約束だよ、お兄ちゃん。私が大人になったら必ず迎えに来てね……。
雲一つない真っ青な空に向かって伸びる白い階段を踏み外さないように一歩ずつ踏みしめる。その長く続く階段の先にはまばゆいばかりの光が広がり、今にも大きな羽を広げた天使様が出迎えてくれそうな勢いだ……。
「……天国への階段か。そんなモノが本当に実在するなんて!?」
まるで安っぽい宗教画に描かれたような景色を
そうだ、幼い
【君に捧げる小さな恋の旋律!!】
「そうか!! そうだったんだな真美。お前は最初から分かりやすいヒントを与えてくれていたのに、なぜこんな簡単な答えに僕は気が付かなかったんだ……」
あの体育館で観た劇中劇のような舞台、自分が演じているのにその姿を舞台袖から眺めている奇妙な感覚とまったく同じだ。あの舞台で幼い真美が僕に伝えたかったメッセージを頭の中で
*******
『何なんだ、これは……!?』
突然、芝居の
強烈なスポットライトが僕たち二人を照らし出し安っぽい四色セロファンを貼ったような照明が目まぐるしく切り替わる。
舞台袖にあるようなビロードの布地が首筋に触れた。薄い上履きの足裏に感じる固いリノリウムの床材。そしてこの埃っぽい空気感には覚えがある。
僕は遠い過去の記憶を必死で探った。あの日の全校集会の後に行われた恒例の学芸会。そしてスカートめくりの記憶が蘇る。そうだ、小学校の体育館にある舞台の上に僕は立っているんだ!!
僕たちを照らすスポットライトの光量が眩しすぎて、体育館の観客席はこちらからでは全く見えない。セリフを忘れた大根役者のように僕はその場に立ち尽くしてしまった……。
『お兄ちゃんの左手と私の右手、ずぅっと仲良しでいられたらいいのに……』
『何、言ってんだよ、この場所でずっと一緒に暮らせるだろ!! 今も、これから先も!!』
『そろそろ時間切れかなぁ? これが大人の真美の見せられる精一杯なんだ。ごめんね、陽一お兄ちゃん。意地悪してバイクの鍵を隠しちゃって。夏祭りを一緒に行きたかったな……』
目まぐるしく色の変化する舞台上で、必死に言葉を紡ぐ大人の姿をした真美。
僕は全てを理解した。これはきっと大人の彼女がどこかで見ている夢だ。
その理想の夢の中に僕は足を踏み入れていたんだ。教室に入った後でいきなり場面転換した
トレーシーの鍵が見当たらなかったのも現実と向こう側を繋ぐ何かのキーアイテムだったんだろう……。
……でも大人の真美が存在するなんて絶対にありえない。
『陽一お兄ちゃんは、もう一人の幼い真美の約束を忘れちゃったよね?』
もう一人の幼い真美との約束!?
『約束だよ、陽一お兄ちゃん。真美が大人になったら必ず迎えに来てね』
あの夜の神社での約束の言葉が鮮烈に蘇る。
『馬鹿を言うなよ真美、僕が忘れるはずねえだろ!! もう一度お前に会うために、この場所に戻ってきたんだ……』
『それを聞けて安心したよ。私はあの場所でいつまでも待っているから、必ず迎えに来てね。大好きな陽一お兄ちゃん……!!』
舞台の中央、差し向かいで立っていた大人の真美を照らすスポットライトが不意に消える。
漆黒の闇が入れ替わりにその場所を支配した。
観客席から耳障りな拍手が鳴り響き、思わず耳を塞いだ僕の手には失くしたはずの革製のキーケースが握られていた。耳元で鍵束が擦れる鈍い金属音を奏でる。
・
・
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『お兄ちゃんはいつから夢だって気が付いていたの?』
『そうだなあ、これを言ったらお子ちゃまのお前にぶっとばされるかもしれないけど、成長した真美はとても綺麗だったんだ。年の頃はちょうど今の僕と同じくらいかな。背もすっげえ伸びてさ!! 良かったぜ、大人のお前に背が抜かれてなくてさ。真美が僕の前から姿を消してから何回、成長した姿を想像したか分からないよ。手を伸ばしても絶対に届かないと思っていたから……』
*******
「僕はまだ天国に行っている場合じゃない!!」
あの日の回想から戻り、幼い真美との時間差のあり過ぎる答え合わせを終えた瞬間、ぐにゃりと視界が歪み始める。足元の天国へ向かう階段が、その見せかけの純白に灰色が混ざり始める。踏みしめていた足先がずぶずぶと底なし沼に引き込まれるような嫌な感触。だけともう驚きしない、僕が進むべき本当の場所はまがい物の天国じゃないのは分かっているから。
この茶番劇を終わらせる言葉は決まっている……。
僕は最後の
「もう一度、あの夏をやり直させてくれ!! 真美、まだ巻き戻せるのなら……」
『陽一お兄ちゃん、やっと信じてくれたんだね、大人の真美ちゃんの存在を!!』
幼い真美の声が聞こえた気がした。いや間違いない!! その証拠にトレーシーに置いてきたはずのインカムマイクをいつの間にか耳に装着している。充電切れでも彼女の声だけは届いた時と同じだ。そして手の中には革の感触、初めてのデートで映画を観にいった帰りに真美が僕にくれた想い出のキーケースが握られていた。
「なっ……!?」
一気に僕の周囲を取り囲んでいた壁が取り払われる。これまで幼い真美と聖地巡礼の道中で経験してきた超自然的な体験をもってしても心の片隅にくすぶっていた猜疑心、あの夏の日に消えた彼女の存在は、僕の罪悪感が作り上げた勝手な幻で、行動を共にした真美のすべてが空想の産物だという心の壁が崩れ去った瞬間だった。
まるで爆竹がはぜるような破裂音、二サイクル車特有の高周波な排気音が耳に届いた。トレーシーに跨ったままの自分の姿勢にも別段驚きはしなかった。
迷いの
僕はもう迷わない、二つに引き裂かれた彼女を絶対に取り戻す!!
「トレーシー、真美の待つ神社まで急ぐぞ!!」
右手のアクセル開度に合わせてトレーシーの奏でる二サイクルエンジンの
次回に続く。
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