第6話 共同戦線

 遥か眼下に見下ろす海上の地獄絵図。絶え間なく轟く砲撃音をもかき消す勢いで、クジラのような怪物の咆哮が空気を震わせる。


「ひゃっ!」


 小型竜ドラゴネットの手綱を握るシルヴィアが、俺の前で可愛い声を上げた。

 口では気丈なことを言ってても、やっぱりあんな巨獣の前に出るのはコワイよな――と俺が同情を覚えたとき、その心の声が伝わったかのように、お姫様は「大丈夫ですよ」と若干の照れ隠しを交えた声で言ってくる。


「わたくしだって、王国防衛隊の一員ですもの」


 左手で手綱を握ったまま、彼女は右手に魔法の杖を取り出していた。

 それと時を同じくして、先行していたアウラが、自身のドラゴネットの鞍上から周囲に号令をかける。


「海上部隊を援護するわ。拘束魔法展開!」


 第一王女に続いて、付き従う兵士達が各自の鞍上で杖を構える。シルヴィアも、そして騎士娘のパルフィもそれに続き、各々の杖から銀色の鎖のような光を海上の敵めがけて放っていた。

 上空から滝のように降る光の鎖が、敵の巨体に次々と巻き付いていく。

 グオォッ、と敵は一声吼えて、その巨体を海上でのたうたせた。周囲の船はたちまち波に煽られるが、船上の兵士達は怯む様子もなく、繰り返し敵に砲撃を浴びせ続ける。

 人間の姿の視力では彼らの表情までは見えないが、港を、国を守るために誰もが必死に戦っているのは伝わってきた。

 それは空中の部隊も同じだ。魔法の鎖を次々と引きちぎられながらも、再び杖を振り出し、拘束魔法や雷のような攻撃魔法を繰り返し敵に浴びせていく。パルフィも、か弱そうなシルヴィアさえも真剣な顔をして。

 俺が皆を守らなければ。そう強く思ったとき、ブレスレットの宝玉がどくんと熱い脈動を放ち、俺の手首を縛っていた光の鎖がほどけるように消え失せた。シルヴィアが解いたのか、それとも龍の力が彼女の魔法を凌駕したのか。


「お手並拝見といきましょう」


 いつしか俺達のすぐ隣に並んでいたアウラが、見定めるような視線を俺に向けてくる。俺は右拳を胸の前に構え、「いや」と小さく首を横に振った。


「力を見せつけるためじゃない。俺は皆のために戦います!」

「そうですよ、お姉様。リュウジン様は救いの英雄ですもの」


 シルヴィアの言葉が俺の勇気を奮い立てる。俺は振り向く彼女と視線を交わし、思いつくままに言った。


「せっかくだから、その呼び名、変身の掛け声に使わせてもらうよ」


 やっぱり、ヒーローたるもの、格好いい合言葉の一つもあるべきだろう。

 微笑を見せるシルヴィアと頷きあって、俺はドラゴネットの背から飛び出し、ブレスレットを天に突き出す。


龍陣りゅうじん!」


 炎の気が宝玉から溢れ出し、巨龍のオーラが俺の全身を覆う。視界がたちまち高くなる浮遊感に続いて、背中に炎の翼の現出を感じ、重力から解き放たれた俺の体はグンと高空へ舞い上がった。

 自分でない何かに成り代わった巨大な体に、灼熱のエネルギーのほとばしりを感じる。

 シルヴィア達のドラゴネットを遥かに見下ろす高さまで一瞬で到達し、強化された視力で海上の敵の姿を捉える。驚愕に目を見張る船上の兵士達の表情までも、今の俺には手に取るように観察できた。


(――行くぞっ!)


 敵の巨体に狙いを定め、俺は飛び蹴りの姿勢で高空から舞い降りる。炎を纏う弾丸と化した俺のキックが敵の図体に炸裂し、凄まじい飛沫しぶきと共に敵の巨体を裏返しにした。

 空中で一回転し、俺は港を背にして両足から着水する。吹き上がる海水のカーテンの向こう、唸りを上げて体勢を立て直すクジラのような巨獣の姿が見えた。さすがにキック一発で沈むほどもろい相手じゃない、か。


「海上部隊、巨獣と距離を取って砲撃を続行!」


 魔法で増幅されたらしきアウラの声が、上空から周囲一帯に響き渡った。兵士達の船が次々と敵から離れる中、敵は楕円形の目でぎらりと俺を睨み、ヒレに似た四肢を踏み出してこちらに向かってくる。巨体の割に素早い動きだった。

 真っ向から組み合うには口元のドリル状の牙が厄介そうだ。それなら、あの炎の攻撃で……!


(食らえっ!) 


 俺は右腕の宝玉に気力を込め、軽く振りかぶって、炎の飛礫つぶてを撃ち出してみる。

 が、牽制とばかりに放ったその攻撃は敵に届くことはなかった。巨獣の背中から噴き出した霧のような水の壁が、炎をかき消してしまったのだ。

 なるほど、クジラだけにそういうのもアリってことか……!


(だったら……!)


 炎が効かないなら肉弾戦しかない。俺が敵との距離を詰めようと駆け出した、その時。


「ヒナリ様っ!」


 シルヴィアの張り詰めた声と同時に、敵の背からの潮吹きが激しい水流と化して俺の眼前に迫っていた。


(――ッ!)


 防御専用じゃなかったのか――!

 咄嗟に両腕を突き出して水流を受け止めると、手のひらに凄まじい高熱を感じた。

 飛沫の降りかかる海面から蒸気が立ちのぼっていく。巨獣の体内の温度がそれだけ高いのか。俺の体なら平気そうだけど、こんな水流、人間が浴びたらひとたまりもない。


(くっ……!)


 何か、これを弾くバリアみたいなものが出せれば……!

 特撮番組のヒーローが光の壁を展開する姿を思い描いたとき、俺の思いを汲み取ったように、ブレスレットの宝玉がカッと光を放った。

 宝玉から噴き出した光の炎が、俺の突き出した両手を中心に、円形の光の壁となって広がる。両手のひらで受け止めていただけの今までと違って、それは鏡のように鋭く水流を跳ね返し、敵の頭部に直撃させていた。

 怯んだような唸りを上げて、巨獣が水流の噴射を止める。


「そんな……反射率十割の魔力障壁なんて……!」


 アウラがドラゴネットの鞍上で呟くのが聴こえた。つられて目をやると、彼女は唇を噛みしめるような表情を一瞬見せたあと、ぷいと俺から顔を背けて兵士達に呼びかける。


「巨人だけに頼る訳にはいかないわ。全員、水流に警戒しつつ攻撃を!」


 彼女自身も小竜を敵に接近させ、手にした杖から金色の稲妻を放っていた。それを援護するように、兵達が息の合った動きで魔法の攻撃を重ねる。

 こういう世界の常識だと、たぶん水の怪物に雷の魔法は効くものだと思うけど……それでもあの巨体には豆鉄砲みたいなものだろう。敵は全く動じる様子もなく、のそりと巨大な頭部をもたげ、潮吹きの噴射口をアウラ達に向けた。


「お姉様っ!」


 誰より早くシルヴィアが姉の前に滑り込む。パルフィや周囲の兵達をもまとめて射程に捉え、巨獣が水流を噴き出そうとする――


(させるか!)


 咄嗟に割って入った俺のバリアが、間一髪、その噴射を弾き返した。

 一瞬怯んだ敵めがけて、続けざまに前蹴りを叩き込む。俺の目の高さまで跳ね上がる飛沫の奥で、敵が苦しげにのたうつ。


「雷撃魔法も効かないなんて。やはり、魔学の常識を凌駕している……!」


 アウラの悔しげな声が後方から聴こえた。もういい、早く逃げろ、と伝えたいが、巨人の姿でどう喋ったらいいのか分からない。

 再び海上に起き上がり、咆哮を上げて向かってくる敵を前に、俺が構えを取ったとき、


「それでも……これ以上、私達の世界を好きにはさせない!」


 決意に満ちた叫びとともに、金髪の姫は小竜ごと風を纏って巨獣の上空に飛び出していた。


(よせっ――)


 慌てて手を伸ばした俺の眼前で、彼女はドラゴネットの鞍上に立ち上がり、凛とした声で何かを素早く詠唱したかと思うと、天に向かって杖を突き上げた。

 天上に撃ち出された金色の稲妻が、遥か高空で打ち上げ花火のように弾け、何条もの魔力の奔流と化して俺達の頭上に降り注ぐ。それは半球状の光のドームとなって、海上の船や上空の小竜達を避け、敵と俺だけをこの世界から隔離するように包み込んだ。


「姫様、あれは――」

「ええ、拘束と障壁を組み合わせた、お姉様特製の隔壁魔法……!」


 隔壁の外から、パルフィとシルヴィアの驚く声が俺の耳にも入る。

 敵は巨大な目で周囲の光景を見回したかと思うと、怒りに満ちた咆哮を上げ、頭上に向かって水流を噴射した。だが、それは光の壁の内側で弾き返され、外の皆には届かない。


「今よ、異界人!」


 光の天蓋てんがい越しに、アウラの声が俺に呼びかける。


「私の魔力もそう長くはたない。一撃で決めなさい!」


 今にも息切れしそうな第一王女の声。余所者に頼りたくないはずの彼女が、それでも俺にその一撃を託すことの意味――。その重さを感じ取ったとき、俺の胸に激しい炎が巻き起こった。

 最後のあがきとばかりに飛沫を上げて、巨獣が俺に突進してくる。仕留め損なうことは許されない。炎の攻撃が効かないなら――


(これなら……どうだっ!)


 右腕を振りかぶり、宝玉に全てのエネルギーを集中させる。燃え盛る巨龍の炎が光の爪へと変わり、さらにそれが集束して、巨大な三日月状の刃を形作る。

 これを外したら終わりだ。一撃で決める!


(――斬り裂けっ!)


 上体を捻り、勢いに任せて右腕を振り出す。俺の身長をも上回る真紅の光の刃が、この手を離れ、海面を蒸発させながら敵めがけて飛ぶ。

 想いを乗せたその一撃が、あやまたず敵の巨体を捉え、一瞬の内に真っ向両断した。

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