僕たちの良かった探し。
「――陽一お兄ちゃん、ほんとうの聖地巡礼にでかけるって真美にいってくれたけど、その行き先は教えてくれないの?」
トレーシーを発進させて間もなく、ヘルメットに装着されたインカムスピーカーから彼女の質問が聞こえてきた。
ここからはゲームに例えるなら、待ちに待った僕の
まだ本当の姿を見せない夏の魔物に、こちらの手札を読まれたくはないからだ。
こんなにも無邪気に喜ぶ真美を僕も信用したいが、敵を欺くならまず味方から。
これは困ったら思い出しなさい、とお祖母ちゃんから教えられたことわざの一つだ……。
「後ろの荷物と同じで、後のお楽しみにしておいてよ!!」
ヘルメットの風防シールド内側に伸びる細いフレキシブル素材のインカムマイクに向かって、わざと軽薄な言い回しで僕は答える。
ボコン!! ボコボコ!!
「な、何だ、この音は……!?」
次の瞬間、僕のヘルメットのてっぺんに鈍い衝撃が走った……。
後ろから真美に頭を叩かれたんだ。もちろんヘルメット越しなので痛くはないが、彼女には安全のために固いプロテクター内蔵のバイク
「もうっ、陽一お兄ちゃんのいじわる!! 真美、口を聞いてあげないからっ!!」
そのままポカポカと彼女に殴られっ放しな僕。
シールド越しに苦笑してしまう。これじゃあ先が思いやられるな……。
まるで子猫がじゃれ合うような軽い
先程の施設から郊外に向かう対面通行の道路には砂取り場が近くにある関係で日中はダンプカーが多く、重量のある車両が激しく往来するため、アスファルトの道路が歪んで深い
まるで亀裂のレールに乗ったように真っすぐに走るのも困難な場合が多い。
今回は二人乗りに加えて積載した荷物も満載なので細かく神経を使って操縦しなければならない。
トレーシーのライトはLED化して純正よりもかなり明るくなっているとはいえ、漆黒の暗闇を切り裂いて走行するにはいささか心もとない明るさだ。
満月の月明かりも山あいの道路のため、その明るい姿が隠れがちになっていた。
目的地にはこの先の有料道路を使えば最短で行けるが、あえて僕は一般道を選択する。まだ彼女には明かせないがそこには重要な意味があるんだ。
以前は一般道しか存在せず有料道路は
まあ動物のテリトリーを勝手に荒らしているのは僕たち人間側なので、彼ら動物にとってはいい迷惑に違いない。そんなことをぼんやりと考えながら見通しの悪い左カーブに差し掛かると突然、暗い道の端から一匹の猿が飛び出してきた!!
「きゃああ、危ない!!」
後部座席の真美が激しい悲鳴を上げたのが、インカムマイクを通さなくてもこちらの耳まで届いた。
ライトに照らされて驚いたのかトレーシーの進路に猿が立ちふさがる。
このままでは確実に前輪で轢いてしまう!!
映画のスローモーションを見ているように全ての動きが
視線の先で仮想の白い円形がカメラレンズのフォーカスリングを回すように慌ただしく動き、そのピントが猿と合致した。そして僕の頭の中に優先順位の項目が次々に浮かび上がり、瞬時に最適な答えを導き出す。
長年のバイク乗りとして身体に染み付いた危険回避の判断でとっさに後ろのブレーキを強めに掛ける。トレーシーのリアブレーキは乗用車のように足踏み式なので踏みしろの調整がかなり難しい。だがコーナーリングのために車体は深い
その状態で前側のブレーキを強く掛けるのは前のタイヤがロックして転倒するリスクが高まる。ブレーキ操作と渾身の体重移動で船の当て舵のようにトレーシーの車体が、ぐっ、と起き上がるのが強い遠心力の中で僕の左半身に感じられた。
頼む、トレーシー!! 何とか持ちこたえてくれ!!
二サイクル水冷単気筒エンジンが高周波混じりの咆哮を上げる。車体はきついカーブの出口に向かって走行ラインを変えた。
二人乗りの重みでフルボトムしていたサスペンションがアクセル開度に合わせて一気に伸び上がるのをじわりと右手首でコントロールする。
その
猿とあと僅かタイヤ一本分の間隔だった。やったぞ、衝突をぎりぎりでかわせた!! 奇跡のような幸運と相まってトレーシーの挙動は大きく乱されることなく、僕たちは転倒という最悪の状況を免れることが出来た……。
「ふうっ、 びっくりしたよぉ……!!」
真美の震えと動揺が密着した身体から僕の背中にも伝わってくる。
よろよろと安全な路肩にトレーシーの車体を滑り込ませ、いったん停車させる……。
「真美、大丈夫か!?」
「うん、大丈夫だよ。びっくりしたけど真美は何ともないから……。 お猿さんも無事で良かったね!!」
危うく人身事故ならぬ獣身事故になるところだった。
まったくしゃれにならない。そのお相手の猿はのんきな顔で道端に座り込んだままだ。人に恐怖を感じないのか毛づくろいまで始める始末だ……。
「お猿さん、このままじゃ危ないよ、また車に轢かれそうになるかも……」
真美が心配そうに顔を曇らせた。
子供のころから動物が好きなところは変わっていないな、猫や犬だけでなく動物全般が大好きなんだよな。将来はペットショップで働きたいと、僕とやり取りをした可愛らしいプロフィール帳にも書いてあったな。
でも猫といえばお団子盗りの夜、あのお稲荷のある神社で二人で育てようと約束した子猫。その後の顛末はどうなってしまったんだろう?
真美とのやり取りがどうしても思い出せなくなったのは、あの満月の夜の神社から始まっていたんだ……。
「よし、猿には悪いけど、この場所からどいてもらおうか」
猿に向かってトレーシーの
餌を求めて動物が人里に降りてきて畑の農作物を荒らす被害も多いと聞くが、この狭い道幅では車幅のある四輪車だったら猿を避けられなかったかもしれない。
今更ながらライダーズジャケットの背筋に冷たい物が流れるのが感じられた。
真美をもっと危険な目に遭わせていたかもしれない。
自分の中で湧き上がる嫌な想像が止められない。硬いアスファルトに投げ出される水色のワンピースと白い肌が真っ赤に染まる
「あのね……」
黙り込んだままハンドルグリップを固く握りしめる僕に向かって、真美が優しく声を掛けてくれた。
「陽一お兄ちゃんはとっても偉かったと思うよ!!」
「えっ、何でだよ!? 真美を危険な目に遭わせたかも知れないのに……」
彼女の言っている意味が分からなかった。こんな僕のどこが偉いんだ!?
「ううん、お兄ちゃんは偉いよ。一生懸命、真美を守ろうとしてくれたから、それにお猿さんも助けたんだよ……」
真美が言葉を続ける。
「お父さんとお母さんがまだ仲良しだったころ、真美ね、幸せになる秘訣を教えて貰ったんだ。それは一日の中で良かった探しをすることなんだって……」
真美の両親!? 確か例の噂好きなおばさんの話だと、真美が県営住宅に引っ越して来る前に離婚したと聞いていた。
それも彼女が原因で夫婦が不仲になったからだと、そのおばさんの知人が真美の父親をたまたま知っていたから、その話には信憑性があるとも吹聴していた。
もしそれが事実だとしたら自分が原因で離婚した両親のことを僕に告白しているのか!?
「人って気持ちに左右されるでしょ、私も結構ネガティブに物事を考えちゃうの。陽一お兄ちゃんに出逢う前からそんな性格なんだ。小さなことでもすぐ悩んじゃう……」
普段僕の前でみせる無邪気な彼女からはとても想像が出来ない。
真美は家族のことをあまり語らなかった。僕からみたら明るい太陽のような存在だと勝手に思い込んでいた。
「悪い出来事でも心の中でプラスに考えてみなさいって、減点法じゃなく加点法に切り替えるだけで人生は楽しくなるから。今、起こった出来事だって陽一お兄ちゃんは一生懸命にバイクを操作して真美を守るために最善を尽くしてくれたから……」
小学生の頃、僕が憧れていた真美の気丈な振る舞いの
彼女は僕なんかよりずっと辛い経験をしても、日々の中で良かった探しをして今まで耐えてきたんだ……。
何故か、この旅に出かける前に納屋で聞いた妹の
『お願いだから生きて帰ってきて。群青の蒼に染まっては駄目!!』
何者かに取り憑かれたような妹の言葉の意味を、半分だけ理解が出来た気がした。もしかしたら真美は僕に助けを求めているんじゃないのか!?
「真美!!」
「お、お兄ちゃん、何!?」
僕の語気の強さに思わず肩を震わせ、たじろぐ彼女。
「先を急ごう、君に見せたい場所があるんだ……」
僕にとって、彼女の隠された内面を知ることが出来て、それが今日初めての良かった探しだと思うと何だか無性に嬉しくなった。
胸の中に温かな感情がじわじわと広がるのが感じられる。真美がいなくなってから生きる目標も見失い、つまらない
親の跡を継ぐのを拒絶して都会に飛び出しても成功なんてしなかった。そして都落ちのように故郷に戻ってきた自分には何もないと思い込んでいた。
そんな僕が視点を少し変えるだけでこんなにも世界が輝いた景色に見える!!
この気持が良かった探しの加点法の効果なんだ。僕はこれまで減点法で日々の良くないことばかりを探していたんだ。
思わず嬉しくなってこのことを彼女に話したくなったが何とか思いとどまった。
まだ照れくさいから黙っておこう。
今は真美が僕の前にいてくれるだけでいい。
この旅こそ僕にとって最高の、良かった探しだってことを……。
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