メメント・モリ

「――このトンネルを創り出したのは僕、大滝陽一おおたきよういちだ!!」


 真っ暗なトンネル内に僕の絶叫がこだました。トレーシーのLEDヘッドライトが照らし出す前方の景色にまったく変化はない。


 この場所にもしも誰かが居合わせたなら、きっと頭がおかしくなってしまったと確実に思われただろう。だけど今の僕には確信があるんだ。そしてやらなければならない大事なことがまだ残っている。


「まだだ、まだ全然足りない!! 心の底から念じるんだ。真美のいるの風景を……」


 でも前回とは違う!! その証拠に甲高く響き渡る二サイクルバイク特有の排気音エギゾーストノート、トレーシーのチャンバーサイレンサーの音が聞こえる。古い隊道たいどうと呼ばれる手彫りのトンネルの壁に反響した音に驚いて天井付近にいた蝙蝠こうもりが一斉に逃げまとう様子が白色ヘッドライトの照射角に黒い影を映し込む。


「……真美が後部座席にいなくて本当に良かった。あいつ怖がりだからコウモリなんて出てきたらきっと悲鳴を上げて大変だったぜ」


 軽口を言える余裕があれば上出来だ。もっと心を落ち着かせるんだ。平常心を保て、そしてもう一度念じろ。あの夏の日の景色を鮮明に思い出せ。


「うわっ!? ぬかるみでトレーシーの前輪が滑った。……よし、いい調子。この車体の挙動こそ現実リアルが戻ってきた何よりの証拠だ!!」


 ヘルメットのバイザーにまで泥の飛沫が飛んでくる。普段のツーリングなら最悪な路面状況だが、今の僕には最高の状況コンデションに感じられた。


 何故なら……。


「この長いトンネルを創り出したのは大滝陽一だ!! いま見ている景色はすべて僕の弱い心が作り出した幻影で、だから出口が見えなかったんだ……。この空間を表出させたの名において命ずる、いますぐ紛い物の暗闇をすべて消し去ってくれ!!」


 僕は大きな勘違いばかりしていた。あの女神像のある展望台から跳躍ジャンプしたときも、このトンネル内で起こった不可思議な現象も全て彼女まみが超自然的な力を使って作り出したものだと思いこんで疑わなかった。鎮守様おちかんさまの森に出掛ける前の真美との会話を思い返した。


【……陽一お兄ちゃんはこれだけ不思議なことを体験しても全然気がつかなかったのかな? これもお兄ちゃんの生み出した能力ちからのひとつなんだよ。ぜんぶ真美がやっているわけじゃないから!!】


 そうだ、彼女は確かに言っていた。どうして僕まで力を授かったのかは定かではない。だけど今はそんなことはどうでもいい!! 真美を救い出せるのなら何だって利用してやる。


 トレーシーの荷台に積んである荷物、妹の日葵が作ってくれた真美の大好物ばかりのお弁当だ。あの展望台に置いてきたはずの荷物が突然現れたのにも意味があるに違いない……。


「なあ、真美。お前にお弁当を食べさせないと妹の日葵ひまりにも怒られちまうよな。だからなんだろ。今の僕には荷物の中身を確認しなくても分かるんだ。あれだけトレーシーでアクロバット走行してもお弁当の中身がまったく痛んでいないのは。それに喜べ、たい焼きとプッキーまであるなんて出来すぎだろ、日葵に感謝しろ。

 もちろん太平堂のたい焼きとチョコ味のプッキーだからさ。だからあの場所で待ってろよ、すぐに迎えに行くから……」


【陽一お兄ちゃん、また勘違いしているね。真美は怒っているんじゃないよ。ううん、その反対、とっても嬉しいの!! ひまわりちゃんが私の帰りを待っていてくれたことが、そして私の大好物もおぼえていてくれた幸せも!! そんな気持ちなんだよ。あとね、心配しちゃったのは日葵ちゃんより先に食べちゃったら悪いと思ったんだ。またあのころみたいに、いっしょに三人でお弁当を、いただきます!! ってしたかったから……】


 二人組の警察官から職質された夜のコンビニ前で、彼女に最後まで告げることが出来なかった言葉の続き。


「……真美、お前はなんて優しいんだ。僕なんかよりもずっと」


 僕と真美、そして妹の日葵。三人で一緒にお弁当を食べよう。


 あの村一番高い柿の木の下で……。


 次の瞬間。身体に強い浮遊感を感じた。トンネル内の黒い闇が一気に四散してトレーシーごと光に包まれる。目的地への到着を確信した。深く念じる必要なんてなかったんだ!! 狂おしいまでの懐かしい記憶。お菓子のブリキ缶にしまい込んだまま忘れ去ってしまった宝物のような日々を僕は思い出した。もとから大切な記憶は自分の中に存在していたことにやっと気がついた。


 固いアスファルトの感触をトレーシーの前輪に感じハンドルを取られないようにしっかりと車体を両腿でホールドする。トンネル内では全く機能しなかったスピードメーターの針を確認してからゆっくりと路肩にトレーシーを停める。


「戻って来たんだ……。あの夏の日に」


 ヘルメットのバイザーを上げると、さわがしい蝉の声とともに夏の熱気が首筋を抜ける。鬱蒼うっそうとした雑木林の向こうに二対のお稲荷像、そして真っ赤な鳥居があの日と変わらぬ姿で出迎えてくれた。水色のワンピースを着た彼女を見た最後の場所。



 ……僕は自分の意志で初めて跳躍ジャンプに成功した。



 次回に続く。



 

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