第4話 二人の姫君

「そ、それってどういう意味!?」


 裏返った声で俺が問うと、シルヴィアは俺の手を優しく握ったまま、「意味?」と小さく首をかしげた。


「決まっています。わたくしと夫婦めおとになって、子をしてほしいという意味です」

「こっ……!」


 彼女の纏う甘い匂いが否応なしに意識を侵食してくる。なんだかもう、恋する乙女みたいな色で見つめてくる瞳の威力がヤバい……!

 その隣では、パルフィと呼ばれた騎士娘がアワアワした顔になって、「姫様っ」と彼女の肩に手をかけていた。警備の兵士達もさすがにギョッとした顔をしている。ああよかった、周りはマトモみたいだ、なんて安心してもいられない。

 俺はそっと彼女の手を振りほど……こうとしたが、彼女はその柔らかな両手にぐっと力を入れ、逆に俺の手を自分の胸元に引き寄せてきた。


「あっ、あの、シルヴィア……さん?」

「わたくしのことは、どうかシルヴィーと呼び捨てに」


 もう恋人にでもなったかのようにうっとりした声色と表情。いや、この際、呼び方なんかはどうでもいいけど……!


「じゃあシルヴィー、物事には順序がっていうか……! そういうことは、もっと互いを知り合ってからね……?」

「そうですよ姫様、いきなり求婚なんてどうかしてますよっ」


 騎士娘が横から同調してくれた、かと思いきや、彼女はハッと何かに気付いたような目で俺を睨んで、


「さては異界人、何かよこしまな魔法で姫様を洗脳しましたね!?」

「は!? この世界、魔法とかあるの!?」

「伝説の巨人といえど、姫様にあだなす者とあらば我が剣のサビに……!」


 シルヴィアの肩から手を離し、すらりと剣を抜いて俺に突きつけてくる。俺はベッドの上で咄嗟に身を引きつつ、ついでにシルヴィアの手を振り払った。

 姫様は僅かに名残惜しそうな目をしてから、騎士娘に顔を向ける。


「おやめなさい、パルフィ。宮中ですよ」

「姫様が正気に戻るのが先ですっ」

「わたくしはずっと正気です。この方は龍と人の命を併せ持つ異界の英雄……その血を受け継ぐ子を育て、次代の護りとすれば、我が国を滅びの運命から救えるかもしれません」

「そんな悠長な……じゃなくて、ダメですよ、姫様にはもっと身分素性のしっかりしたお相手でないと!」


 パルフィが声を上げるたび、彼女の握る剣の切っ先が俺の眼前でカタカタと揺れた。

 巨人に変身してない時に剣で斬られたら普通に死ぬんだろうか……なんて考えつつ、俺は二人の間に「ちょっと」と手刀で切り込む。


「なに、滅びの運命とか。そこまで深刻な事態なの?」

「異界人には関わりのない話です!」

「剣を収めなさい、パルフィ。関わりがないことなどありません。これからは、この方が伝説のリュウジン様として、そしてわたくしの婿として、この世界を守ってくださるのですから」

「いや、後者は承諾してないけどね!?」


 俺が反射的に異議を唱えたところで、ぎいっと荘厳な音を立てて部屋の扉が開き、新たな人影が姿を現した。


「私も認めないわよ、シルヴィー」


 シルヴィアと声質の似た、しかし何倍も気位の高そうな口調。兵士達が深く頭を下げる中、こつこつと足音を響かせて入室してきたのは、黒字に金刺繍の衣装を纏い、鮮やかな金髪を腰の高さまでなびかせた、これまたうら若い女子だった。その背には、昨夜のシルヴィアの色違いのような真紅のマントが、きらびやかな存在感を放っている。


「お姉様っ」


 シルヴィアが椅子から立ち上がる横で、パルフィもたちまち剣を収めて頭を下げていた。

 シルヴィアの姉なら、この子もお姫様か。俺も思わず寝台の上で居住まいを正したとき、その彼女はつかつかと俺達のそばまで歩み寄ってきて、赤い瞳で俺を一瞥いちべつしてきた。

 姉妹なのに眼の色は違うのか……。妹に劣らず息を呑むほどの美人だけど、そんなことを口にしようものなら斬り捨てられそうなほどの威圧感があった。


「兵達から聞いたわ。あなたが異界人ね?」

「は、はい」


 取り調べのような勢いに、思わず声が上ずってしまう。


「第一王女で王太子おうたいし代行のアウラ=シャトランジュよ。妹が妙なことを口走っていたようだけれど、素性の知れない異界人との結婚なんて私が許さないわ」

「……はい、それは俺も同感ですけど」


 騎士娘の剣よりよっぽど鋭い眼光ですくめられ、俺が答えると、視界の端でシルヴィアがぷくっと不満げに頬を膨らませた。

 いや、こんな可愛い子が惚れてくれるなんて俺には身に余る光栄だけど、お姉さんがこれじゃ、手を出した瞬間に俺の命はなさそうだし……。

 アウラと名乗った第一王女は、俺とシルヴィア、それにパルフィの姿をちらちらと順に見てから、すっと胸元から細い杖のようなものを取り出し、再び見定めるような目を俺に向けてきた。


「あなた、とても戦闘訓練を受けた体には見えないけれど、こっちのほうは?」

「こっち、と言いますと」

「戦闘魔法は使えるのかと聞いているのよ」

「……いや、ないですないです。というか、やっぱこの世界、魔法とかあるんですね……」


 本日二度目の似たような発言。それはまあ、ドラゴンなんかがいる世界なら、魔法もあって当然か……。

 コイツは何を言っているんだ、とでも言いたげな目で見下ろしてくるアウラの横から、シルヴィアが「お姉様」と口を挟む。


「魔法など使えなくても、この方の戦力は並の騎士や魔導師の数百人分には匹敵します。何しろ、この方は――」

「龍の巨人、と言うのでしょう? そんな得体の知れない存在に頼ろうとすること自体が未熟なのよ」


 片手に杖を携えたまま腕を組み、アウラは続けた。


「第一、人の姿から巨人に変わるなんて、この目で見るまで信じられない。魔学の摂理に反してるわ」

「お姉様、それは敵の巨獣だってそうじゃないですか」

「だから怪しいのよ。あなた達の見たという光景が事実だとして、巨獣兵器とその龍の巨人は、ともにこの世のことわりを超えた存在。ならば、その者も外敵の送り込んだ工作員でないというあかしはあるの?」

「この方はわたくし達を巨獣から守ってくれました。わたくしにはそれで十分です」


 本人放置で話を進めるのは王族の流儀か何かなんだろうか。姉妹の言葉の応酬が一瞬止まったところで、俺は顔の横に手を挙げ、「あの」と切り出した。


「何なんですか、敵とか工作員とかって」

「……あなた、何の目的でこの世界に来たの?」


 指の延長のようなしなやかな動きで、アウラが俺の目の前に杖を突き付けてくる。それにしても、仮にも龍の巨人の正体とわかっていながら、騎士娘といいこの第一王女といい、全然俺に怯えるそぶりも見せないな……。


「俺は、天上界の女神とやらに言われて、この世界を救いに……」


 テレビクルーや特撮ヒーローなんて言ってもこの世界の人には通じないだろうから、そこは伏せておくことにする。どちらにせよ、あの女神がどういう立場の何者なのか、俺だってほとんど理解してないし。


「救う? 我が国の直面している事態をわかっているというの?」

「いや、それを知らないから聞いてるんですけど……」


 キッとした目で俺を見据えてくるアウラと、その傍らでハラハラした様子のシルヴィア。そういえば髪の色も金と銀で違うんだな……と思ったとき、ふと将棋の金将と銀将の駒が脳裏に浮かんで、俺は思わず一人で笑ってしまった。

 名前もなんだか、アウラはよくわからないけど、シルヴィアはシルバーっぽいし……。


「何がおかしいの?」

「……いや、二人の姿を見て、俺の世界のボードゲームをちょっと連想しただけっていうか」


 そういえば、飛成ひなりなんて完全に名前負けだった俺だけど、この世界では龍の巨人……言うなら飛車の成り駒の龍王りゅうおうなんだな。


「ボードゲームですって?」

「ええ、それで言うと、俺は最強の駒みたいなんで……。ちょっとは役に立てるかもしれないですよ」

「くだらない。戦いは遊びじゃないのよ」


 俺の発言を斬って捨てるアウラと対照的に、シルヴィアは「まあ」と嬉しそうに胸の前で手を合わせていた。


「素敵なお話じゃありませんか。やはり、わたくしとヒナリ様は運命なのですわ」

「いや、そういうつもりじゃ……」


 将棋の駒繋がりが運命だと言うなら、お姉さんともそうなんだけどね……なんて言ったら、今度こそ魔法か何かで消し炭にされそうだ。

 と、その時。


「殿下、大変です!」


 ガチャガチャとせわしない足音に続いて、部屋に飛び込んでくる兵士の姿があった。


「何ごと!?」

「北方方面部隊より報せです。フィリドール湾に巨獣が出現、海上防衛線を破壊しながら港に迫りつつあると!」


 その報告に、全員の空気がぴんと張り詰める。


「姉妹喧嘩をしている暇はないようだわ」


 アウラは手早く俺達に視線を配り、有無を言わせない口調で宣告した。


「あなた、自分を駒と言ったわね。役に立てるというのなら、私の前で証明してみせなさい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る