって俺を苦しめるだけだった。

 ふらつき膝をついた俺の頭上で、邪神と化したあの女が哄笑こうしょうを上げる。


《愚かな。邪神のいかずちをただの魔法攻撃と同じと思ったか!》


 ……あのミェーチといい。異界人ってやつは、どうしてこう、自分の能力をペラペラと自慢したがるんだ。


《魔法の種類なんか、俺が知るかよっ!》


 俺は拳を握り締め、全身の気力を奮い立たせて駆け出した。瓦礫の街を蹴り、大蛸おおだこを思わせる敵の目の高さまで跳び上がって、右腕に出現させた炎の爪を振り下ろす。

 だが、それが敵の本体に届く寸前、巨大な触手の一振りが、俺の体を弾き飛ばしていた。


《ぐうっ……!》


 巨人の背が激しく地面を削る。痛みの走る全身を抑え、すぐさま身を起こしたその視界の先で――


《滅びよ、この世界の人間ども!》


 地上のアウラ達に向かって、今まさに邪神の雷撃が放たれるところだった。


(しまった――!)


 俺が空間跳躍で彼女達の前に割り込もうとした、その瞬間。

 横から激しく俺の体を突き飛ばして、雷撃の前に割って入る巨影があった。


(何っ!?)


 天地を貫いて敵の雷撃が走る。両腕を広げてそれを受け止めたのは、力尽き倒れていたはずの王子の巨人だった。

 激しい閃光が夜空を染め上げ、俺と皆の眼前で、王子は満身創痍の巨体を稲妻の衝撃に打ち震わせる。

 スリットの奥のその眼に正気が戻っているのかは分からなかった。姫達の悲鳴が響く中、敵の雷撃を受け切った彼は、物言わぬ人形のように瓦礫の街に倒れ込む。


《死に損ないの王子が、悪あがきを――》


 敵の言葉を終わりまで聴かないまま、俺は倒れた彼の体を横目に、余力を超えた力を振り絞って天に舞っていた。

 彼が最後に見せた意地と、アウラ達の涙が、勇気と化して俺の背中を押す。エネルギーの尽きたはずの体に、龍の炎が再び激しく燃え上がるのを感じた。


(食らえっ……!)


 敵を見下ろす高空まで舞い上がり、宝玉から撃ち出す炎の飛礫つぶて。龍の咆哮が天を渡り、灼熱の流星が敵めがけて降る。

 しかし、邪神は虚空に黒々とした渦を展開し、その一撃を受け止めたかと思うと、


(ッ!?)


 その炎をそっくりそのまま反射して、俺に向かって撃ち出してきた。


《なっ――》


 激しく燃え盛る龍の炎が、俺自身の胸部を打ち据え、その体を吹っ飛ばす。


「ヒナリ様!」

「ヒナリっ……!」


 皆の声が何重にも重なって響く中、俺は燃える街に背中から突っ込み、そのまま意識を失った。



***



「あっれぇ、飛成ひなりさん。こんなところでリタイアですか?」


 真っ白なもやの中に、女神の声だけが響いていた。

 仰向けに倒れ伏した俺の素顔を覗き込むように見下ろして、天国テレビのクルーは言う。


「いけませんねー。たった一クールでヒーローが負けて終わる番組なんて、クレームものですよ」


 朦朧とする意識の中、俺は彼女に向かって手を伸ばした。


「あの敵を倒さなきゃいけないんだ。力を貸してくれ」

「言ってるじゃないですか。天上界は下界の争いに介入できないって」


 女神は人差し指を立て、こんな時でも明るく声を弾ませてくる。


「私が力を貸さなくても、飛成さんに力をくれる子は沢山いますよ」


 眼前に浮かんだスクリーンには、倒れた龍の巨人を遠目に見やり、口々に俺の名を呼ぶ少女達の姿。


『ヒナリ様っ、死んじゃダメです! わたくしと夫婦めおとになってくださる約束でしょう!?』

『負けないでください、ヒナリ様。あなたは私に大切なことを教えてくれたじゃないですか!』

『諦めるな、ヒナリ。ボク達も、最後まで君を信じることを諦めないから』


 約一名、身に覚えのない約束を主張してる子がいるけど……。

 シルヴィアが、パルフィが、ローリエが――そして周囲の民衆や兵士達までもが、巨人の再起を願う言葉を異口同音に口にする中、その最前に歩み出たアウラが、キッとまっすぐな目でこちらを見上げてくる。


『あなたが言い出したのよ。最強の駒としてこの世界の役に立つと。王女の婿になろうという者が、一度口にした言葉を違えてどうするの』


 いや、後半は言ってないんだけど……と俺が思わず苦笑を漏らすと、女神は「相変わらずモテモテですね」と機嫌よく笑ってから、俺の右手のブレスレットをすっと指差してきた。


「心配しなくても、天国テレビの備品は、アルケミック・リアクターなんて低次元のオモチャとは違います。取り出し方さえ知ってればエネルギーは無尽蔵。あとはあなたの心次第ですよ」

「取り出し方、って……?」

「わかりませんか? これまで何のために女の子達との仲を深めさせてきたのか、ってことですよ」


 にまっと笑う女神の言葉に、俺は目をしばたかせた。

 アンタの悪ふざけじゃなかったのか――。


「応援してくれる人の存在あってのヒーローですから」


 右手の宝玉がカッと熱い光を放っている。持ち上げた腕から溢れる閃光の向こう、現実世界を映したスクリーンにアウラの真剣な顔があった。


『あなたは私達の英雄なのよ。立ちなさい、ヒナリ!』


 俺は強く頷いて、眼前に開いた光のゲートに飛び込む――



***



 ――意識を取り戻すとともに、巨人の全身に熱い炎のほとばしりを感じた。

 仰向けに倒れた俺に向かって、トドメとばかりに邪神が稲妻を撃ち下ろしてくる。それを受け止めるべく突き出した俺の両腕に、突如、実体を持つ巨龍の爪が現出し、火炎を纏って紫電の稲妻を引き裂いた。

 本能に導かれるままに、俺は跳ねるように体を起こす。同じく足先に出現した龍の爪が、瓦礫の街を鋭く蹴立てて俺の体を宙空へと跳ね上げる。


「あれは……!?」

「巨人の手足に、ドラゴンの力が!」


 群衆の驚愕の声が地上から響く中、俺を見上げるアウラ達の姿を瞬時に視界に捉える。涙と絶望から安堵と希望に塗り替えられた、姫達の、騎士娘の、ボクっ娘博士の眼差し。彼女達の想いを受けて、右手の宝玉から更に激しい炎が溢れ出す。

 背面に翼を広げれば、その羽ばたきはこれまでより遥かに力強く風をはらみ、この巨体を一瞬で高空まで押し上げた。いつもの光の炎とは違う力を背中に感じる。夜空を引き裂く実体の翼が、そして強靭な龍の尾が、灼熱の炎を纏って俺の体に現出している!


《何ィ……! 守護巨獣の力を解放しただとォォ!》


 戦慄と憎悪に声を震わせ、邪神が空中の俺に稲妻を放ってくる。今度こそ俺の翼は容易くそれを弾き返した。一瞬で距離を詰め、体を回転させて俺は敵に突撃する。巨人の四肢に備わった龍の爪が、敵の振り出す象の触手を獲物のように引き裂いた。

 ギャアッと醜悪な叫びを上げる敵の巨体を蹴って、俺は高空に舞い戻り、実体の翼に燃え盛る炎を両腕の先に集める。巨龍の吐息ブレスのごとく撃ち出す火炎の奔流が、夜空を駆け下って敵に炸裂する。


《おのれェェ……未開世界のドラゴンごときがァァァ!!》


 高空から浴びせられる火炎の渦に耐えながら、敵は斬り飛ばされた触手の根本から再び稲妻を放ってきた。同じ軌道を空に向かって逆流する雷撃が、俺の炎と交差して激しい火花を散らす。


(くっ……!)


 あれほどの巨体ともなれば、防御力も半端じゃないのか……!

 並の巨獣なら一撃で焼き尽くせそうな炎を浴び続けながらも、なおも敵は力尽きる気配を見せなかった。敵の雷撃を翼で受け流し、力を込めて炎を撃ち出し続けながら、俺は意識の奥で焦燥を噛み締める。

 何か決め手が……あの超巨体を爆散させられる決め手がなければ……!

 と、その時、


「お兄様っ!?」


 地上からアウラの声が響いたかと思うと、


《――ハッ!》


 空中を疾走し、叫びを上げて巨体に飛び掛かった王子の巨人が、その巨大な頭部の中心に覆い被さるように組み付いていた。


(ッ! 正気に戻ったのか!?)


 あるいは、先ほど妹達を庇って倒れたその時から――。

 敵が彼を振り落とそうと藻掻もがく中、ぶつかり合う雷撃と火炎の余波を一手に浴びながら、彼はスリットの奥に光る目でハッキリ俺を見上げてきた。


《今だ、異界人! 私もろとも撃て!》


 敵の体表をしっかりと掴んだその左手には、今にも砕け散りそうな宝玉が激しい光を放っている。

 

《このリアクターとやらを暴走させれば――》

《そんなことしたら、アンタも跡形もないぞっ!》


 俺が叫び返すと、彼は躊躇ためらいのない仕草で頷いた。


《侵略者の甘言に踊らされ、国と民を危険に晒した……。私に出来る罪滅ぼしは、せめてこの敵と刺し違えることだ!》

《ふざけんな! アンタを死なせたらアウラ達が悲しむだろ。兄貴のくせに分からないのか!?》

《貴君が代わりに支えてくれればいい》


 冗談とは思えない彼の言葉。本気でそう思ってるなら、俺の嫁候補を悲しませるなよ――とは、さすがに言えないけど。

 そんなことより。将棋は随分やらされたけど、駒落ちってのはキライなんだ、俺は。


飛車ひしゃかく揃ってなきゃ、将棋にならないだろっ!》


 叫ぶやいなや、俺は空を駆けて王子に肉薄した。

 一瞬、何の話だとばかりに首をかしげた彼の腕から、光を放つブレスレットを無理やりむしり取る。彼の体を敵の巨体から引き剥がし、腕輪を自分の左手に巻きつけて、俺は敵に突撃した。


《何をっ――》


 王子の声を眼下に聴き、俺は今にも砕けそうな左手の宝玉に龍の力を込めた。瞬間、水蜘蛛を思わせる光の円盤が、王子が乗っていた何十倍もの大きさに膨れ上がって現出し、敵の巨体に貼り付く。

 膂力りょりょくを振り絞って両腕でその巨体を押し上げれば、円盤の反重力を受けて、その超重量が俺の頭上へと持ち上がった。

 翼を強く羽ばたかせ、音を置き去りにする速度で、俺は敵の巨体を持ち上げたまま天空へと舞い上がる。遥か成層圏を突き抜けて、きらめくオーロラをも超え、星のまたたく宇宙空間へ。

 この世界の宇宙が、俺の世界と同じ宇宙かは知らないけど――

 少なくとも、眼下に見下ろす惑星は、俺の知る地球と同じ青さに輝いていた。


《滅びよォォ、人間どもォォォ!!》


 音がないはずの宇宙に、狂ったような邪神の絶叫が響く。

 無重力の静寂にその巨体を放り出し、俺は王子の宝玉から光の弓を展開すると、龍の炎を纏った右手をその上に添わせた。酸素のない宇宙に燃え盛る魔法の炎が、邪悪を射抜く灼熱の火矢を形作る。


《滅びるのはお前だ、ジャスイゾーア!》


 ――お前がこの世界に持ち込んだ力で、報いを受けろ!

 光のつるを引き絞り、俺は炎の矢を放った。闇を引き裂いて飛ぶ業火のやじりが、刹那の速さで敵の頭部を射抜き、その全身に怒りの炎を燃え広がらせる。

 最後に左手の腕輪を外し、敵めがけて投擲とうてきすると、着弾の瞬間に凄まじい閃光がほとばしった。

 限界を超えた反応炉が、連鎖的な爆発を巻き起こし、邪神を魔力の爆炎の中に飲み込んでいく。敵が憎悪に満ちた唸りを上げる中、やがて一際巨大な爆発が起こり、その巨体を跡形もなく宇宙の塵に還元させしめた。

 星空を染め上げるその炎は、この世界を狙う侵略者の企みがここに一つ潰えたことの証だった。

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