あの日の君はフォトジェニックだったね……。
泣き笑いの表情を浮かべながら大人の真美が叫んだ言葉は、自己犠牲の精神を持ったもうひとりの大切な存在に向けられていた。同じように相手を思いやる心を持って……。自分のお願いを叶えるよりも他者を最優先している気高さに僕はいたく感動した。
聖地巡礼で立ち寄った観光施設にある
茶番劇だと思っていた芝居じみたセリフもすべて大人の真美が夢のなかで思い描いていた僕との未来予想図だと気がついた。お
これは最悪の結末なんかじゃない……。 当初信じ込まされていた一周目の終わりに植え付けられた
「……真美、やっぱりきみには笑顔が似合う。もうひとりぼっちでこれ以上頑張り過ぎないでほしいから。年相応の子供みたいに無邪気に笑っても大丈夫だから」
『陽一お兄ちゃんからもおんなじことを言われるなんて……。
「……真美はちゃんと笑えるよ、僕が絶対に保証する。大きな口を開けて笑うなんて馬鹿みたいって他人からどう思われても構わないから」
『陽一お兄ちゃん、どうやったらあの子みたいに心の底から笑えるのかな? 笑顔の作りかたを忘れてしまった私は……。いったいどうしたらいいの!?』
強いとまどいの表情をこちらに見せる大人の真美。僕は首筋からずっとぶら下げていたモノに指を這わせる。固い革の手触りが妙に頼もしく思える。幼い陽一には感謝しなければならないな。でもお前の出番を奪っちまったことを勘弁してほしい。もう少しだけこの身体を貸してくれ。一連の動作にこれまで上着の
「ムギもあと少しだけだから、おとなしく我慢してくれ。絶好のシャッターチャンスまで頭を出さないで欲しいから……」
差し向かいに立つ彼女に聞こえないような小声でそっと子猫のムギに語りかける。上着の上から膨らんだ部分を優しく撫であげた。
「真美っ、きみの最高の笑顔を絶妙に僕が引き出してみせる!! だから顔を上げてこっちを見てくれ……」
『陽一お兄ちゃん、その手に構えている四角いカメラは……!?』
僕の構えた両手の中心に真美の視線が注がれる。 朝日を浴びて鈍色のフレームが鈍い光を放った。
「そうだよ、この広場やお稲荷神社の境内で真美や日葵を何度も撮影したあのフィルムカメラだ」
郵便局の伯父さんが生前愛用していた形見の品だ。四角い筐体のレトロな二眼レフのフィルムカメラ。幼い頃の僕はその無骨なカメラが何よりのお気に入りだった。肌身離さずいつも持ち歩いていたことを思い出して唇の端に苦笑いを浮かべる。
あの夏の日も稲荷神社の境内で真美の姿をカメラのファインダーに捉えていた。絶好のシャッターチャンスを思春期特有のある行動でふいにしてしまったんだ。裏腹な照れ隠しの言葉が僕の口をつく。
照れ隠しの表向きな理由付けは、妹の日葵から少女漫画雑誌に送る写真撮影を頼まれたからという
(フィルムを使い切らないとすぐ現像に出せないから、お前の写真もついでに撮ってやるからありがたく思えよ。……なんだよ、その嬉しそうな顔は!? ついでだって言っただろう!! そんなに喜ぶなんて馬鹿だな、真美は)
……僕は不器用な言葉を投げかけて彼女の最高の笑顔を曇らせることしか出来なかった。手振れ補正機能のないレトロな二眼レフカメラはしっかりと両手で構えて撮影するのが
大した才能もないくせにフリーのカメラマンを目指した背景には、あの日の可憐な少女の姿を印画紙に落とし込めなかった強い後悔の念、そんな想いが自分の中にはあったはずだ。群青の蒼という過去に消えた真美。永遠にファインダー内に捉えることは叶わない笑顔の行方。味のなくなったガムをいつまでも噛み続けるような意味のない行為と分っていてもその想いを吐き捨てることは出来なかった。
そんな後悔は二度としたくない、だから僕は……。
「なあ、真美。謝らなければならないことがあるんだ。ついでのフィルムだなんて嘘をついて本当に悪かった。このカメラで一番撮りたかったのはきみの笑顔なんだから……」
『陽一お兄ちゃん、それは初耳だけど本当なの? いつも日葵ちゃんを撮った余りの写真だって私に言っていたから……』
「確かに日葵から頼まれた少女漫画雑誌への投稿写真がきっかけだったけど、……笑っちまうよ、お前をファインダーに捉えるとカメラを持つ手が震えてさ。けっきょく雑誌に送った真美の写真は日葵に撮ってもらう始末で、本当にかっこ悪かったよな」
……僕にとっては数十年ぶりの懺悔だった。ぎこちない言葉は幼い僕の身体を借りているせいだけじゃない。もう一度過去をやり直せるなんて夢にも思わなかったから。
『……よ、陽一お兄ちゃん、もう遅くないのかなぁ、私は昔みたいに心の底から笑えるの? それに幼い真美ちゃんはこのまま目を覚まさないかもしれないのに。私だけ幸せになんかなれないよ!!』
彼女の表情に苦渋の色が浮かぶ、小刻みに震える水色のワンピース。腕の中には眠ったままの幼い真美。その瞼は固く閉じられたままなのは変わらない。
【幸せになっていいんだよ、大人の真美ちゃん。だってあなたにはその資格があるんだから……。陽一お兄ちゃん、カメラを構えて!! 撮影アシスタントの最後の仕事、だからピンボケ写真なんて撮ったらハリセンボンやマンボンでも絶対にゆるさないから】
インカムマイクがなくても直接耳に流れ込んでくる聞き覚えのある女の子の声。僕の可愛い撮影助手だ!!
『この声は!? 幼い真美ちゃん!! ……でも私は本当に幸せになる資格があるのかなぁ』
【大人の真美ちゃんは心配性だね……。そこが私には足りないところでもあるけど。この柿の木のある場所で、ずっとひとりっきりでかくれんぼしてたんだもん。もう出てきたっていいんだよ!!】
幼い真美はまだ眠ったままだ。だけど語りかけるその声は力強い!! 僕の中に勇気が湧いてくるのを感じる。これからの行動に確信が芽生えた瞬間だった。
そして僕は上着のジッパーを右手の指先で下ろし、すぐさまカメラを両手でしっかりと構え直した。胸元で活発に動き回る子猫のムギのちょこんとした可愛い頭が朝の冷たい外気に触れ、ぶるぶると身震いする様を見届ける。
「ミャア、ミャア!!」
『子猫ちゃん!? 良かった、無事だったのね……!!』
大人の真美の口元が、ふっ、とほころぶ。まるで大輪の
二眼レフカメラ独特な見下ろし型のファインダーに投影された被写体であるふたりの
【陽一お兄ちゃん、今だよ!! 絶好のシャッターチャンス!!】
頭の中にまた声が響く、こんなに優秀なアシスタントにはもう二度と出会えないかもしれないな。以前の僕なら感傷の涙で視界が滲みそうになっただろう。だけど涙はやめた、そう彼女と約束したから……。
「真美っ、まっすぐ僕を見て!! そして最高の一枚を撮らせてくれ!!」
軽い振動が僕の指先に伝わる。
カシャン……!!
二眼レフカメラのレンズ内部で運命の羽音が響いた。
シャッター音がまるで何かの合図だったように強烈な七色の光が広場に差し込み、僕の全身を包み込んだ。この場所に存在する物すべてを永遠という印画紙に焼き付けるかのごとく照らしだした。これはまるで夏祭りの花火みたいじゃないか!? 見た覚えがない花火の記憶……。
『『陽一お兄ちゃん、さよならは言わないよ。だって絶対に真美の手を離さないって約束してくれたから!! だから次の世界でも私を見つけて。約束だよ……』』
ふたりの
真美は消えた……。
完結編の次回に続く。
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