第23話 私達はあなたを信じているわ

 得体の知れない女の笑みに、俺は心臓を鷲掴みにされたように凍りつく。

 他の皆も口を挟めずにいる中、ローリエが小さな手を挙げ、緑の目でじっと女を見上げて問うた。


「じゃあ、そのお節介さんに訊くけど。その変身能力、絶対に危険はないと言えるのかい」


 魔学博士の問いに、イーヴルと名乗る女はニコリと微笑みを返す。


「ええ、ご心配要りませんわ。殿下にお授けしたのは、異世界の一角獣ユニコーンの力を並列空間から召喚し、位相転換で巨人に成り変わるシステム。魔力は宝玉内に組み込まれたアルケミック・リアクターで生み出しているので、殿下の心身をむしばむこともありません」


 淡々と述べられるその説明には、わざとこの世界の魔学者の知らない概念で煙に巻いてやろうという意図が感じられた。

 ローリエが「リアクター……」と小さくその言葉を繰り返し、チラリと俺の顔を見てくる。俺はお手上げとばかりに首を横に振ったが、異界人の女はそれに「あら」と反応してきた。


「異界の英雄さんはご存知ありませんこと? で言えば『反応はんのう』、ニュークリア・リアクターのリアクターですわよ」

「! ニュークリア……って、まさか原子力!?」

「その魔力版ですけど、概ね似たような原理と思っていただければ結構ですわ」


 一同の視線が彼女と俺に注がれている。どこまでも魔法の世界に不釣り合いなその話に、俺は奥歯を噛み締めた。

 確か、あのミェーチも同じ言葉を口にしていたはず。要するに、異界人の侵略兵器や、王子の変身した巨人は、魔力の原発みたいなもので無尽蔵のエネルギーを得ているってことか……!

 俺自身、天上界の女神なんかに力を授けられておいてナンだけど――


「そんなもの……この世界には早すぎる」

「それをお決めになるのは、この世界の皆様ですわ」


 女に目を向けられ、王子は「うむ」と腕組みして頷いた。


「侵略者が我々を上回る魔学技術をもって攻め込んでくる以上、我々にはそれに対抗する力が必要だ。私の得たこの力は、この世界にとっての福音となろう」


 自信満々に言い切る彼の目は、本心からそれを信じ切っているように見えた。

 だけど……俺の知る特撮番組のパターンからすると、これはきっと危険な流れに違いない。人類が強大すぎる力に手を出したら、必ず手痛いしっぺ返しが来る……。

 そこで、妹やパルフィの様子を横目に見てから、アウラが再び口を開いた。


「それなら、お兄様がパルフィ=キャロスに結晶体を与えたというのは? 何のためにそんなことを」

「無論、その娘が力を欲していたからだ。異界人の彼女より、顔を見知っている私が与えたほうが安心できよう」


 王子に目を向けられ、騎士娘の肩がびくっと震える。緊張に顔を強張らせる彼女の手を、横からそっとシルヴィアが握り締めていた。


「国を守る役目には、我が国で生まれ育ち、我が国に忠誠を誓った者こそが相応しい。もっとも、その娘では力不足だったようだが」

「お前っ……!」


 思わず殴り掛かりそうになる気持ちを、姫達の手前、俺は必死に抑え込んだ。

 それにしたって、随分と突き放した物言いじゃないか。アンタを信じてそれを受け取った結果、この子は危うく人間に戻れなくなるところだったのに……!


「これからは私自身が先頭に立ち、外敵を迎え撃つ。この国を異界人の好きにはさせん」


 語気を強めて言い切った彼の言葉には、敵だろうと味方だろうと――という意図が明らかに込められていた。

 国の守りを余所者には託せない、か……。出会った頃は似たようなことを言っていたはずのアウラも、今や煮え切らないような表情で唇を引き結んでいる。

 そこで、今まで沈黙を保っていたシルヴィアが、パルフィの片手を握ったまま、青い目で兄を見据えて言った。


「……わたくし達の救世主は、ヒナリ様しかいません」


 意を決したようなその一言に、俺がドキリとしたのも束の間。


「では、シルヴィアはその者を婿とし、王宮を出るように」

「っ……!?」


 さらりと告げられた王子の一言に、俺も、当のシルヴィアも、そしてその場の誰もが目を見張った。


「城内の者から報告は受けているぞ。その者と結ばれることがお前の望みなのだろう。彼には相応の爵位と領地の一つも与えれば文句はあるまい」

「それはっ……!」


 普段あれほど俺への好意をアピールしてくる彼女も、さすがにこの時ばかりは兄の命令に喜んで飛びつくとはいかず、焦った顔で俺やアウラのほうを見てくるばかりだった。

 俺に選択の自由はないんですか――なんて軽口を叩く気にも、もちろんなれない。

 そこで、妹を庇うようにアウラが歩み出て言った。


「お兄様、そのお話はどうか、またの機会に。国難の今、仮にも防衛隊の一員たる彼女を王都から離れさせる訳には……」


 その発言を片手で遮って、王子は彼女にも向き合って告げる。


「お前もだ、アウラ。父上が倒れられた今、お前には父上に代わって国境防衛線の前線指揮に就いてもらわねばならない。本来なら私がその任に就くところだが、あいにく他の役目が出来たのでな」


 左腕のブレスレットを軽く構えてから、彼は有無を言わせない口調で続けた。


「直ちに赴任の準備を進めよ。王族が何日も前線を空ければ、兵達の士気に影響する」

「……私には、そんな大役は務まりませんわ」


 俺は思わず、えっ、と呟いて彼女の目を見た。

 ある意味最も信じがたい一言だった。兄の前とはいえ、あのアウラが自分を下げるようなことを言うなんて。

 その彼女はちらりと俺を見て、静かな熱を込めた声色で王子に食い下がる。


「それよりも、異界人といえど、この者はこの世界のために尽くしてくれています。巨獣兵器への対処は引き続き彼に委ね、前線を率いる役目はどうかお兄様が……」

「何度も言わせるな。異界人を国防の戦力に数える訳にはいかん。――それに」


 アウラと同じ色をした王子の瞳が、ぎらりと一瞬俺を睨んでから、再び彼女に向けられる。


「私が戻った以上、お前が王太子おうたいしの身分を代行する必要はなくなった。つまり、その者の処遇に関して、お前にはもう決定権はないということだ」


 その言葉は、アウラのみならずこの場の全員に、俺という余所者をどう扱うべきかを言外に告げているようだった。

 シルヴィアのすがるような目が「行かないで」と言っている。パルフィやローリエ達も、それぞれに心配そうな視線を俺に向けてくれていた。

 正直、彼女達がそんな風に思ってくれるだけでも、俺には出来すぎだろう。

 対して、元より俺と大した関わりのない騎士や重臣達は、一転して俺に白い目を向けてくるのが印象的だった。……上司へのお追従ついしょうが処世術の基本なのは、どこの世界でも同じか。


「わかったよ。言われなくても出ていきますよ」

「ヒナリ様っ!」


 俺に駆け寄ろうとするシルヴィアの手を、アウラが掴んで止めていた。

 俺が部屋を出ていく間際、金髪の姫は真紅の瞳で俺を見つめて、


「……私達は、あなたを信じているわ」


 偽りのない本心と思える一言を、噛み締めるように告げてきたのだった。



***



 王宮を出て、城下の街に足を踏み入れる頃には、もう日が暮れかかっていた。

 貴族風の服装でお供も付けずに歩く異邦人の俺に、街の人々がチラチラと好奇の目を向けてくる。言葉は通じるけどお金はないし、さてどうしたものか……と思ったとき、上空から「ヒナリ!」と名を呼ぶ声が聴こえた。

 反射的に見上げると、両腕に変な翼を付けたローリエが、ローブの裾をバタバタとはためかせて降下してくるところだった。

 周囲の人々が何だ何だとざわめく中、子供の姿の魔学博士は俺の眼前に降り立ち、翼を畳んで「やあ」と改めて挨拶してくる。


「ここに居たか、探したよ」

「……ウソばっか。すぐ来たじゃん」

「まあね。君は見つけやすいからね」


 彼女がくるっと周りを見回す頃には、人々は「なんだ、子供の遊びか」といった風情で俺達から目を離していった。

 にっと笑って俺を見上げてくる彼女に、俺は顔を寄せて尋ねる。


「何しに来たの。俺、もう用済みらしいんだけど」

「だからだよ。この機に乗じて抜け駆けさせてもらおうかと思ってね」


 くくっと楽しそうに笑って、彼女は続けた。


「君に恋する姫達は、そうそう簡単に王宮を出るわけにもいかない。今や君にぞっこんのパルフィちゃんも、あのピリピリした宮中にシルヴィー姫を放っといてはおけない。しぜん、自由に動けるのはボクくらいってわけさ」

「なんか今、色々と余計な形容詞がくっついてた気がするけど」

「まあ、冗談はさておき」


 子供サイズの両腕をわざとらしく広げて、ボクっ娘は言う。


「宿に入るにしても何をするにしても、人種の違う君は目立つ。せめて子供連れのほうが警戒されないだろう?」

「俺の世界だと、君みたいな子を連れてるほうが怪しまれるんだけどな。……ていうか、子供扱いは嫌いなんじゃ?」

「モノは使いようだよ。君がボクを淑女扱いしてくれればそれでいいのさ」

「ふうん……」


 ひとまず、俺は素直に彼女に手を引かれ、街の雑踏の中を歩き出した。



 屋台を思わせる簡素な食事処のベンチに並んで腰掛け、何かの肉の串焼きを安酒で流し込みつつ、俺はボクっ娘博士の横顔を見下ろして尋ねる。


「……今更だけど、いいの、俺に付いてきて。よく知らないけど、君の立場も危なくなるんじゃないの」


 すると、彼女は頬張っていた肉をごくんと飲み込んでから、「まあ」と両手を広げ、自嘲ぎみに言った。


「どのみち、王子殿下が本当にあの女と共にこの国を守っていくのなら、防衛隊付きの魔学者なんてそれこそ用済みさ。位相転換だのリアクターだの、何一つボクの手には負えないからね」

「そんなことないだろ。君の頭脳を必要とする人は大勢いるって。俺の世界でも、トッププロより遥かに強い将棋AIが出来たからって、人間の棋士が失業したりなんかしてないし」


 通じないのは承知で、咄嗟に連想した話題を出すと、彼女は「ふむ?」と首をかしげて。


「何の話かサッパリわからないけど……君は相変わらず、何より先に励ましの言葉が出てくるんだね。皆が君に惹かれる理由がわかるよ」


 と、俺をどきっとさせる一言を差し込んできた。

 それから、酒の代わりに出された果実水らしきものを舐めるように飲んでいた彼女は、ふいに「おや」と顔を上げる。


「君のお嫁さん候補達のお出ましだよ。やっぱり抜け駆けはさせてくれないね」

「へ?」


 俺がつられて目を向けた、その先には。


「姫様がどうしてもヒナリ様を追うと。私はちゃんとお止めしたんですよ、陛下のお見舞いを口実にするなんて恐れ多いと……」

「あら、あなたもまんざらでもない顔をしていたでしょう? 国の一大事ですもの、お父様もお許しくださるわ」


 やれやれ顔の裏に笑みを隠しきれていないパルフィと、それ以上に悪戯めいた笑みを隠す気もないシルヴィア。

 そして――


「私は前線に赴任する前に街を視察に来ただけよ。一刻も早く王宮を発つよう命じたのはお兄様なのだから、文句は言わせないわ」


 聞いてもいない言い訳を先回りして並べ、どこか気恥ずかしそうに俺を見てくるアウラの姿があった。

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