鎮守様の森で私をつかまえて……。
「これは……!? なぜこの場所に!!」
トレーシーのヘッドライトが照らし出した暗闇の先には、見覚えのあるモノがあった。僕たちは稲荷神社ではなく、別の場所に
「真美っ!! これはどういうことだ!? なぜ僕たちは……。この場所に来てしまったんだ」
「そう、
真美はいつの間にかトレーシーから降りていた。彼女の背後からまばゆいばかりの光が差す。トンネルの闇に慣らされていた目が開けていられない。
これまでの曖昧だった不可思議な空間に天地の区別が感じられ、真美の履いている花模様のサンダルがはっきりと僕の視界に飛び込んできた。
玉砂利の敷かれた地面の先に何枚も続く敷石。ここがひと目で神聖な場所だとわかる。
「……お、鎮守様って。あの山の
玉砂利が僕の足元で音を立てた。靴底の独特な感触は久しぶりだ。お祖母ちゃんに連れられて幼いころから、お正月三が日の水汲みには毎年来ていた。
これも昔からの伝統で、家にある上総掘りの井戸からではなく、川の源流に近いこの神聖な鎮守様の森まで水を汲みにくることがお正月の恒例になっていたんだ。
そしてこの場所を最後に訪れたときにも僕の隣にいたのは……。
「そんなに驚かないで。陽一お兄ちゃんをこの場所に連れてきたのには、ちゃんとした理由があるから……」
僕の目の前に、当時と変わらぬ姿でたたずむ水色のワンピースの少女。
「陽一お兄ちゃんは、あのときも私に話してくれたよね。この鎮守様の森は僕の庭みたいなものだって。子供のころから森のなかで遊びまわっていたんだよね……」
真美の言うとおり、僕はこの森で遊ぶのが大好きだった。夏休みになると、ちょっとした探検気分で、留守番を渋る日葵を横目に一人でこの場所を訪れるのが日課だった。自然のままで手つかずの森は、カブトムシやクワガタを面白いように捕まえることが出来て小学生の僕は夢中になったものだ。
後で日葵を口止めするのにも苦労したな。厳しいお祖母ちゃんに、この神聖な鎮守様の森で僕が遊びまわっていることを知られたら、どえらい勢いで怒られてお灸をすえられてしまうだろう。
だけどその話は僕が真美と知り合う前のことだ。お祖母ちゃんが亡くなってから逆に昔からの言い付けを守るようになったんだ。その理由は大好きだったお祖母ちゃんに天国で悲しんでもらいたくないから。そんな子供なりの想いがあったから。
そして口うるさく言われたお祖母ちゃんの言いつけは、子供だけで
狐の嫁入りの天気雨と同じくらい、その話を僕にするときのお祖母ちゃんの表情は険しかったから……。
「……真美、懐かしい話をするために、僕をわざわざこの場所に連れてきたんじゃないよな。 それとも、もう一回あの日からやり直すか? あの逃避行のときみたいに、ふだんは使われていない小屋を僕たちの隠れ家にしたりしてさ」
あの夏に彼女と二人っきりで、この森に逃げ込んだときの記憶が鮮やかに蘇ってきた。正確にいえば子猫も同伴だったな。僕のシャツの首すじから小さな顔を出し、ミャアミャアと鳴くか細い声。そしてまだ柔らかな子猫の爪先が妙にくすぐったい感触を昨日のことのように思い出す。
「そうだね。時間があればもう一度、この鎮守様の森から真美はやり直したいかな。なんて……!! これは笑えない軽口だよね。陽一お兄ちゃんのお株を取っちゃった」
軽口という単語とは裏腹に、彼女の言葉は僕に重くのしかかってくる。それほど真美の残された時間は限られている。質問に答えたくなかった悲しい
「……あの山小屋で食べた食事。とてもおいしかったね。陽一お兄ちゃん」
「ああ、お前と日葵の交換日記を読むまえに僕は気がつくべきだったな。学芸会から光の精に扮した真美を連れだした逃走劇のあとで、家出の準備をするために立ち寄った僕の家で、冷蔵庫に置かれていた作りおきの食材を入れたタッパー容器。そして妙に備蓄されていた保存食に……」
「全部、ひまわりちゃんが用意していてくれた物だよね。そして交換日記ては私がお父さんとお母さんの離婚の原因になったことや、学校での悩みも親身になって聞いてくれた……」
僕は大人になるまで、女の子二人の間でやり取りされていた交換日記の存在を知らされていなかった。日葵は真美の失踪直後、現代の神隠し事件として大騒ぎになったときにも、親父や警察からも事情を聞かれていたはずだ。
だけど交換日記の存在を誰にも話さず、秘密にしてきたんだ。そこには僕の知らない真美の苦悩が記されていた。そして僕と子猫を連れて逃避行に出掛ける真美の
「……ああ、日葵らしいよな。素直じゃないところがさ。今回だってお前のために僕一人では食べ切れないお弁当を用意してくれたんだぜ。真美へのお供えなんて言っていたけど、本当は違うくせに。 でも悪いな。トレーシーの後ろに積んでいた大量のお弁当さ。お前の不思議な
僕はあの女神像からの急階段をトレーシーで駆け下りるために、少しでも車体を身軽にしたかった。軽量な車重のバイクでは少しの重量配分の狂いが命取りの事故につながるから。自嘲気味にトレーシーに近づいて空の
「ほらっ、空っぽだろう!! って全部、荷台に積んであるのかよ……!?」
僕は売れないコメディアンみたいに、一人でツッコミをするしかなかった。女神像のある展望台。その下にある駐車場に置いてきたはずの荷物がすべてトレーシーの荷台に鎮座していた。何なんだこれは……!?
「……陽一お兄ちゃんは、 これだけ不思議なことを体験しても全然気がつかなかったのかな? これもお兄ちゃんの生み出した
「……って!? お前。僕はいつから超能力者になったんだよ!! そんなの聞いていないぞ。それに、もし本当に能力が使えるんだったらもっとはやく教えてくれよ。僕がもし超能力者だとしたらどんな力に秀でているんだ。ほら少年漫画のヒーローでもいろんな属性があるだろう!!」
「本当に陽一お兄ちゃんって単純で……」
真美がまた弟を見るような、いや今度はあきれ返った表情を僕にむけた。語尾を飲み込んだ彼女の可愛い唇の動きを僕は簡単に読めてしまう。
「お、お前っ!?
「……ぶっ、ぶぅ〜〜!! 大ハズレだよ。陽一お兄ちゃんは真美を分かっていない。私はお兄ちゃんの
「おい、真美っ!! 人のことを馬鹿っていう奴のほうがバカなんだよ。これは世界の常識だぞ」
「ふーんだ!! へりくつをいう陽一お兄ちゃんなんかもう知らないから!!」
「おいおい真美、小学生のケンカかよ……」
僕は今年でいったい何歳になるんだ。もう二十三歳だぞ。真美の言葉にのせられたとはいえ、いくら何でも精神年齢が低すぎだ。これじゃあまるで小学生のころに戻ったみたいだぞ……。
「……その言葉はダウトだよ!? この勝負は真美の勝ちぃ!! 今回は陽一お兄ちゃんの負けだね」
「なぜだ!! 僕は口ケンカに負けていないぞ」
彼女は僕にむかって無邪気なほほ笑みを浮かべた。
「これは小学生のケンカだよ。だって真美は小学四年生のままだから……」
「真美、それは……」
今度は僕が言葉を飲みこむ順番だった。小学生みたいに明るく振舞えない自分に年齢を感じてしまう。
「陽一お兄ちゃんはやっぱりずるいよ。お口を動かしてくれなきゃ
うつむき加減で真美の表情は、こちらからでは良く見えない。彼女の背後には、あの夏の逃避行の日、固く手をつないで二人で駆け上った
この長い石段を登り切った先に、大人の真美が叶えたかったという願いが隠されているのだろうか……。
次回に続く
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