第5話 海上の巨獣兵器

「でも、お姉様、先ほど前線から戻られたばかりでしょう。少しお休みになられた方が……」

「私が出なくてどうするの。あなたに心配されるほどヤワな鍛え方はしていないわ」


 心配そうな目で取りすがるシルヴィアを軽くあしらい、アウラは真紅のマントをひるがえして部屋を出ていく。俺は慌てて寝台から降り、シルヴィアと共に彼女の後を追った。

 兵達のざわめきに満ちた王宮の廊下。すぐ後ろでは、騎士娘のパルフィが、シルヴィアの分らしき薄手の鎧と、丁寧に畳まれた紺碧のマントを抱えて追いかけてくる。


「姫様っ、お召しを」

「ええ」


 歩を止めることなく、ふわりと両腕を広げたシルヴィアに、パルフィが流れるような手際で胸部の鎧を装着させる。俺が目をしばたかせる間に、彼女は姉と色違いのマントを纏い、昨夜の俺が見たのと同じ装いに早変わりしていた。

 あどけないお姫様には不釣り合いな戦いの装束。こんな子まで危険な巨獣との戦いに出るなんて、一体この国はどうなってるんだ。


「いつも戦ってるの? 君もお姉さんも?」


 歩きながら尋ねると、シルヴィアは少しはにかんで、「ええ」と頷いた。


「国と民を守るのは、王家に生まれた者の責務ですもの」

「王家……そういや、王様もここにいるの」

「お父様は国境の最前線で戦っておられます。隣国の侵攻を食い止めるために」


 ふわふわしているだけと思っていたお姫様の口から、穏やかでない言葉が飛び出し、俺は思わず身を震わせた。

 この世界、ただ怪獣めいた巨大生物が暴れてるだけじゃなさそうだな……。


「王女殿下のご出陣!」


 兵士の張り上げる声が響く中、俺達はアウラの背中を追って王宮の裏手らしき屋外に出た。広大な空間に厩舎きゅうしゃや馬車、移動式の大砲などが敷き詰められている中、ひときわ目を引くのは、今まさに兵達に連れられて整列しつつある、翼を備えた小型のドラゴンのような生物達だった。

 俺と一体化した巨大なドラゴンをそのまま小さくしたようなシルエット。ちょうど馬くらいの大きさだろうか、くらや手綱が付けられ、騎乗用に訓練されているのが一目でわかる。

 飼育係らしき兵士がうやうやしく頭を下げる中、シルヴィアがその一頭のそばに近づいて言った。


「乗用の小型竜ドラゴネットです。ヒナリ様は騎乗の心得は?」

「いや、俺の世界には、そんなのいなかったし……」


 乗馬も経験ないしなぁ……と続けると、彼女は僅かに首をかしげてから、なぜか嬉しそうな顔に転じて「ではっ」と胸の前で手を合わせた。


「ヒナリ様はどうか、わたくしと同じ子に。ぴったりくっついたら二人で乗れますよ」


 ふふっと上目遣いの笑みを見せる彼女。俺がドキリとしたのも束の間、横からパルフィが口を挟む。


「ダメですよ、姫様。この方の帯同でしたら私が」

「あなたこそダメよ。わたくしのヒナリ様ですもの」

「いつから君のものになったの!?」


 俺が声を裏返らせたところで、そばの小型竜ドラゴネットは「グゥ」と一声鳴いて、長い首をこちらにもたげてきた。改めて見ると、大型のドラゴンとは違うつぶらな瞳をしていて、人に懐きやすそうな生き物に思える。

 俺の顔をじっと見つめ、クゥッと喉を鳴らすその姿を見て、シルヴィアが「まぁっ」とまた嬉しげな声を上げた。


「お姉様っ、ご覧になって? 気難しいアルジャンがこんなにおとなしく」


 妹に呼ばれて振り返ったアウラは、「ふぅん」と口元に指を当てて俺のほうを一瞥してくる。


「獣の本能で通じ合っているだけでしょう。浮かれてないで早く準備なさい」


 そう言いながら、第一王女は細い杖をすいっと自身の金髪に向けていた。腰までなびいていた髪がしゅるしゅると巻かれ、ポニーテールくらいになって頭の後ろに収まる。思わず目を見張った時には、彼女はもう自分のドラゴネットの鞍にまたがり、兵達に号令をかけていた。


「出撃!」


 風をはらんだ翼がばさりと羽ばたき、金髪の姫を乗せた小竜が素早く天へと舞い上がる。兵達が次々とそれに続いて離陸していく中、「わたくし達も早くっ」とシルヴィアに手を引かれ、俺は躊躇ためらいながらも彼女と一緒のドラゴネットの鞍上あんじょうに上がった。

 狭い鞍の上、目と鼻の先に彼女の華奢な背中がある。鼻孔をくすぐる甘い匂いに意識がクラっとしかけたとき、手綱を握るシルヴィアは、ほのかにほおを染めて振り返ってきた。


「ではっ、ヒナリ様、しっかりお掴まりください」

「しっかりって……!」


 一緒に乗るよう促された時点でこうなることは分かってはいたけど……。心臓がバクバクと脈打つ中、恐る恐る彼女の腰に手を回すと、シルヴィアは「もう」と物足りなさそうに呟いて。


「もっとぎゅっと掴まらないと落ちてしまいますよっ」


 先程のアウラと同じ細い杖を取り出したかと思うと、俺の手元にすいっと向けてきた。

 瞬間、彼女の腰の前に回した俺の手首は、光の鎖で強く縛られる。俺はそのまま上体を引き寄せられ、彼女を後ろから抱き締めるような形になった。


「ちょっ、何これ!?」

「拘束魔法の応用です。もとより、殿方はこのくらい大胆でないと」

「いや、ムリムリ! ちゃんと掴まるからコレはほどいてっ! あっ、君からも何か言ってよ!」


 横目でパルフィに助けを求めたが、彼女は諦めたような表情で、「やれやれ」とでも言いたげに首をすくめてくるだけだった。


「じゃあ、俺、やっぱり変身して飛んでくから――」

「今さらダメですよ。ほら、ヒナリ様、まいりましょう!」


 この子も姉に負けず劣らず有無を言わせないな――と思った瞬間、俺達を乗せたドラゴネットは誇らしげにグワッと鳴いて、地面を離れ空へと舞った。

 巨人の姿で自ら飛んだ時とはまた違った浮遊感。同じく離陸したパルフィのドラゴネットと横並びになって、王宮を遥かに見下ろし、俺達は先行する群れを追って加速していく。実際、手を縛られていなければ振り落とされてしまいそうな勢いだった。


「……お姉様は、この国を支えようと必死なのです」


 白い雲を突き抜け、上昇から水平飛行に変わった頃、シルヴィアはぽつりと言ってきた。吹きすさぶ風切り音の中、これも何かの魔法なのか、その声は甘い振動を伴ってしっかりと俺の耳に届く。

 そ、そうなんだ――と、強張った声で相槌を打つのがやっとだった。


「一年前、本来の王太子おうたいしであるお兄様が、初めて現れた巨獣兵器との戦いで行方不明となられて……。お母様は既にこの世にく、お父様も前線に出て王宮を後にしておられる中、お姉様の双肩には、その留守を守る使命が一気に降りかかってきたのです」


 なるほど、と俺は頷く。

 お姫様なら戦いは兵隊に任せてお城にこもってればいいのに、と言いたくなるが、そういう訳にもいかないのがこの世界の価値観なんだろう。


「それ以来、お姉様は王太子代行として厳しくご自身を律され、振舞いまでお兄様を真似るようになられて。……昔の穏やかだったお姉様のほうが、わたくしは好きだったのですけど」


 どこか寂しそうなシルヴィアの声を聞いていると、あのアウラがあんなにピリピリした空気を纏っている理由にも合点がいった。彼女は彼女で、自身に課せられた使命を全うしようと必死なんだろう。

 お兄さんは行方不明で、お母さんは亡くなっていて、お父さんもずっと戦いに出ていて……。誰か、彼女の心を支えてあげられる人はいないんだろうか。


「あのお姉さんは、彼氏とかいないのかな」


 俺がふと口にした声は、風の中でもちゃんとシルヴィアの耳に届いたようで、彼女は「カレシ?」とオウム返ししてきた。


「カレシとは何ですか?」

「……恋人っていうか、結婚相手の候補っていうか」

「一度はそういうお話も出ていたようですが、今のお姉様はそれどころではないと仰るでしょう。でも、お姉様もわたくしと同じで、この国の未来のため、強い血筋の子を産まねばと思っているはずですよ」


 可憐なお姫様の口からそんな言葉が飛び出し、俺はまたしてもドキッとした。

 やっぱり、この子達の世界だと、イコールそういうことになるんだな……。


「でも、ヒナリ様はわたくしのです。お姉様相手でも譲れません」

「いや、それは話が飛躍しすぎっていうか! 君は君でもっと慎重に相手を選ぼうよ」


 慌てて首を振る。隣を飛ぶパルフィも小竜の鞍上で「そうですよ」とばかりに頷いていた。やはり魔法の働きか、俺達の会話はしっかり聴こえてしまっているらしい。

 その騎士娘が、僅かに竜を寄せて、俺達に見えるように十二時方向を指差す。


「お二人様、そうこう言ってる間に見えてきましたよ!」


 促されるまま俺も目をこらすと、青空の下、眩しく陽光を照り返す海が見えた。

 海岸線に沿って広がる町並み、港に停泊する豆粒のような船。大きな帆船らしきものも見えるけど、こんな世界だとあれも魔法で動くんだろうか。――なんて思ったところへ、


「降下します!」


 眼前でシルヴィアの声。先行する竜達に従って俺達のドラゴネットもぐんと高度を下げる。すると、平和とは程遠い港の状況が、たちまち俺の視界にも飛び込んできた。

 海上を封鎖する何隻もの船を次々と蹴散らし、港に並んだ大砲からの砲撃もものともせず、白波を上げて湾内に迫るクジラのような巨影。上空から見ると、ヒレに似た短い四肢を持つ、四足歩行のシルエットがはっきり認識できた。


「この世界にもクジラっているの?」

「ええ……でもあの大きさは自然界のクジラの比ではありません」


 シルヴィアの声も微かに震えていた。確かに、周囲の船との対比からして、あの巨体は俺の世界でいう五十メートルくらいはありそうに見える。

 それに、船や地上の大砲からの砲撃にもびくともしない強靭さ。口元に突き出したドリル状の二本の牙。空中の俺達の耳にまで響く、海の生き物とは思えない巨大な咆哮。

 あれは明らかに自然の生き物じゃない。あれは――。


「巨獣兵器、です」


 姫君の声に、俺も静かに頷いた。

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