ドアが開く

尾手メシ

第1話

 「おい、知ってるか?」

 大学の食堂で昼食をとっている時だった。

 そろそろ夏季休暇が近いこともあり、四人でどこかに遊びにでも行こうかと話していた。山がいいだの、海がいいだの、花火は外せないだの、各々思いつくままに候補を挙げていく。そうやって、夏季休暇の予定を決めながらワイワイ騒いでいたのだが、何がどう転んだのか、いつの間にか心霊スポットの話になっていた。

 有名な心霊スポットの名前がいくつか挙がる。皆、話は聞いたことがあるものの、実際に行ったことがあるという者はいなかった。あそこのトンネルには女の霊が出るらしいぞ。いやいや、あっちの廃病院は叫び声が響き渡っているらしい。あれこれ心霊スポットについて話すのだが、なにせ又聞きの又聞きのそのまた又聞きという有様で、臨場感もあったものではない。


 何となく場に白けた空気が流れたところで、圭介が話し始めた。

「川の近くの古い住宅街、知ってるか?そこに幽霊屋敷があるんだってよ」

 街を流れる川の下流近くに古くからある集落がある。大きい家の建ち並ぶ集落で、周囲には畑や田んぼが広がっている。以前は農業を営む人で賑わっていたというが、街の中心部からは離れていることや農家の高齢化もあり、近年では空き家が増えてきていた。

 圭介の話では、その空き家のうちの一軒が件の幽霊屋敷であるらしい。

「随分前の話らしいんだけどな、その家には一人娘がいたんだと」

 そう言って圭介が語ったところによれば、こういうことらしい。


 昭和の中頃のこと、その家には一人娘がいた。その娘は大変な器量良しで、年頃になるとあっちこっちから縁談の話が舞い込んできた。そうした縁談の中から決まったのが、集落の顔役をしていた家との縁談であったという。

 結納も済ませて後は結婚を待つばかりとなった頃、娘が病に倒れた。

 体中にできものができ、高熱が続く。一週間うなり続け、どうにか一命は取り留めたものの、顔にはできものの痕が残った。

 快復祝にやってきた顔役は、娘の顔を一目見るなり、その場で縁談を白紙に戻したのだという。縁談が流れたことは、娘の容姿とともにすぐに集落中に広まった。

 面と向かって何か言われることはないが、隣人同士で何やらコソコソと囁きあっている。親しくしていた家も、それとなく離れていった。半ば村八分のような扱いに娘は心を痛めたが、娘以上に親が耐えきれなかった。

 それまで優しかった両親が、鬼のような形相で「お前のせいだ」と娘をなじる。外では噂話の的になり、家では両親から散々になじられる。いよいよ逃げ場が無くなった娘は、ある朝起きてこなかった。母親が部屋を覗くと、畳といわず天井といわず血で染まっていたという。娘は夜の間に、自分の喉を包丁で掻き切って死んでいた。

 その家は他所から養子をとったものの不幸が続き、昭和の終わり頃には絶えてしまった。現在では空き家が残るばかりであるという。


 その空き家に娘の霊が出るらしい。家の奥まった一室、娘の部屋だったといわれている所に、血に染まった姿で立っている。そうして、ぶつぶつと謝り続けているのだという。


「なにそれ、こわーい」

 由美がはしゃいだ声を上げた。

「おいおい、それヤベーな」

浩二も笑ってそれに続く。

「だろ」

圭介は、いかにも得意気に応えた。


 盛り上がる三人とは対象的に、玲奈は一人顔を顰めていた。

 玲奈は元々幽霊のたぐいが苦手である。それでも、有名な心霊スポットの話などはたいして怖くはなかった。自分の生活圏からは離れていたし、大学生をしていればそこそこ聞く話ではある。自分からは縁遠い、現実感のない噂話として聞くことができた。しかし、それが自分が生活している街の話となれば別である。自分のすぐ側に幽霊がいると思うと、生理的な嫌悪感が這い上がってくる。


 顔を顰める玲奈には気づかずに、三人の話は盛り上がる。気がつけば、今夜にでもさっそく行ってみようという話になっていた。夏季休暇の前哨戦といった体である。

 その時になって、ようやく玲奈はおずおずと声を上げた。

「私はちょっと…」

そこで初めて、三人は玲奈が顔を顰めていることに気がついた。

「なんだ玲奈、幽霊苦手か?」

にやにやしながら、浩二が聞いてくる。むっとしながらも、玲奈は頷いた。

「うん。怖いのは駄目なの」

「大丈夫だって。どうせなにも出ねぇよ」

言い出した圭介が、何故か自信満々に言い切る。

「そうだよ。一緒に行こうよ。きっと楽しいから」

由実も玲奈に言い募った。

 渋る玲奈を三人で入れ代わり立ち代わり説得する。やがて根負けした玲奈が承諾したことで、四人での肝試しが決定したのだった。


 夜の九時に大学の正門前に集合することを取り決め、各々午後からの講義のために散っていった。玲奈も、憂鬱な気分を抱えながら講義室へ歩いていった。



 夜の九時。玲奈が待ち合わせの大学正門前に着いた時には、他の三人はすでに来ていた。圭介が乗ってきた軽自動車の前で何やら話をしている。。

「お待たせ」

 片手を上げて声をかけながら、玲奈は三人に近づいていった。三人も各々返事を返してくる。

「じゃあ、全員揃ったことだし、さっそく行くか」

圭介が、そう言って運転席に乗り込んだ。

「なんかわくわくしてきたな」

浩二も助手席に乗り込む。

「私たちも乗ろう」

由美に促されて、由美と二人、後部座席に乗り込んだ。由美が運転席の後ろ、玲奈が助手席の後ろに座る。

 全員が車に乗り込んだことを確認してから、圭介はブレーキペダルを踏んでスタートボタンを押した。ヒュルヒュルとセルモーターが回転して、すぐにエンジンが始動する。

「よーし、それじゃあ、しゅっぱーつ」

明るい圭介の声とともに、車は軽快に走り出した。



 目的の幽霊屋敷までは車で一五分ほど。大学を出発した車は街の中心部を突っ切って川沿いの堤防道へ出て、そのまま真っすぐに下流の集落を目指す。

「やーん、楽しみー」

走る車の中、待ちきれないといったふうに由美が聞いた。

「ねぇ、どんな所なの?幽霊屋敷」

「聞いた話によると、平屋の一軒家らしい。広い庭があって、そこに車で乗り入れられるんだと」

事前に情報を仕入れてきたらしい圭介が説明しだした。

「玄関入ってすぐの廊下を真っ直ぐ行くと、突き当りの一つ前の部屋が幽霊女の部屋らしい」

「へぇ、平屋かぁ。すぐ見終わっちゃわない?ねぇ、玲奈」

由美に話を振られ、玲奈は曖昧に笑って返した。緊張で体がこわばっている。

 そんな玲奈に、浩二はからかうように声をかけた。

「なんだ、玲奈。今からビビってんのかよ。大丈夫だって。俺、御守り持ってきたから」

ズボンの右ポケットに手を突っ込んで、御守りを引っ張り出す。後ろを振り返って、御守りを後部座席の二人に見せてきた。

 玲奈は、由美と二人、浩二が差し出してきた御守りを覗き込んだ。白地に銀糸と金糸で飾りをしてある。そして、その表面には「学業成就」と書かれていた。

「って、学業成就じゃん、それ。幽霊が受験すんのかよ」

堪らず言った由美の言葉に、車内がどっと沸く。

「するかもしれないじゃん、受験。幽霊だからって差別すんなよ」

「差別じゃないしー。常識だしー」

ケラケラと笑いながら、由美と浩二が言い合っている。

「御守りなんていらねぇよ。いざとなったら俺のお経が火を吹くぜ」

笑いながら圭介も加わり、車内は一層賑やかになった。


 ワイワイガヤガヤと騒ぎながら車は行く。真っ暗な堤防道を集落に向かって。一人震える玲奈を乗せて。



 ぽつりぽつりと街灯が灯るだけの道を、車はゆっくりと進んでいく。明かりの漏れている家もあるが、空き家が増えているというのは本当なのだろう、真っ暗な人気のない家がチラホラと目についた。集落はひっそりと静まり返っていた。

 幽霊屋敷が近づくにつれて、車内の空気が徐々に張り詰めていく。話し声は自然と止んでいき、反対に、興奮を含んだ緊張感が増していく。

 左手に畑が広がる道を、右手に建ち並ぶ家を確認しながら圭介は車を走らせた。一部は放置されているのか、草の伸びた畑がある。何軒かの家を通り過ぎ、やがて一軒の平屋の手前で車は減速した。

「ここだ」

静かに圭介が告げて、ハンドルを右に切った。車はゆっくりと家の敷地内へと入っていく。


 車体を左に振りながら広い前庭に侵入した車は、車の右側面を晒すように玄関の前に停車した。エンジンの切れた車内には、四人の息遣いだけが響いている。

「行くか」

圭介の声を合図に、各々が動き出す。そんな中、玲奈だけはじっと動かなかった。

「玲奈?」

 隣りに座っていた由美が促すが、それでも玲奈はじっと動かない。懐中電灯を手に車を降りようとしていた男二人も、後部座席の様子に気がついて動きを止めた。

「おい、どうしたんだよ」

振り向いた浩二の問いかけにも、玲奈は首を振る。

「なあ、行こうぜ」

「嫌。私はここに残る」

断固とした口調で、玲奈は答えた。

 三人の困惑が玲奈にも伝わってくる。それでも、どうしても行こうという気にはなれなかった。車が前庭に進入するその時、家が車のヘッドライトに照らされた。古い平屋の木造建築が闇の中に浮かび上がる。板壁は所々が剥げ、庭に面した雨戸は一部に穴が空いて外れかけていた。途中から折れた雨樋が、屋根から垂れ下がっている。その家を見た時、「ああ、駄目だ」と直感した。

「絶対に嫌」

 再度、玲奈は言う。

「はぁ」

仕方ない、というふうに圭介は息を吐き出した。

「俺たちだけで行こうぜ」

そう言って、車を降りていく。

「すぐに戻ってくるから」

浩二も、圭介に続いて車を降りる。

「じゃあ、行ってくるね」

由美も車を降り、玲奈一人だけが車に残された。


 ジャリ、ジャリ、という砂を踏む足音が車から遠ざかっていく。三人がそれぞれ持つ懐中電灯があちらこちらを照らしている。潜めた話し声が微かに聞こえる。ガラガラガラと引き戸の開く音がして、後は静かになった。


 車内には、玲奈の呼吸音だけがしている。暗い車内で一人、玲奈は顔をうつむけてじっと座っていた。決して、車外の様子を見ようとは思わなかった。ただ顔をうつむけて、膝の上で強く組んだ手だけをじっと見ていた。

 そうして、五分経ったのか、一〇分経ったのか。ふと玲奈は気がついた。静かすぎる。すぐ近くに畑が広がっているのに、虫の声が一切していない。思わず、玲奈は顔を上げた。その瞬間だった。

 バンッ、と乱暴にドアが開けられて、ひどく慌てた様子で圭介が運転席に乗り込んできた。驚く玲奈をよそに、浩二と由美も乱暴にドアを開けて車内に駆け込んでくる。

 叩きつけるようにドアを閉めた圭介は、必死の形相でスタートボタンを押し込んだ。しかし、車は何の反応も示さない。

「くそっ、くそっ、なんでだよ」

何度も何度も、圭介はスタートボタンを押し込んだ。カチカチとボタンを押す音だけが虚しく響く。

「何だよあれ。何なんだよあれ」

 その隣の助手席で、浩二は取り乱したように喚いていた。ひとしきり喚いて車のエンジンがなかなか掛からないことに気がつくと、今度は圭介に食ってかかる。

「おい、何してんだよ。早くしろよ」

「やってるよ。やってるけど、掛からないんだよ」

怒鳴る浩二に、圭介は怒鳴り返した。

 玲奈の隣では、由美が頭を抱えてひたすら謝っていた。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

血の気が引いて、真っ青な顔をしている。ただ、血走った目だけはカッと見開かれていた。

 その光景を、玲奈は呆然と見ていた。あまりのことに頭がついていかない。

「ねぇ、どうしたの?」

やっとのことで出した声は、しかし、誰にも届かなかった。相変わらず圭介と浩二は激しく怒鳴り合い、由美はひたすら謝罪を繰り返す。

「ねえ、みんな、どうしちゃったの」

 堪らず玲奈が大声を上げると、一転、車内は水を打ったように静まり返った。困惑して三人を見回すと、ぴたりと動きを止めて、三人ともが車外、玄関の方を見ている。玲奈もそちらを見ようとしたが、由美に隠れてよく見えない。

 ガラガラガラガラと引き戸が動く音がした。

「来た」

 ぽつりと、引き攣った顔で圭介がこぼした。

「ヒッ」

浩二が息を呑む音が聞こえる。

「イヤァー」

由美の絶叫が車内に響き渡った。


 ガチャリ、と音がして、ドアが開く。

「いやぁ、結構怖かったな」

笑いながら、圭介が運転席に乗り込んできた。

「雰囲気あったよな」

興奮冷めやらぬ様子で、浩二が助手席に座る。

「ただいまー」

玲奈に向かって手を振りながら、由美が後部座席に乗り込んでくる。

 さっきまでの車内の狂騒が、嘘のようにかき消えていた。

「え?いま…、え?だって…、今さっき…、え?」

一人混乱して車内を見回す玲奈を、三人は不思議そうに見ていた。

「どうしたの?」

心配した由美が聞いてくるが、玲奈は、

「え?どうして?今さっき確かに三人が…。え?」

まともに答えることができない。

「一人で待ってて、怖かったんじゃないか?」

言って、圭介は空気を変えるように明るく問いかける。

「なぁ、これからどうする?」

「カラオケ行こうぜ」

それに浩二が答えて、

「さんせーい」

由美が後に続く。

 圭介がスタートボタンを押すと、車は何事もなくエンジンを始動させた。方向転換した車は、ゆっくりと家を出ていく。玲奈の混乱を置き去りにして。

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