ふたつの願いごと。かなえられるのは君しかいないのに……。

『こっちに来ないで!! 陽一お兄ちゃん、お願いだからいうことを聞いて。その笑顔を曇らせたくはないの、お兄ちゃんには真実しんじつを告げぬまま姿を消そうって心に固く決めていたのに……。でも真美はこれ以上、嘘をつきたくない!!』


「僕に嘘をつきたくないって!? いったい何を言っているんだ。もう全部終わったんじゃないのかよ!! ふたつに分れた真美の魂が入れ物であるひとつの身体に戻りさえすれば、すべてが上手くいく未来が待っているはずだ。それなのになぜ……」


 真美、お前はそんなに悲しそうな瞳でなぜ僕を見つめているんだ!?


『……鎮守様おちかんさまの森で真美が消失した後も、ずっと陽一お兄ちゃんを見守っていたって話はしたよね』


「ああ、確かに聞いたよ。お前はずっと僕のそばにいて応援してくれていたんだよな。最初は僕の幻聴だとばかり思っていたんだ。もう一人の……。そうだ大人の真美が死んでしまった深い喪失感が作り出した幻だって。でもそれは勘違いだったんだろ。彼女の身体はお狐様によって休眠状態にされていたから……」


『そのとおりだよ。真美はお狐様から直接聞いたから間違いない……』


「お狐様から聞いたって……。 もしかして今もこの場所にもいるのか!?」


『……いるよ。鎮守様の森で別の場所に飛ばされた直後からお狐様は真美のそばにずっと寄り添ってくれているの』


 川向うから吹く風が僕の首筋を通り抜けた。冷たい感触に全身を包まれる。僕たち、に誰かがいる!? 広場に漂う何者かの存在を感じて思わず背筋が寒くなってしまった。


『大丈夫、お狐様は悪い神様じゃないから。いまは可愛い狐さんの姿をしているの。そう、あのおみくじ入れみたいに真っ白な身体で。それに陽一お兄ちゃんのことも好きみたいだから。でもね、子猫のムギが一緒だからお狐様はこの場に姿をあらわさないの……。狐の神様の癖に子猫が苦手なんて面白いよね』


「お稲荷さんは猫が好きなのが通例なんだけどな。でもそれがどうして関係あるんだ。真美。僕の質問に答えてくれ!!」


『私はお狐様から聞いたって言ったよね。中身と入れ物の関係。ひとつの身体にはふたつの魂は長く存在が出来ないの……。そして過去にこの辺りで起こった狐憑きはすべてお狐様が起こした現象と思われていたけど、それは大きな間違いで、ひとつの身体に何らかの原因で二つの相反する魂が入り込んでいさかいを起こす。それが狐憑きの本当の正体。お狐様はとても心を痛めていたわ。怪異とされてきた現象がすべて自分のせいにされてしまったことも含めて……』


 ――狐憑きを惹き起こしていたのはお狐様じゃない!? 


そして異なる二つの魂による諍いって。一周目に僕の目の前で繰り広げられた幼い真美、大人の真美、ふたりの彼女による入れ物たる身体の争奪戦と全く同じ現象じゃないか……!! そしてひとつの身体には複数の魂は長期間存在することが出来ない。だとしたら僕の目の前で消えかけている幼い真美の魂の戻る場所は!?


「やっと分かってくれたね。身体に戻れない理由わけ。今にも死んじゃいそうなほど悲しそうな顔でこっちを見ないで。私の決心が揺らいじゃうから……。えへへ、いつかの放課後の帰り道。川沿いにある通学路で真美のスカートを陽一お兄ちゃんの頭に被せたみたいに慰めてあげたいけどもう無理だね、だってワンピースの裾だけじゃなく、こんなに透けて身体が消えかかっているから』


 入れ物に戻れない中身。その変えようのない悲しい現実を知って僕は打ちのめされてしまった。不遇な家庭環境によって幼少期の真美の身体に起こった変化。最初は小さな物だったに違いない。仕事で忙しい両親のもとで常にいい子であることを幼い彼女は選択した。今回の聖地巡礼の旅すがらに僕に教えてくれた良かった探し。たったひとり広い家に残され留守番をする真美が編み出した悲しくも健気な処世術だ。


少しずつ幼い身体に蓄積したおりのようによどんだ色彩。群青の蒼に似た暗い闇に現れたもうひとつの人格。幼い真美は奇跡的に無邪気な心をもつ明るい魂だった。だから僕の前に現れた彼女は年相応ではなく幼過ぎる言動が多かったに違いない……。


「……真美、いや、真美、教えてくれ。お前は最初から消えるつもりで僕の前に現れたのか!? だから村一番高い柿の木のあるこの場所に大人の真美を迎えに行って欲しいって!!」


『狐憑きとは違うけど、もう一人の私が消えないと真美ちゃんは正常に戻れないから。ひとつの身体にふたつの魂は長く存在しちゃ駄目なの……。それはお狐様の力でもどうしようもならない。……だから幼い真美のことはもう忘れてほしい』


「馬鹿なことをいうなよ!! 真美。これまで一緒に苦労してやっとこの場所までたどり着けたんじゃないのか!? 何か別の方法があるはずだ、お前が消えちまうなんて僕は絶対に嫌だ!!」


『……そろそろ終わりの時間みたい。陽一お兄ちゃんとトレーシーちゃん、そして真美、いっしょにお出掛けが出来て本当に楽しかった。もう思い残すことはないよ!!』


 さらに儚げになる水色のワンピース。ふっ、と息を吐いた彼女の表情はとても穏やかに見えた。諦めの色が僕の足を止める。だけど駄目だ。まだやり残したことがある!!


「まみっ!! どうすんだよ、まだ約束を果たしていない。太平堂の白いたい焼きとチョコプッキー。そして日葵の作ってくれたお弁当。こんなにひとりで食べきれないぞ。それにこれは幼い真美。お前の取り分だ。アシスタント料を受け取らずにいなくなるなんて卑怯だぞ、だから僕の前から消えないでくれ!!」


『……たい焼きとチョコプッキー!? そしてお弁当。陽一お兄ちゃん、ごめんなさい。日葵ちゃんにも謝っておいて、せっかく用意してくれたけど私にはもう時間がないみたい』


「駄目だ。消えるな真美!!」


 もう間に合わないのか!? 幼い真美までの距離は五メートル。僕と彼女の隔てる僅かな距離なのに。なんで永遠みたいに果てしなく遠く感じるんだ。ちくしょう、このまま消えてしまうのを黙って見過ごすしかないのか!!


『……さよなら、私の大好きだった陽一お兄ちゃん』


 必死に伸ばした左手の指先。その指のあいだから幼い真美と過ごした聖地巡礼の記憶がこぼれ落ちた……。


「真美!! 僕の話はまだ終わっていないぞ……」


 完全に諦めかけた僕の視界に映ったのは、消えかけた幼い真美の表情が驚きの色に包まれる光景だった……。


背後から人の気配を感じた。お狐様のような場を俯瞰するような超自然的な気配とも明らかに違っている。広場に立っているのは僕と幼い真美だけのはずなのに。


『『、勝ち逃げなんて絶対に許さない!! まだ消えちゃ駄目。だって私にとってもあなたは大切なお友だちなんだよ!! ……さよならも言わずに消えたら一生恨んでやるから』』


叫ぶ声を背後から浴びて、まるで背中に冷水を掛けられたように震えてしまった。耳になじむ聞きなれた女性の声。よく出来たサラウンドスピーカーの音響で映画を観るような感覚にとらわれてしまった。同じ声が後ろから聞こえてくるなんて……。


『この声は……!? 嘘でしょ。なんで大人の真美ちゃんが同時に目覚めているの!!』



 次回に続く。

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