第9話 ボクと実験してみるかい
「……俺自身も、詳しいことはあんまり」
興味津々とばかりに目を輝かせるローリエに対して、俺はそう答えるくらいしかできなかった。
どこまで知ってるのかと言われても、俺自身、例の女神からあまり大した説明は受けてないし。それに、女神から聞いた話って、この世界の人に喋っていいんだっけ?
「ふむ。まあ、ひとまず中に入りたまえよ」
気を悪くした様子もなく、彼女は庭園の奥に建つレンガ造りの大きな建物へと俺達三人を招き入れる。ギギイと音を立ててひとりでに開く扉が印象的だった。
がらんとした広間には窓一つなく、かわりに壁面に並んだ水晶玉のようなものが明るい光を放っている。
「いつ来ても静かでコワイわ……」
「取って喰われはしませんよ」
その言葉が聴こえているのかいないのか、ローリエはどこか得意げな声で俺に言う。
「ここの研究室は全て特製の防音仕様でね。中で爆発を起こそうと、魔法生物が暴れまわろうと、傍目には静かなものさ」
「ローリエ……さんが作ったんですか」
少し迷って敬語にすると、彼女は「おっと」とそれを遮って。
「堅苦しい話し方はナシにしてほしいね。敬称から言い淀みまで再現するその翻訳魔法には興味があるが」
「いや、翻訳魔法っていうか、勝手に喋れるようになってたっていうか」
「勝手に? ふむ、やはり興味深い。その様子だと、世界間転移も君の意志によらない偶発的な現象なのかな」
廊下の一番奥の扉にすっと小さな手をかざしながら、彼女はチラリと俺を振り返った。「まあ」と生返事で答える俺の前で、扉の表面に刻まれた幾何学模様が緑色の光を放ち、ぎいっと扉が開かれる。
水晶玉の光でほの明るく照らされた室内には、壁一杯の本棚に収まりきらずに積み上がった本や、何かの生き物の骨格標本、望遠鏡のような筒状の道具、その他何に使うかも分からない器具が所狭しと置かれていた。
背後で扉が閉まるやいなや、ローリエは「すると」と俺の顔を見上げて会話を再開する。
「やはり、例の円盤は君のではないんだね」
「円盤? それって、宇宙人とかが乗って飛んでくる……?」
魔法の世界に似合わない言葉が出てきたな、と思いながら聞き返すと、彼女は「ほう」と楽しげな目になって。
「ウチュウジンというのは知らないが、『円盤』が乗り物で、空を飛ぶものだという概念は君の常識にあるのか。やはり、あれは君の世界と無関係ではないのかな」
「え……」
「ねえ、姫。面白いと思わないかい」
ふいに水を向けられ、シルヴィアは一瞬ビクッとしてから、小さく頷いて俺を見てきた。
「ヒナリ様がこの世界にいらっしゃる少し前から、王国防衛隊の天文台が、不思議な光を放つ円盤を度々観測していたんです。龍の巨人の伝説にも、異界の軍勢は光る円盤に乗って空から来るとあるので……ヒナリ様と同じ世界のものではないかと、お姉様達ともお話していたんですよ」
少し苦手だという魔学博士の顔を横目にチラチラと見ながら、それでもシルヴィアは真面目な口調で話した。
うーんと首を捻って、俺は誰にともなく答える。
「でも、俺の世界でも、空飛ぶ円盤は作り話の中のものっていうか。実際にある訳じゃないんだよ。物語の中で、他の星から来る奴らが乗ってるの」
「他の星?」
キョトンとするお姫様の声に続いて、ローリエも「他の世界ではなく?」と食い気味に聞き返してくる。
「宇宙人と異世界人は違うと思うよ。俺もよくわかんないけど」
「ふむ……」
そこで、シルヴィアが胸の前でぱんっと手を合わせて、明るい声に転じた。
「でも、大丈夫ですよ。敵がどこから来ようと、ヒナリ様がわたくし達を守ってくれます。ねっ?」
急に甘い上目遣いを向けられ、俺がどきっとしたところで、沈黙を保っていた騎士娘が横から口を挟む。
「ダメですよ、国を守る私達が最初から巨人の力に頼りきりでは。それに、ヒナリ様の体は一つなんですから」
「ん?」
なんだか、言葉の前半と後半でニュアンスが違ったような……。
「君、もしかして俺のこと心配してくれてる?」
思ったまま尋ねると、パルフィは一瞬ハッとした顔になって、「それは」と珍しく言い淀んだ。
「まずは、私達自身の力で敵と戦うことを考えなければという……」
「あっ、ズルいわパルフィ、ヒナリ様の身を案じていいのはわたくしだけよ」
「案じてなんかっ……いや、いない訳ではないですけど……」
ハッキリしない声で言いながら、パルフィは顔をうつむけてしまった。
この子がこんな反応を……と俺が呆気にとられていると、くっくっと楽しそうに笑うローリエの声。
「さすが、龍の巨人ともなれば引く手数多だね。『英雄
「いや、俺は別に……!」
「まあ、ダメです、ヒナリ様はわたくしと結ばれると決まってるのですから」
「それも別に決まった訳じゃないけどね!?」
お決まりのツッコミを返して一息ついたところへ、「さて」とローリエが落ち着いた声で切り出してくる。
「その龍の巨人についてだけど――」
背丈に不釣り合いなチェアに音もなく腰を下ろし、俺達にも着席を勧めつつ、彼女は机の上から書類の束を取り上げていた。
「シルヴィー姫の報告書によれば、巨獣兵器との戦いで死に瀕したドラゴンが、突如として真紅の光に包まれたかと思うと、光が晴れた時には龍の巨人の姿に変わっていたという。これだけなら、龍が巨人にただ変異したと解釈できなくもないが……」
めいめい椅子に腰掛けた俺達の前で、彼女は語る。その手元に見える書類には、青いインクでびっしりと綴られた文章に加えて、あの牛型の巨獣や、俺が変身した龍の巨人の簡単なスケッチまで添えられていた。
このお姫様、ちゃんと報告書とか書けるんだ……。意外に思って本人を見ると、シルヴィアは気恥ずかしそうにはにかんできた。
こほんと小さく咳払いして、ローリエが俺の目を見てくる。
「
「はぁ」
アウラもそれを気にしていたし、魔法のある世界でも有り得ることと有り得ないことがあるっていうのは、何となく俺にも分かってはきたけど……。
胸元から細い杖を取り出したローリエは、その先端に緑色の光を灯らせて言った。
「その腕輪をボクに分析させてくれないか。転移や巨人化の仕組みが少しは分かるかもしれない」
「でもこれ、外せないんだよ、ホラ」
俺がブレスレットを引っ張りながら言うと、彼女は「ふむ。それなら」と呟いて、小さな腕をすいっと俺の手元に伸ばしてきた。
瞬き一つする間に、ひんやりした幼女の片手が俺の手首を掴んでくる。傍らでシルヴィアが「わたくしのヒナリ様にっ」とか何とか声を上げるのを、パルフィが「まあまあ」となだめるのが耳に入った。
それを軽くスルーして、ローリエは杖を俺のブレスレットに向け、星型を描くようにすいすいと素早く動かす。その場に浮かび上がった小さな魔法陣を覗き込むように、彼女は俺の手元に顔を近付け、そして一秒と経たずに目を見開いた。
「これは……!?」
ぐいっと手を引かれ、俺は上体を引き寄せられる形になる。ローブの胸元から奥が見えそうで、咄嗟に目を背けた。
そんなことに微塵も気付かない様子で、ローリエはじっと魔法陣越しに俺のブレスレットを凝視している。
「……何か分かるの?」
「いやはや、予想以上だよ、これはっ」
すっと顔を上げてきた彼女の瞳は、これまでで一番楽しそうに輝いていた。
「理論は想像もつかないけど、何が起きているかはかろうじて推測できる。この魔導具、と言っていいのか分からないが、君の腕輪に組み込まれているのは、高次元空間を介して君とドラゴンの位相を重ねる術式だろう」
「……?」
何が何だかサッパリだけど、彼女の声の弾み方をみれば、何かスゴイことを言っているのは伝わってくる。
「ドラゴンとの融合体と聞いて、キメラみたいなものかと思っていたけど、文字通りそんな次元の話じゃなかった。軽々にこの単語を口にしたくはないが……これを作った者は、ボク達の世界から見れば神としか言いようがないね」
神は神でも天国テレビの変人女神だけど……。と明かしていいのかどうか分からないので、ひとまず黙って頷いておいた。
魔学博士は数秒ほど天井を仰いでいたかと思うと、すっと杖を引いて魔法陣を消し、俺の手首から手を離して、はぁっと小さく溜息をついた。
「……どしたの」
「いやぁね、ボク達が数世紀かけて積み上げてきた魔学体系なんて、高位の技術を持つ異界の存在から見れば、児戯に過ぎないのかもしれないと思ってね」
この世界はあまりに無知で無力だ――と、子供の姿に似合わない憂いを帯びた表情で彼女は続けた。
いやいや、と俺は思わずその前で手を振る。
「俺からしたら、位相がナントカとか一瞬で見極められる時点で十分凄いって。俺の元いた世界なんか、魔法自体なかったんだから」
すると、ローリエはぱちりと目を
「君の励ましはあまり上手くないね、ヒナリ。魔法を持たない人類がどうやって文明を築くんだい」
「……それはまあ、科学の力とかで色々?」
「くくっ。カガクというのが何かは知らないが、この恐るべき力をこの世界に持ち込んだのが君のような善人でよかった。今後も君のことを研究させてほしいね」
まっすぐな目で見つめられ、俺が思わず頷くと、彼女は愉快そうに唇をつりあげて。
「例えば、シルヴィー姫は簡単に子作りなどと言うが、この世界の人間と君との間でそれが可能なのかも定かでない。一度ボクと実験してみるかい?」
「はあ!?」
出し抜けにとんでもないことを言われ、俺は反射的に声を裏返らせていた。
お姫様と騎士娘もさすがに口をパクパクさせている。その反応がよほど狙い通りだったのか、ローリエは満足げな笑みとともに言った。
「冗談だよ。ボク自身の心情はともかく、この肉体年齢の少女に手を出したとあっては、少なくともこの世界では変態扱いだ」
「それは俺の世界でもそうだけど……」
「だからボクはね。この体でいる限り、人並みの恋も結婚もできないのさ。哀れんでくれるかい」
大袈裟に両肩をすくめてみせる彼女の言葉には、やはりどこか憂いが感じられた。
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