高架線の下、白い橋、青い屋根、そして向こう側の景色。

「懐かしいな。この場所はぜんぜん変わっていない……」


 僕、大滝陽一おおたきよういちは懐かしい場所に足を踏み入れる。子供のころによく遊んだ風景を見ていると、これまで仕事に奔走して疲労が蓄積していた身体が少しだけ軽くなったような気がした。


「あの公民館の建物は昔よりずいぶん小さく見えるな、たしか改装工事をしたって妹の日葵ひまりから聞いたぞ。……だけど青い屋根なのは変わらないんだな」


 道路脇にヤマハトレーシーを寄せて停車する。甲高い二ストローク特有の排気音が近所迷惑にならないように停車前に右手でハンドルにあるエンジンストップボタンを操作するのも忘れない。長年の相棒に乗車する際に身についた一連の動作だ。


「えっ、何だ……!?」


 背後からクラクションの音が鳴り響き僕の回想は中断させられる。ヤバい、道路の端に停めたトレーシーが邪魔だったか!?


「おいおい兄ちゃん、困るよ。こんなところにバイクを置いて。車が入れられないだろ!!」


「すぐにバイクを移動します。ご迷惑を掛け――!?」


「ははっ冗談だよ。 久しぶりだね!!」 


 この見覚えのある顔は!? がっしりとした体躯。年齢に似合わない派手なアロハシャツ。 


津久井つくいのおじさん!? 人が悪いな、急に声を掛けて驚かさないで下さいよ!!」


ようちゃんは相変わらずこのバイクに乗ってるんだね。でもこっちに帰って来るなら先に連絡をくれれば、おじさんのハーレーとツーリングでも行けたのに昨日、車検に出しちゃったよ、残念だな」


 いつも僕たちが向かいの公民館で遊んでいるとき、気さくに話しかけて来て顔見知りになった近所のおじさんだ。その後も地元のバイク仲間として交流が続いている。歳はとったが冗談好きは相変わらずのようだ。


「すみません、急遽、田舎こっちに帰って来る用事が出来て……。また今度ツーリングにご一緒させてください!!」


「いいよ!! 楽しみにしてるからさ。それより用事って恒例ののことだよね、おじさんも久しぶりだから年甲斐もなく興奮してるんだ、だから朝から準備運動中でさ」


「えっ、もしかしておじさんがを担ぐんですか!? 凄い!! 僕も子供の頃から担ぎ手に憧れてましたけど、一度も選ばれたことない狭き門なのにおじさんは凄すぎ……」


「陽一くん、この人を担ぎ手の最長老なんて言わないであげてね。けっこう歳を気にしてるんだから……」


 津久井のおじさんの傍らに現れたのは彼の奥さんだ。以前から地元では名の知れた女性でこのあたりの地域活性のために多大に貢献した活動実績が認められ、驚くことに次期市長選挙の有力候補だそうだ。小学生の頃ただの噂好きなおしゃべりおばさんだと思っていた自分の目は節穴だったと深く反省させられるな。妹の日葵もおばさんの選挙事務所でボランティア活動に参加しているのも僕の不思議な縁が繋いだんだ。


「あっ、お久しぶりです!! 相変わらずお若いですね、昔と全然変わらずお綺麗です」


「あらあら、こんなおはさんを誉めても何も出ないわよ。はい陽一くん、ペットボトルのままで悪いけど麦茶をどうぞ」


「あっ、ありがとうございます!! ちょうど喉が渇いていたので助かります」


「……それにしても見違えるほど立派な青年になって、日葵ちゃんからよく話は聞いているけどカメラマンのお仕事をやってるのよね」


「はい、何とか食べていける程度にはなりました、まだまだ駆け出しですが……。でも今の僕がこうして平穏無事に生活していられるのも、お二人を筆頭に地域の皆様のご理解のおかげです」


「……陽一くん、過去の話はもうやめましょう。今日はせっかくのおめでたい日なんだから」


「おいおい!! お前は横から邪魔なんだよ。せっかく俺が陽ちゃんとバイク談議に花を咲かせようとしているのに。それにお前は油を売っている暇なんかない身分だろ。さっさと出掛けろ!!」


「わかりました、陽一くん、お邪魔してごめんなさいね」


「いえ、お会いできて僕も嬉しかったです!!」


 奥さんは僕にむかって軽く一礼をした後、自宅に戻っていった。津久井のおじさんはガレージの前に椅子を並べて、そこに座るように促してくれた。


「……もう実家には寄ったの?」


「じつはまだなんです。いちばん最初にこの場所を見てみたくなって……。妹の日葵からは真っすぐ家に帰ってこい、と怒られるのは確実ですが」


「そうだよな、ここは陽ちゃんにとって思い出の場所だから。俺も何だか寂しいよ。これまでは毎日あたりまえに眺めていた景色が、きれいさっぱり消えちまうなんてさ……」


「はい、だから僕もこの場所が消えてしまう前に、しっかりと目に焼き付けておこうと思います」


 そして僕はペットボトルの蓋を開け、冷たい麦茶を乾いた喉に流し込んだ。


 それにしてもけたたましい騒音だな。トレーシーの排気音が近所迷惑になるなんて絶対にあり得なかったのに。染みついた癖は消せないな……。


 道を挟んだ向かい側にある真美の住んでいた県営住宅。


 その建物の外壁が大型の重機によって次第に取り壊されていくさまを津久井のおじさんと二人で黙ったまま眺めていた。漂ってくる夏草の匂いにふと彼女の可憐なワンピース姿を思い出し、急速に僕は胸が痛くなった……。



 次回に続く。



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