第21話 もう一人の巨人

 俺達が小型竜ドラゴネットを駆って辿り着いた時には、既に国境線近くの自軍陣地は壊滅的な状況だった。

 地面をえぐる激しい砲火の爪痕。それでも懸命に敵を押し返したのか、多くの兵士が負傷し手当てを受けている。今は攻撃の波は止んでいるが、次の敵襲に備え、戦場の兵士達は反撃の準備に駆け回っていた。


「王女殿下、入られます!」


 本陣の近衛このえ兵が声を張り上げる。アウラに続いて俺も陣幕をくぐると、物々しい警備の中、医療魔導師達が奥の寝台を囲んで、そこに横たわる人物の治療に当たっているのが目に入った。

 上半身に巻かれた包帯も痛々しい、満身創痍の姿。今は息も絶え絶えといった様子だったが、無骨な印象を抱かせる顔立ちは指導者の威厳を思わせる。

 あの人がこの国の王――アウラ達の父親か。


「お父様っ……」


 片手を口元に当て、金髪の姫君が息を呑む。皆の手前か、今にも声を上げて駆け寄りそうな勢いを抑えて、彼女は気丈に冷静さを保ったまま寝台に歩み寄った。

 魔導師達が心得たように場所を譲る中、アウラは寝台の傍らにひざまずき、父親の片手を自身の両手でそっと包む。


「お父様、アウラが参りましたわ」


 彼はうっすらと目を開け、アウラの姿を見るか見ないかの内に、後ろに控える俺に視線を向けてきた。


「その者は、なんだ……」


 さすがに王の慧眼けいがんなのか、一瞬で俺という余所者の存在に気付くなんて。何か咎められた訳でもないのに、思わず体が強張ってしまう。


「ご安心ください、お父様。この者は異界の英雄、我が国の味方です」


 あのアウラがそんな風に言い切るのを聞くと、少しくすぐったい心持ちがした。

 そのまま、俺を値踏みするように数秒ほど見ていたかと思うと、重篤の国王は娘に目を向けて尋ねる。


「……ケラトは、どうした」

「お兄様ですか? 私はお会いしておりませんが……」


 僅かに戸惑った様子を見せるアウラに対し、父親は、彼女に握られた片手を手招きのごとく僅かに引いた。

 その意図を察したように、彼女はその枕元に顔を寄せる。金髪の姫の耳元に向かって、彼は短く何かをささやいたようだった。

 俺にも、きっと周囲の誰にもその声は聴き取れなかったが、アウラの赤い瞳が静かな驚愕に見開かれたのは、俺の目にもハッキリと見えた。

 それきり、張り詰めていた糸が切れたように、彼の手がするりとアウラの手から落ちる。


「お父様っ!」

「意識を失われただけです」


 魔導師の張り詰めた声。すっと立ち上がったアウラの顔は、動揺を懸命に抑え込んでいるように俺には思えた。


「一刻も早く、お父様を後方へ」

「はっ。王都の医術院へお運びする手筈は整っております」


 第一王女のめいを受けた彼らがバタバタと動き出す中、突如、陣幕の外からカンカンとけたたましい鐘の音が響いてきた。

 何事かと振り向くよりも先に、


「敵襲! 敵襲ーッ!」


 血相を変えた兵士の叫びが、周囲を一斉にどよめかせる。


「行きましょう!」


 アウラがたちまち険しい目になって促す。二つ返事で頷いて、俺は彼女と並んで本陣を飛び出した。

 慌ただしく駆け回る人波の向こう、地平線の先に敵軍の影が見える。先制とばかりに撃ち出される味方の大砲の砲撃音が、大地を揺らし耳をつんざいた。

 自陣に並んだ移動式の大砲から、二発、三発と続けざまに砲撃が放たれる。だが、その砲弾はいずれも、地平の彼方の敵軍に届く前に、に遮られて空中で炸裂した。


「! あれは!?」


 近衛このえ兵達に囲まれて、アウラが目を見張る。

 砲弾を遮ったのは、空中から風を纏って舞い降りた二つの巨体。敵の軍勢を守るかのように地上に降り立った四足歩行の巨影二つが、砂塵を巻き上げ荒々しく大地を踏み締める。

 龍人の視力に頼るまでもなく、遥か遠くからでもその正体は容易く判別できた。

 背面に翼を備えた牛型の巨獣と、同じく誇らしげに翼を広げた鹿型の巨獣。あれは、前に倒したのと同じ――


「ヒギュードン、それにヒログラス!」

「そんな名があるの!?」

「いや、こっちの話……!」


 アウラと顔を見合わせ、俺は右腕のブレスレットを構える。

 さすがに撃破した個体が復活したとは思いたくない。新しい結晶体さえあれば、同種の巨獣兵器をいくらでも繰り出せる、ってことか……!


「殿下、ご客人、ひとまず退避を!」


 俺の正体を知らない近衛兵達が、アウラともども俺にも退避を促してくる。アウラはそれを片手で遮って、小型竜ドラゴネットの繋がれているほうへ目を向けた。


「私も上空から援護するわ」

「いや、飛べる敵相手に危ないって。護衛で俺を連れてきたんだろ?」


 とはいえ、俺自身も、あの巨獣との戦いには逡巡せざるを得なかった。

 誰がどうやって操っているのか知らないが、あの二体は明らかに敵軍と連携している。今の俺の力なら巨獣兵器自体は恐れるに足らないだろうけど、巨獣だけならともかく、生身の敵兵にまで巨人の力を振るっていいのか……?

 ――いや、迷っている余裕はない。とにかく、巨獣が兵士達を蹂躙する前に止めないと。

 俺が決意し、ブレスレットをかざそうとしたところで、


「待てっ!」


 ふいに、背後から凛々しい男の声が響いた。

 振り向いた兵士達が一斉にざわめく。アウラも俺のそばで驚愕に顔を凍りつかせた。

 ローブ姿の何者かを傍らに伴って、颯爽と姿を現したのは、気品のある金髪を風になびかせた若い男性。黒地の上品な装束には、アウラと同じ意匠の金刺繍が踊っている。

 真紅の眼光できらりと俺達を見据えてくる、その正体は――。


「お兄様っ!?」


 アウラが声を上げるよりも先に、俺もその人物の素性に感付いていた。

 巨獣兵器との戦いで消息不明になっていた……そして、パルフィの目が確かなら、先日彼女の前に姿を現したという、アウラ達の兄か……!


「元気そうだな、アウラ。この場は私に任せておけ」


 妹をねぎらうように彼は言い、こうべを垂れる兵士達の間を歩み出てくる。


「ですけど、お兄様――」


 驚愕と困惑の入り混じった表情でアウラが言い返す。再会を喜ぶ余裕は微塵もなさそうだった。

 俺もまたアウラと同様に眉をひそめた。この国の王子とはいえ、生身の人間が巨獣兵器相手に何をするつもりなのか……と思ったとき。


「ご心配は不要ですわ、皆様方」


 俺達の疑問に答えるかのように、王子の傍らに付き従う何者かが、涼やかな声を響かせた。

 紫のローブを纏った細身の女性だ。魔導師というより魔女とでも表現するのが似合いそうな、妖艶な雰囲気を纏った若い女。うねりのある黒い髪には、ところどころ取って付けたような紫色が混ざっている。

 その彼女が、王子の一歩前に出て、俺達にうやうやしく頭を下げてきた。


「お初にお目にかかりますわ、王女殿下。それに異界の英雄さんとやら。私は『イーヴル』と申します」

「! 俺のことを――」


 頭を上げた彼女が、妖しい目で俺を見て微笑む。


「もちろん存じておりますわ。天上界が遣わした正義の使者、龍王巨人ヒリュウジン……でしたか」


 ぞくっと背筋に悪寒が走る思いがした。あの異界人――ミェーチの円盤内で名乗った名前を、この女がなぜ……。


「ですが、あなたのお役目はもう終わりです」


 絶句する俺の前で、アウラや周囲の兵士達をすっと見渡して、女は続けた。


「私やあなたのような異界人は、どこまでいっても部外者に過ぎません。この世界を守るお役目は、この世界の高貴なお方にこそ相応しいでしょう」


 その言葉を引き継ぎ、王子が再び口を開く。


「そういうことだ。異界人の手出しは無用。我が国を脅かす巨獣兵器は、このケラト=シャトランジュが倒す!」


 そして、すれ違いざまに、アウラの肩にそっと手を乗せて。

 ハッと振り返る彼女と、揃って目を見張る皆の前で、彼は左腕を天に向かって突き出した。

 その左手首には、俺のものと似たブレスレットが巻かれ、いびつな形の宝玉がオレンジ色の光を放っている。


「――角醒かくせい!」


 力強い叫びとともに、彼の全身はまばゆい光に包まれ――


「あれはっ!?」


 次の瞬間、天地を揺らして俺達の前にそびえ立ったのは、戦陣を遥かに見下ろすの背中だった。


「お兄様が、なぜ……!」


 戦慄に震えるアウラの声。風に舞い上がる土煙の中、巨人が振り向き、スリットの奥の両眼で俺達を見下ろしてくる。

 駿馬しゅんめを彷彿とさせる精悍せいかんな立ち姿。騎士の兜に馬の意匠を織り込んだような頭部に、一角獣ユニコーンを思わせるつの状の装飾。胸部では、蹄鉄ていてつのような紋章が装甲となって光沢を放っている。

 先日のパルフィの巨人化とはモノが違うと一目でわかる。あれはまさか、俺と同じ――。


角行かくぎょう巨人クラウンアーク、参る!》


 空気を震わす名乗りとともに、巨人は鋭く地面を蹴り、巨獣兵器の迫る地平へと駆け出していた。

 巨人の出現を視界に捉えたのか、二体の巨獣がいずれも翼を羽ばたかせて向かってくる。次の瞬間、見えない階段でもあるかのように、巨人は足場のない宙を蹴って空中へ駆け上がった。


「何っ……!?」


 この世界の魔法では、翼もなしに重力に抗うのは難しいというようなことを前にローリエが言っていたはず。やっぱり、あの巨人も、この世界のことわりを超えた存在……!


《――ハッ!》


 いつの間にか、巨人は左腕の先に鋭い円錐えんすい形の光の槍を出現させていた。まっすぐ突っ込んでくる牛型の巨獣に、巨人も躊躇ためらうことなく真正面から飛び込み、その頭部めがけて左腕のランスを突き出す。

 金属質の轟音が空に轟き、ぶつかり合った両者の巨体が互いに吹っ飛ばされた。

 激突の瞬間に頭部のつのを打ち砕かれ、牛型の巨獣は鮮血を散らして苦しげに呻く。対照的に、巨人は光の槍を失いながらも、見えない足場を踏みしめるように空中で体勢を立て直し、スリットの奥の目でギラリと鋭く敵を見据えていた。

 天にかざした左手の宝玉から、円弧えんこ状の光が弓のように展開する。巨人が左腕を突き出し、つるを引き絞るかのように右手を添えて構えると、稲妻のような光がバチバチと集束して鋭い矢を形作った。

 咆哮を上げて向かってくる牛の巨獣に狙いを定め、巨人は間髪入れずその矢を撃ち放った。音を置き去りに風を裂く光の矢が、敵の巨体を空中で串刺しにする。

 刹那、天を染める大爆発が巻き起こり、巨獣は断末魔の叫びをもかき消されて跡形もなく砕け散った。


「おおっ、王子殿下が!」

「巨獣兵器を倒した!」


 周囲の兵士達がその戦果に歓声を上げる。

 地平線上の敵兵達がたちまち退却に転じる中、残されたもう一体の巨獣、鹿型のヒログラスが翼を大きく羽ばたかせ、高度を上げて飛び去っていく。あれは王都の方角……!


「まずい……!」


 俺が巨獣の行く手を振り仰いだ時には、既に巨人も動いていた。

 忍者の水蜘蛛みずぐもか何かを思わせる光の円盤を、両足の先に出現させ、巨人は空を蹴るように飛翔して巨獣を追う。あれはまさか、異界人の円盤と同じ反重力技術……?

 見る見る内に遠ざかるその背中を見上げ、アウラが俺に顔を向けた。


「黙って見ている訳にもいかないわ。追いましょう!」

「ああ。――龍陣りゅうじん!」


 兵士達の驚愕の視線を一手に受け、俺も閃光の中で龍の巨人へと成り変わる。

 アウラを片手に乗せ、炎の翼を広げて、俺は巨獣と王子を追って天をけた。

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