おしえてあげようか? でもやっぱりおしえてあげない……。
「――真美、ゲームを始めようか? よく小学校の帰り道で歩きながら二人でやったみたいに……」
僕はインカムマイク越しに後部座席の彼女に話しかけた。
山あいの道を抜け、トレーシーは見通しの良い直線主体の県道を走行していた。しばらくは同じような道が続くので、会話を楽しみながらでも危険な目に合う確率も低くなる。約束のゲームをするにはうってつけだろう。
「……」
「真美!?」
真美からの返答はなかった。マイクのスイッチが切れているのか?
いや、そんなはずはない、充電バッテリー切れでお互いの通信が途絶するときには、警告の英語アナウンスが必ず流れるからだ。
彼女の身になにか起こっているのだろうか……。
僕の腰にまわした腕の締め付けは変わらない、いや、先程の衝突事故を起こしそうになった影響か、出発時よりも強く真美から背中にしがみつかれている感覚だ。
「お、おい、聞こえているのか!? 真美!!」
「……う、う〜〜ん、
太平堂のたい焼き!?
感度の良いインカムのスピーカーを通じて、彼女の言葉と同時にむちゃむちゃと、舌つつみを打つような擬音が聞こえてきた。
真美はまさか、寝言を言っているのか?
太平堂とは僕たちが小学生のころ、放課後によく立ち寄った通学路沿いの駄菓子屋さんだ。
僕と真美はわずかなおこづかいを握りしめて、本当は禁止されている買い食いをするのが、楽しみでもあったんだ。
妹の
僕はもっぱら食い気ばかりで、夏の暑い日は好きなアイスを頬張ったり、駄菓子屋のおばさんが作ってくれる特製焼きそばが大好物だったな。
店内には軽食も出来るスペースもあり、そこで僕たちは緑色のビニール椅子に座り、持ち寄ったゲームで遊んだりしたものだ。女の子二人は、よくシールの交換をしていたな、妹の日葵もシールを入れた小さなブリキ缶を、ランドセルにしのばせていたのを僕は懐かしく思いだした。
太平堂のたい焼きとは、真美が大好物だったあんこがたっぷりの白いたい焼きで、普段は少食な真美も、甘いものは別だよと、僕に笑いながら嬉しそうに食べていたんだ。
きっとそのたい焼きを食べている夢を見ているに違いない……。
彼女と再会して、まだ短時間なのにいろいろなことばかり起きて、僕は真美に対して完全に警戒を解いていなかった、謎めいたところばかり目についていた。
背中で寝言をつぶやく年相応の少女の姿に、僕は心の底から安心してしまった。
このまま寝かせておいたほうが良いのだろうか?
「わわわっ、猫っ!? なんで真美のたい焼きを狙うの!! これは本物のお魚さんじゃないよ!!」
真美が大きく身体を前後に揺らした。いったいどんな夢の展開になっているんだ!?
「ぐわっ!?
今度は僕が悲鳴を上げる番だった……。
背中に激しい痛みを感じた。彼女のヘルメットで思いっきり頭突きを食らったんだ。
真美は寝相も悪いのか!?
安全だと気を抜いていた直線道路で、右往左往にトレーシーが蛇行する。
慌てて速度をゆるめると同時に、万が一振り落とさないように僕の腰にまわした真美の腕を片手でしっかりとつかんだ。
「……はっ、私、思いっきり寝てた!?」
「……真美、あのなあ」
ほとんど停車しそうなほど速度を落としたトレーシーの上で、やっと僕の可愛い眠り姫が目を覚ましたようだ……。
「う〜〜、猫ちゃんが急に現れて、真美のたい焼きをくわえてスタコラ逃げちゃったんだよ!! 陽一お兄ちゃん……」
「それって夢の中の話だろ、お魚くわえたドラ猫ってお前、ベタ過ぎないか? 今日は土曜の夜だぞ、日曜日の夕方の国民的アニメじゃあるまいし……」
「陽一お兄ちゃん、どら猫じゃなかったもん!! 可愛い三毛猫ちゃんだったよ。私のどら焼きをくわえて逃げたのは……」
「そこに突っ込んできたか、真美、僕は猫の種類を言っているんじゃないよ」
「あっ、そうだね、猫ちゃんの種類は関係ないか。きっと真美、お腹が空きすぎてたい焼きを食べる夢を見ちゃったんだね……」
僕はとても楽しい気分になった。
こんなぽんこつな側面も見せてくれる彼女が本当に愛おしくなったんだ。
「……真美、お前って本当にぽんこつ可愛いのな!!」
「なあに? ぽんこつ可愛いって、陽一お兄ちゃん、意味がわかんないよ」
「あれっ、ぽんこつ可愛いって言わないか? 妹の日葵なんか、自分のことをそう呼んで欲しがるぞ。何でも女性グループアイドルの推しメンが、ぽんこつ可愛い、狸のぽんかわちゃんです!! ってキャッチフレーズみたいで、その娘に憧れてぽんこつ可愛い路線を目指しているんだって、本当に感化されやすい性格なのは日葵のやつ、子供のころからぜんぜん変わってないだろ……」
僕は自分が少女漫画に影響されて、学生時代に千葉県八千代市まで聖地巡礼の旅をしたことも棚に上げて妹のことを真美に告げ口したんだ。
んっ、日葵といえば何か僕は忘れていることがなかったか?
「日葵ちゃんらしいけど、真美、ちょっと寂しいな。ぽんこつ可愛いとか、推し、メン? とかわからない言葉ばかりで。なんだか私だけ仲間はずれみたいだな……」
わからない言葉だって!?
ぽんこつ可愛いとか推しメンとか、そんなに新しい言葉じゃないぞ。
逆に古すぎるくらいだ、最初はアニメファンとかアイドルファンのマニアの間だけの言葉だったが、一般にも広まる頃には陳腐化してしまうのが流行語だ。
「真美がふつうに大人になっていたら、陽一お兄ちゃんや日葵ちゃんと一緒にその話題で笑いあえたのかなぁ……」
「……真美」
――僕は言葉を失った。
彼女の時間はあの夏の日で止まっていることを忘れていたんだ。
僕のことについては知っているよ。そう言った真美の言葉を勝手に拡大解釈していたことにいまさら気がついた。
真美は僕のことだけしか見てなかったんじゃない!! 他の物は見えなかったんじゃないのか……。
「ごめんなさい、こんな暗い話をする女の子は駄目だね。これじゃあ良かった探しにならないよ……」
「……真美、じゃあ、聖地巡礼って言葉も知らないよな。僕は知っていると思って勝手に一人で盛り上がって、そんなお前に疎外感を覚えさせてしまったのか……」
聖地巡礼という言葉の意味も、真美は知らないはずだ。
本来の宗教的な意味合いではなく、アニメファンや映画ファンが、感銘を受けた作品の舞台になった土地に足を運ぶ行為だ。
最近の成功例では、ある実写作品の経済効果は約数十億円とも言われている。
その成功の理由は、現代人の中にある強い閉塞感からの癒やしを求めた逃避ではないかと高名な評論家が、聖地巡礼を取り上げたテレビの街ランキング番組で熱弁を振るっていた。
失われた記憶を取り戻すような自分の行動を、無意識に僕は聖地巡礼になぞらえていた。
真美との思い出が色濃く残るこの故郷の町を、逃げるように飛び出してみて僕はやっと理解することが出来た。
あの夏の日に埋められたまま、掘り起こされないタイムカプセルのような存在。
僕が本当に向き合わなければならないのに、あの場所にずっと忘れ去られていたという残酷な現実をいまさら思い出すなんて……。
そして、僕が黒塗りの記憶に消し去っていたタイムカプセルの名前は、
「ううん、真美はその言葉だけはよくわかるよ。聖地巡礼って陽一お兄ちゃんの忘れ物を探す旅なんでしょ……」
「……僕の忘れ物!?」
真美はあの県営住宅で僕の前に現れたときから、今回の旅の意味をすべて理解していたんだ。彼女は確かに言っていた。
『もし真美が本当のことを言ったら、陽一お兄ちゃんは私のことが嫌いになっちゃうかな?』
「なあ、真美、僕の前に現れた
「……」
インカムマイクの静寂が、何より雄弁に彼女の答えを語っていた……。
*******
次第に街灯が増え始めた県道を、僕は南にむかってトレーシーを走らせた。
インカムマイクは通じるのに真美は、あれからずっと無言のままだ。
直線の多い県道を終えて国道の入り口に近い場所の信号待ちでトレーシーを一時停車させる。
その時、沈黙していたインカムのスピーカーに真美からの通話が入った。
「これから話す真美のお願いで、陽一お兄ちゃんを困らせてしまうかもしれない……」
僕の腰にまわした彼女の腕に次第に力が込められてくるのが感じられた。
しばらくの沈黙の後、意を決したように彼女が僕に告げた。
次の瞬間、まわした腕だけでなく、彼女が後ろから全身で僕の背中を強く抱きしめてくれた。
「……ふうっ」
大きく深呼吸する真美の胸の動きが、僕のライダーズジャケットの背中を通して、痛いほどこちらに伝わってくる。
「言わずにいようと思ったけど、もう自分の気持ちを抑えることが出来ない……」
インカムマイク越しに彼女の強い想いが僕の耳もとに流れ込んできた。
「私、やっぱり陽一お兄ちゃんのことが大好き、だからもう離れたくない……」
耳から流れこんだ消え入りそうな言葉が直接、僕の胸に響いてきた。
あのお稲荷さんのある神社で、結婚の約束を交わしたあの日の僕に対する、
その痛切なお願いは彼女なりの精一杯の答えだった……。
「あの夏の日に消えた私を見つけてほしい……」
お団子盗りの神社で交わした僕の告白より、いっそう強い気持ちに感じられた。
背中に彼女の身体の震えが小刻みに伝わる、僕の言葉を待っているようだ。
「真美、僕は……」
次の言葉を言いかけた瞬間、インカムのスピーカーに携帯電話の激しい着信音が鳴り響いた。
ハンズフリーマイクで電話に応答する。切迫した口調の声の主は……。
「陽一お兄ちゃん、今、どこにいるの!?」
妹の日葵からだった……。
「私の言うことを落ち着いて聞いて欲しいの!! 行方不明になった真美ちゃんの新しい事実がわかったから……」
――真美の新しい事実だって!?
次回に続く。
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