第22話 謎を秘めた女

 雲を突き抜け、巨獣と巨人を追って俺は飛ぶ。左手の上にアウラを乗せているので全速力は出せないが、それでも二体に追いつくには十分だった。

 鹿型の巨獣――ヒログラスが巨大なつのから放つ雷撃と、王子の変身した巨人――自称クラウンアークが光の弓から撃ち出す稲妻の矢。互いに攻撃を浴びせ合いながら、二体の巨影が高空で激しいチェイスを繰り広げている。

 十分な距離を取って追跡する俺の視界の先で、遂に鹿の巨獣は巨人の矢でつのを打ち砕かれ、苦しげに吼えて高度を下げていった。

 巨人は空中を蹴るようにそれを追い、二度、三度と続けざまに光の矢を射掛いかける。稲妻を纏った矢が巨獣の翼を貫き、やがて巨獣は鮮血を噴き出しながら落下に転じた。

 その軌道の先には――


(ダメだっ!)


 このままいけば、飛翔する力を失った巨獣が墜落するのは、王都近郊の街のど真ん中だ。

 構わず敵を追って空を駆ける巨人の背中を見て、アウラも俺の手の上で声を上げる。


「このままでは街に被害が出るわ! お兄様、わかってないの!?」


 彼女の言う通り、あんな速度であの巨体が地面に激突したら、それだけで街一つが壊滅しかねない。

 どうする。俺ひとりなら、空間を飛び越えて巨獣の前に回り込むなり何でも出来るけど、アウラを乗せたままでは――。


(! そうだ、ケゲールの時のアレなら!)


 その閃きに賭けて、俺はアウラに向かって声を発した。


《アウラさん、例のドーム型の障壁魔法を! 俺の力で増幅する!》

「っ……わかったわ!」


 飛行機雲のように赤い血の軌跡を引いて落下し続ける巨獣を追い、俺は王子の巨人の頭上を追い越す。石造りの街並みがぐんぐんと眼下に近づいてくる中、アウラは俺の手のひらの上で素早く詠唱を唱え、巨獣に向かって魔法の杖を突き出した。

 たちまち撃ち出される金色の稲妻が、幾条もの魔力の奔流と化して巨獣を追う。そこへ俺が右手をかざし、宝玉からエネルギーを浴びせると、何倍にも膨れ上がった魔力の渦が超巨大な球状のドームと化して、敵の周囲の空間を包み込んだ。

 間一髪、地面に激突するまであと少しの高度で、光のドームの内側で巨獣の巨体が受け止められる。その勢いでバリアは砕け散ったが、敵の巨体はもはや自由落下の加速度を失い、ずしんと地響きを立てて街の広場に落ちるだけだった。

 上空を行き過ぎる俺の聴覚が、逃げ惑う街の人々の悲鳴と怒号を捉える。人々にはこれでも衝撃に違いないが、ひとまず、街が丸ごとクレーターと化すような事態は避けることができた。

 あとは、あの巨獣を安全な場所に遠ざけて撃破するだけだ……!


 が、しかし――。

 手の上のアウラとほっと一息つくいとまもなく。

 高度を取って見下ろす俺の眼下では、王子の変身した巨人が瓦礫を巻き上げて街に降り立ち、敵に向かって光の弓を構えるところだった。


「お兄様、何を――!?」


 粉塵の中、手負いの巨獣がのそりと身を起こす。騒然となる街の様子にも構わず、巨人は光の弓に右手を添え、つるを引き絞るように敵に狙いを定めた。

 激しくぜる雷光が、周囲の建物や石畳の地面に火花を散らしながら、巨大な矢の形に集束していく。


(アイツ、あんな街中であの矢をぶっ放すつもりか!?)


 こんなところで巨獣を爆散させたら、一体どれだけの被害が……!


《アウラさん、ちょっと我慢して!》


 彼女を乗せた手元を光のバリアで包み、俺は一直線に急降下した。一瞬の減速ののち、手近な建物の屋上にアウラの体を降ろし、瞬時に空間を跳躍して巨獣の背後に回り込む。

 両腕を巨獣の体の下に滑り込ませ、全身の力を込めてその巨体を頭上に持ち上げる。そのまま翼を羽ばたかせて俺が飛び上がると、王子の巨人がスリット越しに見上げ、光の弓矢を向けてきた。

 なすすべなく高空へと持ち上げられた巨獣が、最後の足掻あがきとばかりに咆哮を上げて巨体をよじらせる。ミニチュアのように遠ざかった眼下の街、豆粒より小さくなった巨人の姿を龍の視力でまっすぐ見下ろし、俺は叫んだ。


《今だ、撃てっ!》


 瞬間、巨人は頷き、光の矢を撃ち放った。雲を貫いて天上へ駆け上がる稲妻のやじりが、俺の持ち上げた敵の巨体を寸分の狂いなく射抜く。

 巨獣の体が爆発四散し、空を爆炎で赤く染める時には、俺は既に空間跳躍でその場を離脱し、人間の姿に戻ってアウラの待つ屋上へと降り立っていた。

 俺達のハラハラぶりを知ってか知らずか、王子の巨人は爆炎を背にして弓を下ろし、誇らしげに地上の人々を見下ろす。ややあって、人々の間からわっと歓声が上がり、拍手喝采の波が巨人を包んでいった。

 そんな中、アウラは唇を引き結び、複雑な表情を浮かべて巨人の姿を見据えていた。魔法の杖を握ったままの白い手が、怒りとも怯えともつかない何かに震えている。


「お兄様が、あんな無茶な戦い方をするなんて……」


 絞り出すような姫君の一言に、俺も無言で頷いた。

 変身能力を得たばかりで加減を知らないのだとしても。落下先を考えずに巨獣を撃ち落としたり、街中でトドメを刺そうとしたりと、彼の戦いぶりはあまりに人々への配慮に欠けるものに思える。アウラの心の支えだったという「お兄様」のイメージと、俺の中ではどうにも重ならない。


「……感動の再会どころじゃなくなっちゃったな」


 それでも少しは和ませようと思って俺が言うと、その意図を察してか、アウラは無理したようにクスリと笑った。



***



 その後、重傷の国王が王都の医術院に搬送されるのと時を同じくして、王子もまた華々しく王宮への帰還を果たした。

 生還の祝いも早々に、彼は城内の指揮官室に人を集めた。アウラを筆頭に、王国防衛隊の中心を担う数名の上級騎士や重臣達。シルヴィアとパルフィ、それにローリエをはじめとする魔学研究所の面々も居並ぶ中、俺は若干の居心地悪さを感じながらその片隅に立ち、事態を見守っていた。

 一同を見回す王子の傍らには、イーヴルと名乗ったあの紫のローブの女が、妖しげな微笑をたたえて佇んでいる。

 

「本日をもって、王国防衛隊の指揮官には私が復帰する。アウラ、これまでご苦労だった」


 王子が切り出すと、アウラは「いえ……」と軽く流すように首を振ってから、待ちきれないとばかりに質問を返した。


「それより、お兄様、あの巨人の力は一体!?」

「見ての通りだ。彼女の助けにより、私は巨獣兵器と渡り合う力を得た」


 彼の発言に合わせて、ローブの女は皆に向かって控えめに会釈する。慇懃無礼を絵に描いたようなその態度は、どこか先日の異界人――ミェーチが人間に擬態した姿を思い出させた。


「今後はもはや、国の守りを異界人に委ねる必要はない」


 明らかに俺に挑発的な視線を向け、王子は言い放った。アウラやシルヴィア達の空気がぴりっと張り詰めるのを感じつつ、俺は黙っていられず言い返す。


「どうだか。あんな戦い方してるようじゃ、ヒーローを名乗るには早いんじゃないの」

「何だと?」

「もっと、巨獣を引き付けて戦場を移すとか、色々できたはずだろ。アンタの無茶のせいで、危うくあの街の人達に被害が出るところだったんだぞ」


 本気の怒りもあったが、同時に、俺が言わなきゃ誰が彼を諭してやれるんだという思いもあった。

 案の定、周囲の騎士や重臣達は、俺の物言いにアワアワと慌てた様子を見せるばかり。この国の人達が身分に遠慮して口出しできないなら、余所者の俺が言ってやるしかない。

 王子は眉をひそめて俺を睨み返し、威厳を保ったままの声で反論してくる。


「私が戦わねば、さらに多くの犠牲が出ていた。貴君ならあの巨獣を確実に街から引き離せたとでも言うのか」

「ああ、アンタよりは上手にね。ていうか、俺が戦ってれば、そもそも片方取り逃がす前に二体ともあの場で倒してるって」


 俺が負けじと言い返すと、王子はフンと鼻を鳴らして、


「それで、貴君はいつまで我々に肩入れしてくれるのだ。永遠に我が国のために身命を賭して戦ってくれるのか」


 と、別の角度から切り返してきた。

 俺にと言うより、その場の一同に問い質すように、王子はぐるりと皆を見渡して続ける。


「いつまた気まぐれに別の世界へ旅立つかもしれない、いや、事によっては我が国に牙を剥くかもしれない。そんな者に国の命運を預けろと言うのか?」

「……それは」


 俺が二の句を継げずにいると、再びアウラが口を開いた。


「それを仰るなら、その者こそ本当に信用できるのですか。彼女も異界人なのでしょう?」


 皆の視線がローブの女に集中する。女自身が沈黙を保つ中、彼女を庇うように、王子はブレスレットを巻いた左腕を広げて言った。


「巨獣兵器にやられて瀕死だった私を、彼女が救ってくれたのだ。異界の技術に由来する力でも、私が振るう分には問題あるまい」

「……それだけどさ」


 女神から聞いた話が脳裏をよぎり、俺は思わず口を挟んでいた。


「俺が聞いた限りじゃ、天上界からは一つの世界に一人の使者しか送り込めないらしいんだよ。ってことは、そのヒトは、例のミェーチと同じで、自前の技術で世界を超えてきたってことになるんだけど」


 そこで初めて、女自身が「あら」と反応を示した。


「それの何がいけませんの? 私は平和の使者としてこの世界に参りましたのよ」


 あくまで穏やかな微笑を浮かべたまま、女は妖しく光る双眸そうぼうで俺を見据えてくる。掴みどころのないその空気は、王子の威厳よりもずっと俺を萎縮させた。


「……そ、それが怪しいんだって。天上界の変人女神でもないヤツが、なんで好き好んで他の世界にボランティアしに来るんだよ。……大体、イーヴルって、名前からしてワルモノっぽいし!」

「あら、evilイーヴィルではございませんわ。で『酔った』という意味のivreイーヴルです」

「なっ……!?」


 コイツ、なんで俺の世界の言葉のことを――!


「お節介な部外者はお互い様でしょう、異界の英雄さん。信用してくださいませ」


 アウラ達が話を理解できないといった様子で目をしばたかせる中、謎を秘めた女の笑みに俺だけが戦慄していた。

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