夏の魔物よ。白詰草の花冠を彼女に届けてくれ……。

「み、水色のワンピースって!? まさか嘘だろ……」


『――陽一お兄ちゃん、やっと私の声に気がついてお顔を上げてくれたね』


 憂いを含んだ大きな瞳。肩まである長い黒髪。そして陶器のような白い肌を彼女がお気に入りでよく着ていた水色のワンピースに包んでいた。


 その姿は僕の記憶のなかの彼女と完全に合致した。


「どうして真美が……。二人いるんだ!? 幻聴だけじゃなく生きている彼女の姿が見えるなんて僕の頭はおかしくなってしまったのか?」


 彼女の何気ない仕草しぐさ。困ったように笑う癖。その頬に片方だけ浮かぶえくぼ。すべてが愛おしかった真美の姿は変わらない。


 ただ一点だけ違うのは真美の身体が透けてしまっていたことだ。彼女の着ている水色のワンピースがはかなげに見え、透けた身体のむこう側には村一番高い柿の木がそびえていた。


『ずっと陽一お兄ちゃんのそばにいて呼びかけていたんだよ。鎮守様おちかんさまの森で離れ離れになった後も……』


「……お前は、真美なのか!? あの場所で僕の前から永遠に消えたんじゃなかったんだ。良かった、本当に良かった!!」


『駄目っ!! こっちにこないで、陽一お兄ちゃん、お願いだから……』


「どうして近寄っちゃ駄目なんだよ、真美!?」


『……いま陽一お兄ちゃんに触れられたらが揺らいじゃいそうだから。それとね、お約束したんだ。絶対に二人を逢わせてあげるって。お兄ちゃんと大人の真美ちゃん』


 幼い真美はいつもの困ったような眉の動きをしたあとで、くしゃっと笑った。


 ……僕と大人の真美を絶対に逢わせるって!? 


「真美ごめんな、すべてを台無しにしてしまったんだ。幼いお前が自分を犠牲にして魂が消えてしまうかもしれないのに、僕は二周目のチャンスでも大人の真美を救うことが出来なかった!! ……彼女はもう死んだんだ。一周目より最悪の結末を迎えてしまうんだったら何のために稲荷神社まで戻って来たんだ。過去に戻ったその意味を教えてくれ」


 湧き上がる後悔を必死で抑えながらトレーシーのセンタースタンドを掛ける。後部座席に座る大人の真美がずり落ちてしまわないように片手で彼女の身体を支える。触れた白いワンピース越しの冷たい感触に、またどす黒い絶望が胸にこみ上げてくるのを抑えきれない……。


『台無しなんかじゃない、陽一お兄ちゃんはすごく頑張ったと思うよ……。大人の真美ちゃんを救い出そうと全力で立ち向かっていたことを、私は見守っていたんだよ。涙が止まらないほど嬉しかった……』


 真美と再会した県営住宅で幼い彼女の胸に顔をうずめて泣いたあの日と同じく、優しい言葉を僕に投げかけてくれた。もう堪えきれない、止めどなく流れ落ちる涙が頬をつたって落ちる。


「真美、僕は……。少しでも褒められるようなことが出来たのかなぁ。いま流しているのは幼い僕の身体を借りて流している涙だ。小学生の陽一が目覚めて行方不明じゃなく真美の死という現実を突きつけられたら!! 幼い僕の精神はこの結末には絶対に耐えられない……。それでもよく頑張ったと言えるのか!? ちくしょう!!」


 もちろん目の前の幼い真美に向けた怒りの感情ではない。不甲斐ない自分自身に心底腹が立った。完全に詰んだ状況、二周目のループが引き起こす最悪の未来予想図を頭に思い浮かべて僕は怒りに震えていたんだ。


『すぐに早合点するのも陽一お兄ちゃんの昔からの悪い癖だよ。日葵ちゃんからも怒られていたよね。もう一度顔を上げて前を見て、この場所に私が存在するを考えてみて……』


 幼い真美がこの場所に存在する意味だって!? 


『陽一お兄ちゃんは覚えているかな? この広場からも見えるよ。あの通学路のある川沿いの土手に咲いた白詰草で首飾りや花冠を作ろうとしたことがあったよね。欲張りすぎて抱えきれないほどの白詰草を積んだ私は集めた草を入れるかごがなくて困っていた。そんな真美を見てお兄ちゃんはこう言ってくれたよね。入れ物がなければ自分の服で作ればいいって!! 着ていたシャツのお腹部分をめくってかごの替わりにしたんだよ』


 ……そんなこともあったな。梅雨が明ける時期に真美と二人で川沿いの土手の野はら一面に咲いた白詰草で首飾りを編んだんだ。僕のシャツの真似をして彼女が自分のスカートをめくって草のかご替わりにしようとするのを慌てて止めたんだっけ、でもなぜそんな思い出話をする必要があるんだ?


『陽一お兄ちゃんは真美に教えてくれたじゃない、白詰草だけに限らず入れ物が必要だって。それは身体も同じ、人のたましいも一緒って』


「それは……。いつものお祖母ちゃんからの受け売りだけどな。物は剥き出しのままじゃあ長持ちしない。大切にするなら入れ物に仕舞えって、片付けが苦手だった僕は口うるさく言われたっけ」


『本来、入れ物たる人間の身体には魂もひとつしか存在できないの。もちろん特例はあるけど一生は無理。いまの陽一お兄ちゃんの状態も短期間だから可能なの。それは真美も同じ。どちらかの魂が休眠している必要があるんだ。そしてだからよく聞いて。人が死ぬのは入れ物が壊れるのと一緒。身体に入っていた魂は普通、現世からむこうの世界に向かう。それが確実な人の死ということなの……』


 人が死んで身体から魂が抜けてあの世へとむかう。ここでは天国と地獄の概念は省略するが、この摂理は万国共通で昔から良く聞く考え方だ。幼い真美と再会する前の僕ならオカルティズムを特に信奉してはいなかったが、彼女との聖地巡礼の旅に出掛けてから起きた様々な超自然的スーパーナチュラルすぎる現象を経験した身にはごくあたりまえな考え方に感じられた。迷信を信じるお祖母ちゃんっ子ということもさらに拍車を掛けてはいるが……。


「……ちょっと待ってくれよ真美!! いまの説明は信じるけど、それなら僕の目の前に幼い真美が立っているこの状況は!? お前が魂の状態ならなぜ姿が見えて二人同時に存在出来るんだ。そして入れ物が壊れるのが人の死と言うのなら大人の真美が亡くなった瞬間、幼いお前の魂も一緒に消え去らなければならないはずだ、それなのに何故、まるで懐かしのファミコンゲームの二人用主人公の別キャラみたいに、水色と白色のそれぞれ別のワンピース、違った色の洋服を着た真美が同時に僕の前に現れたんだ!!」


『やっと気がついてくれたね、真美の二人同時プレイ。お裁縫だけじゃなくファミコンゲームもへたっぴだったから私、上手く出来るか心配だったんだよ……。種明かしするとお狐様がたったひとつだけお願いを叶えてくれて、大人の彼女を守るために身体から飛び出した幼い真美の魂が少しのあいだだけ実存化した姿。それが水色のワンピースを着ているの。分かりやすいのに何でお兄ちゃんはすぐに気がつかなかったのかなぁ?』


 悪戯いたずらっぽい表情で彼女がつぶやいた。

 その頬に片側だけ可愛いえくぼが浮かぶ様子さまを僕は思わず見つめてしまった。


「じゃあ、まさか……!? 白いワンピースを着ている真美は!!」


 あの小学校の校舎の複製レプリカがある施設で見た教室の扉の向こう側の世界。そこは大人の真美の願望が作り出した夢の中だと思っていた。その推察が間違っていなかった事実に深い喜びを隠せない。彼女は確かに白いワンピースを身にまとってあの海の見える場所で僕の前に現れた。きっと大人の彼女の魂は眠っていたはずだ。


『お狐様は悪い神様なんかじゃないよ。だから陽一お兄ちゃんも嫌いにならないでね。私のねがいごとをちゃんと叶えてくれたんだ。大人の真美ちゃんを守るという約束を。そしていまもお狐様の力で彼女の魂を身体ごと休眠させて活動を停めてもらっているの……』


 休眠!? じゃあ大人の真美は生きているんだ!! ……よかった、本当に良かった。僕は安堵のあまりその場に膝から崩れ落ちた。


「……最悪の結末じゃなかったんだ。僕が過去に戻ってきたのは無駄じゃない。真美を救い出すことが出来たんだ!! やった、やったぞ!!」


「ミギャア!!」


「ああっ!? ごめんな、ムギを上着の胸元に入れていたのを忘れていたよ。急に大声を出したからびっくりしたよな……」


 まるで生きたぬいぐるみみたいに可愛い頭をちょこんと出して子猫のムギが僕の襟元で活発に動き始めた。伸ばした指先を甘噛みするくすぐったい仕草。その生命の脈動がトレーシーの後部座席にいる大人の真美に少しでも伝わればいいと心底思った。彼女が目を覚ますのが待ち遠しい。そして幼い真美もまた一つの身体に戻れば!!


 すべてが幸せな結末ハッピーエンドにむけて用意されていたシナリオだったんだ……。


「真美っ!! はやく自分の身体に戻れよ。そうすれば大人の真美も目を覚ますんだろう? ……どうしたんだ、なぜ何も答えないんだ」


 大人の真美が生きていた喜びのあまり僕は我を忘れていた。差し向かいに佇む水色のワンピース姿の彼女に向って歩み始める。


 次の瞬間、浮ついた僕の感情は拒絶する彼女の叫び声によって遮られてしまった



『こっちに来ないで!! 陽一お兄ちゃん、お願いだから……』



 次回に続く。






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