第16話 騎士娘の本心

 それから一週間ほどが過ぎて、この世界での暮らしにも少しずつ慣れてきた頃のこと。

 この日、俺は朝から王宮敷地内の訓練場でパルフィに剣の稽古を付けてもらっていた。変身後の姿がどんなに強くても、生身でいる時に何も出来ないのでは決まりが悪いので、平時にはせめて形だけでも訓練することにしたのだけど――。


「ちょっと、待って待って、タイムっ!」


 騎士娘の鋭すぎる剣閃に圧倒され、俺はたまらず芝生に尻餅をつく。訓練用の軽装に身を包んだパルフィは、まっすぐ俺を見下ろしたまま、びしっと木剣の切っ先を突き付けてくる。


「甘いですよ。敵は待ってはくれないのは、ヒナリ様もご存知でしょう」

「それはそうだけど、もうちょっとこう……」


 手加減というか――と言いかけて、ギリギリで俺はその言葉を飲み込んだ。さすがに女の子相手に情けないし、何よりこのマジメちゃんにそれは一番の禁句という気もして。


「手心を加えられるほど器用じゃないんです、私」


 俺の内心はバレバレだったようで、パルフィは青空を背に涼しい顔で言った。

 屋外の訓練場を吹き抜ける風が、後ろで結んだ彼女の茶色い髪を煽る。風に乱れた髪の先を彼女が軽く片手で払ったとき、今更ながら、その手の指に真新しい包帯が巻かれていることに気付いた。


「あれ。その手、どうしたの」


 何の気なしに尋ねると、パルフィは一瞬目をしばたかせてから、「いえ」と僅かに恥じらうように手元を隠した。


「大したことありませんよ。少し訓練で血豆ができただけです」

「それ、大したことあるって」


 改めて見てみれば、目の下にもクマが隠しきれていないように思える。アウラといい、この子といい、ちょっと度を超えて頑張りすぎなんじゃ……。


「今も付き合ってもらっておいてナンだけど、君はもうちょっと休まないと」


 俺が立ち上がって言うと、パルフィは僅かに首をかしげ、前にも見た戸惑いがちの顔で俺を見返してきた。


「ヒナリ様は、本当に私のことまで心配してくれるんですね」

「そりゃ、するよ。俺もこないだまで社畜だったから、なんか見てられないっていうか」

「シャチク?」


 律儀にオウム返ししてから、パルフィはシルヴィアがいる王宮のほうを振り仰いで、


「休んでいる余裕なんて、私にはないですよ」


 と、急に張り詰めた声で言う。


「生身のヒナリ様を訓練で圧倒できたところで……今の私の力では、敵から姫様をお守りできない」


 じっと俺を見つめてくるその目には、シルヴィアと一緒にいる時には出すことのなかった、焦りや悔しさの色がありありと滲んでいた。

 この前の戦いで、何もできずに目の前で姫様達をさらわれてしまったのをそこまで気にしていたのか。だけど、あんなの、普通の人間に手出しできる事態じゃないし、彼女が自分を責める必要はないと思うけど……。


「そんなの、君が気にしなくても――」

「気にしますよ。私には、姫様にお仕えすることを取ったら何もないですから」


 あまりにも当たり前のように発せられた一言に、俺はごくりと息を呑んだ。


「か、考えすぎだって。シルヴィーだって、剣の腕だけで君を側に置いてるわけじゃないだろ?」

「それは……どうでしょうね。本当にヒナリ様と結ばれることになったら、姫様はもう私など必要としなくなるかもしれません」


 本気とも冗談ともつかない苦笑交じりで言われ、思わず「いや!」と声が裏返る。


「だから、まず、そんな簡単に結ばれるとかないから! てか、それを言うなら、君だって」

「え?」

「ほら、今は戦いで大変なんだろうけど、それが片付いたらさ。いつかは君にだって、一人の女の子としての幸せ的なやつが待ってるはずだろ?」


 我ながらちょっと気恥ずかしい発言。少しは響くかと思ったけど、彼女は変わらずシリアスな表情のままで。


「私の幸せは……姫様の嬉しそうなお姿を見ることです」

「じゃあ、そのためにも、頑張って早く戦いを終わらせないとな」


 勇気づけるつもりで俺が言っても、微かに睫毛まつげを伏せて、「そうですね……」と答えるだけだった。

 一国の命運を背負ったアウラとはまた違うだろうけど、この子もこの子で、見ていて可哀想になるほど真剣で……。どんな風に励ましたらいいんだろう、と俺が思ったところで、当の騎士娘は、ハッと気付いたように顔を上げた。

 つられて視線を向けた先には、臙脂えんじ色のローブに身を包み、すたすたとこちらへ歩いてくるローリエの姿がある。


「やあ、ここにいたね、ヒナリ。今日はパルフィちゃんと逢引あいびきだったか」


 なかなか君もスミに置けないね、と、どこかのふざけた女神と似たようなことを言いながら、彼女は俺達の前にやって来た。


「君にちょっと頼みたいことがあってね。……おや?」


 軽く一礼するパルフィの顔を下から見上げて、子供の姿をした魔学博士は言う。


「どうした、パルフィちゃん、思い詰めた顔して。ヒナリに求愛でもするのかい?」

「……ヘンな冗談はやめてください」

「つれないね。まあ、ちょうどいい、君も一緒においでよ」


 断る理由もないといった様子で、パルフィは素直に頷いた。



***



 ローリエが俺達を案内したのは、先日通された彼女の研究室ではなく、魔学研究所内の別の一室だった。危険物の保管や実験に使われる部屋らしく、幾何学模様の刻まれた二重の扉で廊下と隔てられている。

 その中心、魔法陣の描かれた机の上に、小さな石のようなものが無造作に置かれていた。


「つい昨日のことだ。フィリドール湾の漁場で、こんなものが網に掛かったと報告があった」


 俺の傍らで彼女の言葉を聞いていたパルフィが、その地名にすぐさま反応した。


「フィリドール湾といえば、先日の」

「そう。クジラ型巨獣兵器が出現した場所だ」


 あの港か……。女神が言うところの鯨鯢けいげい巨獣ケゲールとの戦いを思い返しつつ、俺はパルフィと一緒に魔法陣の上の物体を覗き込む。

 結晶と言うんだろうか、いびつに角張った形をした、イチゴくらいの大きさの赤い塊だった。宝石のような透き通った輝きではなく、血の色を思わせる毒々しい赤。よく見ると内側からほのかに光を放っているようにも見える。


「何、これ?」


 聞かれるのを待っていたとばかりに、ローリエは答えた。


「ボクの分析が正しければ――巨獣兵器の力の源、だろう」

「これが……!?」


 こんな小さい物体が巨獣兵器を生み出しているなんて、簡単には信じられないけど……。


「この中には、君のその腕輪ほどじゃないにせよ、この世界の魔学体系より遥かに進んだ変異術式が組み込まれている。こうして見るぶんには何でもない結晶体のようだが……恐らく、これが生物の体内に入ると、生体魔力と反応して回路が発動し、何らかの原理で対象を巨大化させるんだ」

「何らかの原理って?」

「さあ。ボク達の知り得ない技術で魔力を質量に変換しているんだとは思うけど、それ以上はサッパリさ。あの異界人が言っていた『リアクター』とかいう言葉と関係しているのかもしれないが……。とにかく、子供がイタズラで飲み込んだりしなくてよかったよ」


 子供の顔をしてそんなことを言われると、彼女なりのジョークにしか思えなかった。


「頼みというのはね、ヒナリ。これを君の手で破壊してほしいんだ」

「え?」


 意外なリクエストに俺は目を見張った。隣のパルフィも、「えっ」という顔で俺と彼女を交互に見ている。


「いいんだ? 君のキャラからしたら、『これは貴重な研究材料だ』とか言うと思ったけど」

「言えるものなら言いたいよ。だけど、こんなもの、到底ボクの手には負えない。それより、こんな危険なものをこの世界に残しておくわけにはいかないだろう」

「……まあ、それもそうだけど」


 マッドサイエンティストみたいな属性をしていながら意外と良識派なんだな……というのは、思っても言わない方がいいんだろうか。

 俺は右手のブレスレットに視線を落とし、拳を握って力を込めてみる。宝玉がカッと真紅に光り、素手のままの右手に人間を超えた力がみなぎるのを感じた。

 ローリエに促されるがまま、俺は机の上から結晶体を取り上げる。ぐっと力を入れて握り締めると、ぱきっと高い音を立てて、それは呆気なく粉々になった。

 手のひらに残った残骸が煙のように溶けて消えるのを見届け、ローリエは小さく頷く。


「助かったよ。正直、少し心残りではあるけど」

「やっぱり?」


 俺が微かに笑ったところで、残骸が消えた宙空をぼうっと眺めていたパルフィが、ふと遠慮がちに口を開いた。


「……ローリエさんは」

「ん?」


 騎士娘を見上げ、ボクっ娘はぱちりと目をしばたかせる。この二人が誰かを挟まず向き合って話すのは、きっと珍しい光景なんだろうな……。


「ご立派ですね。ご自身の手の届く範囲と届かない範囲を、しっかり心得られていて」


 パルフィに言われ、ローリエは二秒ほど彼女を見つめてから、ふっと口元を緩ませた。


「君だってそうだろう。大事なシルヴィー姫の手前、自分はヒナリに惚れてはならないと己を律してるじゃないか」

「はっ!? いえ、私はそんなこと……!」

「冗談だよ、冗談」


 赤面するパルフィの様子に俺までドキッとしている横で、ローリエはくくっと楽しそうに笑っていた――が。

 その後、俺達が研究所を辞する時になって、そっと俺の耳元にだけ魔法の声でささやいてきた。


「その子から目を離さないほうがいいよ、ヒナリ」

「えっ?」


 声に出して反応すると、当のパルフィが「?」と俺を見てくる。

 ……この時の俺には、まだ、彼女の本心の全ては分からなかった。

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