私と一緒に想い出作りをしてくれませんか?
『――陽一お兄ちゃん、私の声が聞こえている?』
一音ごとに狂おしいほど懐かしい響きを含んだ言葉の文字列が僕の頭の中を駆け巡った。これは!! この女の子の声は、まさか……!?
「まみっ!!」
慌てて背負ったままの彼女の感触を確かめる。その身体には生命のともしびはまったく感じられない。僕はショックのあまり幻聴で真美の声を聞いたのだろうか?
「……確かに真美の声が聞こえた。あの語りかけるような口調はいったい!?」
稲荷神社の大きな赤い鳥居をくぐる境界線、ちょうどこの場所で僕、
――真美の声は直接、僕の頭の中で聞こえていなかったか!?
そんな馬鹿なことはありえないな。きっと大切な人を失ったショックで精神の均衡が崩れてしまったに違いない。
一週目の結末をあらためて思い返してみる。家出同然の逃避行の果て、行方不明になって大糸川の上流で発見された僕の髪の毛は、体験した恐怖のあまり白髪交じりになっていたんだ……。すべてを思い出した今の僕にはその
二周目の今回は異分子たる大人の人格が一つの身体に憑依していた。そんな怪我の功名で幼い陽一の身体は変調を免れた。真美を失うという皮肉な結果と引き換えに……。
「あの日をやり直したいって僕は確かにお願いしたけど。幼い真美。大人の真美。二人の彼女を失ってしまうなんて!! どうして……」
後悔と言う名のどす黒い闇にまた身体中を支配されそうになる。必死で歯を食いしばり、かがみ込みながら左手を地面に伸ばした。背中の大切な重みに気を配るのも忘れない。
「なあ真美、お前は何をそんなに大事そうに握りしめていたんだ?」
拾い上げた僕の指先に伝わる固い陶器の感触。これは……!?
「……狐のお守り入れなんて。お前はそれほどまで僕との約束を守りたかったのか!!」
真美が手の中に握りしめていた物は小さな狐の置物だった。僕と真美の逃避行最後の場所。あの夏の日に稲荷神社に到着して彼女が真っ先に向かった先は、本殿前にある無人の販売場だった。そこで真美は僕にひとつの提案を持ちかけてきたんだ……。
*******
『ねえ、陽一お兄ちゃん、今年は夏祭りに行けなかったけど、ここで真美と一緒に想い出作りしない。狐さんのおみくじを引いて二人の記念にするの!!』
……また彼女の子供っぽい提案だと思って最初は難色を示した。僕は照れてしまったんだ。
『あのなあ真美。呑気なことを言ってないで今後のことを考えろよ。この稲荷神社に隠れていても大人に見つかるのは時間の問題だぞ。お前がどうしてもって聞かないからこの場所に立ち寄ってやっただけでもありがたいと思え。僕たちは逃走中の身分なのを忘れるな……』
『真美の最後の……。ううん、何でもない。陽一お兄ちゃんも眉間にしわを寄せてないでお願いを聞いてよ。ねっ!! お金はもう入れたから。はいっ、これがお兄ちゃんのおみくじだよ。そして私は……。これに決めた!!』
透明な四角いケースの上に置かれた文鎮替わりの石を脇によけてから真美が中からおみくじを取り出す。本物のお稲荷像をかたどって神社のおみくじ入れとして販売されている物だ。可愛い白い狐の置物をひっくり返すと底の穴に巻物状のおみくじが入っているんだ。それぞれに右向きと左向きがあり、並べると一対の向かい合ったお稲荷像さながらになる。可愛い狐の置物を指先に持った真美の表情は本当に嬉しそうな微笑みを浮かべていた。
『……真美、本当にお前は安上がりな奴だな。ひとつ百円のおみくじでそんなに嬉しそうな顔をするなんてさ』
『値段なんか関係ない……。陽一お兄ちゃんと一緒だからこんなに嬉しいんだよ、真美のお願いを聞いてくれて本当にありがとう』
*******
あの日、僕に見せてくれた大輪の
「真美、お前はあのときの約束をまだ果たしていないぞ。後で一緒におみくじの中身を確認しようって言ってたじゃないか!! たとえ中身が良くなくても構わない。大凶だって嬉しいはずだったのに。僕に笑いかけてくれる君が……。そこにいてくれるだけで良かったんだ」
小さな狐のお守り入れを手の中で強く握りしめる。大きな赤い鳥居の境界線をくぐり抜けても幼い僕の身体には変化がなかった。入り込んだ意識はそのままだ。
「……この身体じゃあ、トレーシーに乗るのはとても無理だな。仕方がない、真美、少しの間ここで我慢してくれ」
鳥居前の空き地に停めていたトレーシーの後部座席に真美を座らせる。身体がずり落ちてしまわないように背もたれに寄りかからせた。
小学五年生の身長では足つきが悪くてトレーシーを運転することは無理だと判断して、僕はゆっくりと車体を押し歩いて目的地を目指し始めた。比較的軽量な車重のトレーシーでも小学生の身にはきつく感じられるが、それでも彼女の身体を背負ったままの移動よりは楽に思えたからだ。
稲荷神社の鳥居をくぐり抜けても、この身体のままなのは何か意味があるんだろう。あのお団子取りの夜と同じく、まるで今にも落ちて来そうなほど大きな満月に背中を照らし出されながら僕はトレーシーを押して狭い夜道を突き進んでいった。雑木林の隙間から見える通学路のあった川沿いの風景に僕は視線を落とした。
「真美。あの川沿いの道を学校帰りに一緒に歩いたよな。その先の土手に座って道草をしたのを覚えているか? そして土手を登った先に見える広場の先には……」
いつまでも続くと信じて疑わなかった何げない登下校の風景。小学校だけじゃない。中学、高校、その後もずっと……。
僕があたりまえだと感じていた日常。それは大きな間違いだっだ。隣に真美がいてくれるという途方もない奇跡にまったく気が付かないでいたんだ。そんな日常にあぐらをかいて感謝を忘れていたことに。彼女と過ごす一秒一秒が自分にとってどれほど大切な物だったのか。
「……僕は何て馬鹿だったんだ。真美、君を二度も失ってから、そんなあたりまえにようやく気が付くなんて!!」
トレーシーのバックミラーに映る後部座席の真美は何も答えてはくれない。車体を押し歩く腕が小刻みに震えた。
『――陽一お兄ちゃんはお馬鹿さんじゃないよ。だからお顔を上げて前を見て!!』
またあの声だ!! 真美の声で絶対に間違いない!!
もう一度トレーシーのバックミラーにちらりと視線を落とすが、景色にまったく変化はなかった。鏡面に映ったまばゆいまでのワンピースの白色が深い悲しみを誘う。じゃあこの声の
……次の瞬間だった。よりいっそう輝きを増した満月に照らし出され僕の前方の視界が一気に開けた。まばゆいほどの月明かりが照らし出す柔らかな光の束が村一番高い柿の木のある広場を指し示した。その広場の中央に佇んでいる人物は……!?
「み、水色のワンピースって!? まさか嘘だろ……」
『――陽一お兄ちゃん、やっと私の声に気がついてお顔を上げてくれたね』
真美、どうして死んだはずの君が
次回に続く。
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