第8話 Passion fruit (3)
一時間後…
「ふぅー」
額に垂れた汗を手で拭い芽森は息を吐いた。直近で用意した回転椅子に腰掛ける。椅子はギィッと音を立てて芽森を受け入れた。
「うーむ…割と広いな…」
クルクルと回りながら芽森はつぶつぶと言った。事実この部屋は、家具を詰め込んでなお、以前住んでいた部屋よりも面積は広かった。
「…ワクワクするな、なんか」
そう他愛もなく、彼は胸を弾ませて立ちあがり、ふらふらと部屋を歩き回ったり、ベッドに横たわりながらテレビを見やすい角度に調整したりなど下らないことをしていると、扉から、くぐもってはいるが聞き心地の良い音が、三回ほど鳴った。ノックである。
芽森は返事をして扉を開く。開いた先にはぼんやりとした女の子が立っていた。存在が、ぼんやりとしていた。しっかりとそこにいて顔を認識していて、鼻や目の形、髪の艶などがしっかりと見えている筈なのに、抽象画の意味を懸命に探索しているような、とても遠くにいる人を目の端でチラリと見ているような、そんな感覚を彼は抱いた。
「顕影明里ちゃん…だよね」
芽森は、忘れないように昨夜ごまんと暗唱した名を口にする。それを聞いて彼女は、腰近くまで伸びた、漆塗りのように艶々とした黒髪を、人差し指でくるくるとしながら少し嬉しそうにした。制服のスカートが、風になびいて静かに揺れる。
「一日跨いでも覚えてるなんて初めて。所長もまだ私の名前が書いてあるメモ帳を手放せないのに。最近は確認していないけど」
肩をすくめながら彼女は言った。
「いや、あんな恥ずかしいことしながら啖呵をぶった切ったわけだし…放って置けないし…」
それに気になったし何より可哀想になった。と芽森は言いかけたがくっと飲み込んだ。なんだか、失礼であると考えたのである。
「てっきりあの一夜だけの関係かと…」
「いやそんなアダルトな言い方しないで…誤解されるよ…」
彼女は口元に手を当てくすくすと笑いながらそうだね、ごめんねと言った。そして明里は咳払いを1、2かいして口を開く。
「さて、本題。直虎くん、所長が呼んでたよ。案内してあげる。一緒にいこ?」
そう言って芽森の来ているシャツの袖口をくいと引っ張った。
「うん、わかった」
彼は素直に了承し、行く前に換気のため開けていた窓を閉めようと手にかけると、4月であるのに、やけに熱い風が入って来た。
(嫌な風だな……)
芽森は顔をしかめた後、素早くクレセント鍵を締め、部屋を出た。扉はバタンと音を立てて閉じられた。"芽森の部屋"と書かれたドアプレートはカランカランと軽快に音を立てた。
階段をのしのしと二人して降りて行き、一階のこの建物唯一の自動ドアを通り恐らく研究室であろう部屋に入った。昨日、芽森が聞き耳を立てていた部屋とはまた別の部屋であった。
「お、来たねぇ芽森クン」
部屋の奥の方でパソコンをいじっていた進が顔を出した。身なりは整っているが、少し疲れが見えると芽森は思った。確かに結構遠く離れた芽森の家に不法侵入して荷支度をし、戻って仕事とくれば寝る時間は少ないと思われた。
「はい、明里も芽森クンもそこに座りたまえよ」
ホワイトボードの前に置かれた二つの丸椅子を指差して進は言った。二人は指示どうり、穏やかに座り、ホワイトボードの前に立った進を見た。
「改めて…ようこそ!果無研究所へ!僕は所長の果無進。気軽に所長と呼んでくれたまえ!」
昨日と同じ調子であるが、若干早い口調で進は話し始めた。
「ここでは、トラウマによって異能力が発現してしまった人々、通称"P.T."を研究している。では、この研究所が出来上がった当初から現在に至るまでの歴史をお話し…」
「あーいや、ここが出来たあらましというか概略は甘噛さんから聞いてます…」
流れのいい川のように気持ち良く話し始めようとした進に対し芽森は板を立て掛ける。
「えっ」
進はなんとも言えない表情をして固まった。
「そ、そんな…じゃあ僕が用意したこの台本が全て無駄となるのか…」
そう言いながら果無は辞書のような分厚い紙の束をどんと出した。
(うわ、堰き止めて良かった)
二人はそう思いながら、互いに目を見合わせ笑った。
「んー、うん…まぁいいや、芽森クンなんか質問ある?」
項垂れて進は言った。後ろに結んだ髪が、彼の首を撫でながら肩に落ちた。芽森は少し顎に手を当てた後、ぽつりと口にする。
「"P.T."のことを、もう少し詳しく教えて下さいませんか?」
進は少し肩眉をあげて唇を尖らせた。
「えらくアバウトな質問だね…さて何から話そうか…」
進はそう言いながらペンをクルクルと回し、トントンと後ろに歩いた。
「ああ、そうだね。能力の種類を大雑把に話していこうか」
「種類……ですか?」
「うん。全部同じように見えて、実は能力の発動の仕方に少し違いがある。大きく分けて三つだ」
進は指を鳴らしながらホワイトボードの前に立ち、すらすらと簡単な表を作り始めた。
「1つ目、任意発動型。自分の意志で能力を発動したり引っ込めたりできる。ファンタジー系の作品などで見られる超能力の典型例だね。それこそ人を超越できるくらいにね。ただ難点が」
進は人差し指を額に当てた。
「というと?」
「能力を発動しているときに、P.Tたちはその個々が持っているトラウマの記憶や感覚に苦しむんだ。トラウマが、自身の脳内で鮮明に再演される」
「それは、精神的にかなり悪影響なんじゃ……」
「そう。精神衛生においてかなり悪さをする。だからP.Tの人たちは能力を持っていてもあまり使わないんだ。勿論使う人もいるんだけど」
「だから一般の人に全く知られてないんですね」
「んー、ま、たぶんそう。持っているという自覚のない人もいるから一概には言えない。まぁ僕が証拠隠滅に奔走しているのもあると思うんだけど」
進はグイっと背伸ばしをした。彼に常時見られる張り付いた疲れはこのことにも要因があるのか。
「それじゃあ、二つ目の話でもしようか。常時発動型っていう。制御できずに常に能力が垂れ流しっぱなしの型だ。明里がこの状態に当てはまるね」
明里を指さしながら進は言った。明里は不意に指をさされて驚いた素振りを見せた後、やめろと言わんばかりに彼の指を無理やり折り込んでしまった。
「でもそんな状態かなりやばめじゃないですか?常にトラウマが再演されてしまって精神を病んでしまうんじゃ……」
芽森は眉をひそめて、進の方へ顔を近づけた。
「ああ、この型はまた別でね。再演というほど記憶は呼び起こされない。即座には影響ないさ」
彼の話を聞いて芽森は少し胸を撫で下ろした。進はそれを見て指を交差させて打ち付けた。
「ただし、即座って言ったように、長期的に見れば少なからず影響はある。なんでも、頭の片隅に記憶が張り付いてちらつくらしいよ。視界の端に映る目に入ったごみのようにね。それが、能力者の心を蝕んでいくんだ。じわじわと、錆びていくように。だから、周りがその人の心を支える、これが不可欠だね」
明里はその通りといった様子で頷いた。
「肯定ありがとう、明里。それじゃー次は、3つ目か。これちょっと説明しにくいんだよね」
進は彼女に手を向けた後、頬に手を置き、二、三回指で頬骨をなぞった。
「特定条件型。特定の条件下に置かれたときや感情的になったとき、否応なく能力が発動してしまうものさ。この型はねぇ、トラウマの再演が人によってまばらなんだ。トラウマなんて知ったこっちゃないといった態度の人もいれば、強烈な再演でうずくまってしまう人もいる」
こういった後、進は舵を取るかのように手すりを持ち、グイっと立ち上がった。
「とまあ、粗方の説明は終わりさ。これ以上長々と説明しても専門的知識が入ってきて煩雑になるだけだ。丁度これくらいだと眠気は起きない。眼鏡をかけたエンターテインメントというやつだね」
「ありがとうございます。これでちょっとは理解できたかな……」
「理解できなくとも、理解しようとする心意気こそが他人に響くんだよ。ね?明里」
進がピースサインをして尋ねると、明里は優しく頷いた。
「おおっとお!危ない、この会話を締めるところだった!本題はまた別にあるんだよ」
進は少しきょろきょろした後、ホワイトボードクリーナを手に取り、先ほど書いた表を消した。その後インクの粉が白衣の袖についたようで、ハンカチを当てて丹念に拭いている。
「え?さっきのこの研究所が出来た歴史云々で読んだんじゃないんですか?」
「……僕がそんな頓馬な理由で君たちを呼び出すとでも?」
「……正直……思ってました……」
「……僕の特性をわかってくれていて何よりだ。ぶっちゃけそのつもりだった、というかこの話は明日に回そうとも思っていたよ」
「なぜ一旦誤魔化そうと!?」
「大人だからね」
「大人はあらゆることへの免罪符には成得りませんよ……」
一寸の沈黙の後、進は大きく咳払いをして、取り繕うように手を後ろへ組んだ。芽森はそれを見てあきれた仕草をし、とりあえず椅子へ座り直す。明里も本題の空気を感じ取り、オフィスチェアを舟をこぐように動かして芽森に寄っていった。
「少しばかり、これを見てくれないかな?」
進は机の上にあるデスクトップの画面を芽森たちの方へ向けた。その画面には、あるニュース記事が映っている。芽森はブルーライトに目を細めながらニュース記事を読み上げた。
「”壮年男性連続暴行事件 被害者は口をそろえて『燃えている少女に襲われた』”……燃えている?」
「そう。左目と右腕の部分が燃えていたらしい。世間はこれを”錯乱していた”って片付けているけれど……さて、どうだろうね」
「”P.T”かもしれないと?」
「ああ、というかそれでほぼビンゴだろうね。証拠はこの話。数週間前、隣町で火災が起こったらしい。そこには4人家族が住んでいたんだが、長女を除いて家族は全員焼死。家も全焼だと」
「それはまた不憫な……。原因はガス漏れとかですか?それとも煙草の不始末?」
先ほどまで浮かべていた呆れ笑いを引っ込めた芽森が、怪訝そうに話した。
「いや、おそらく放火と言われているよ。現場で、空っぽのガソリン携行缶の燃え滓が見つかったらしい」
進がそこまで言った後、しばらく声を出していなかった明里が静かに口を開いた。
「つまり、生き残った長女が、件の犯人……」
「そう!生き残りの長女が”P.T”に目覚め、その力を使って犯人と思われる人たちを片っ端から暴行しているんだろうねぇ。まさに
進はそういって唇に手を当てる。
「でも、このまま復讐を完遂させても、彼女はただの殺人犯になっちゃいますよ!そんなの救いようのないバッドエンドです……」
少し白くなった顔を強張らせて芽森は言った。進は芽森の頭を宥めるように少し撫でる。
「そうならないために、僕は君たちに声をかけたのさ」
「え?」
「君たちには彼女を保護してほしい。研究から手を離せない僕らのためにね。それが今日の本題さ」
「保護……ですか?」
「倒すんじゃなくて?」
眉をひそめる芽森の横で、明里はシャドーボクシングのような動きをした。
「いや倒しちゃダメでしょ明里、中々バイオレンスだな。保護だよ保護、これ以上暴走させないためと、能力をむやみやたらに人前で使わせないためさ」
「でも、手がかりも何もないんですが、出会えるんです?」
「手がかりならあるさ。今メールで送ったから、二人とも携帯を見なさいな」
そういわれた後、間もなく芽森のポケットから通知音が流れた。明里もブレザーの胸ポケットから携帯を取り出す。
「なんで僕のアドレスが漏洩してるんです!?」
「君の個人情報は、一切合切この僕の手のひらにあると思いたまえ~」
「能力者よりも現実的な恐怖に屈してしまいそうなんですが……」
ため息を二口ほどした後、芽森は携帯に映し出されたものを見た。それはどうやら、何かが記された地図のようである。四つの赤い点が一定のリズムで点滅していた。
「その赤い点は、これから件の彼女が現れると思しき場所さ。暴行現場を洗ってみると、彼女は隣町からこの町に通づるすべての道を通過して、放火魔を見つけようとしている。その四つの道は、まだ彼女が通っていない未知の道さ」
「なるほど……これをしらみ潰しに歩いていけばいずれ鉢合わせる、といった寸法ですね」
「その通り!あとこれも君たちにあげる」
進は白衣のポケットから金属球を取り出し、芽森に向かって優しく投げた。
「これは……金属の塊?」
芽森は、受け取った金属球をクルクルと手で回しながらまじまじと眺める。
「それはね、”P.T”に近づくと変質する金属球、通称サーチャーだ。研究員の一人である
進はデスクトップに移動し何かを打ち込み始めた。そして進がエンターキーを勢い良く押したのと同時に、金属球が煌びやかな赤に変色し始めた。芽森は思わず感嘆の声を上げる。
「きれい……夕日みたい」
そういって明里は金属球に少し触れた。しかし
「ッ!!」
明里は大きくからだを震わせて手を引っ込めてしまった。
「ど、どうしたの?明里ちゃん」
芽森は心配した様子で明里の肩に触れた。明里は金属球触れた指を擦っている。
「とても、熱かった。直虎くんは大丈夫なの、そんなにずっと触っていて……」
「僕は何とも……」
「ああ!ごめんごめん、伝え忘れていた。もしかして明里触っちゃった?」
進が慌てて駆け寄る。明里は静かに頷いた。
「これは、”P.T”の最大の要因である脳内物質に反応して赤く変色して発光するものでね。普通の人からすればただ綺麗なだけなんだけど、”P.T”の人が触ると、脳内の物質と反応しあって熱く感じるんだ。だから明里、気を付けてね」
「……説明、ちょっと遅いかも」
明里は口をとがらせて進を見た。
「ごめんって明里、そう拗ねないで」
そう詫びながら進は、再度金属球の設定をしたようだ。瞬く間にそれは光を失い、元の鈍色に戻っていく。
「では、そろそろ向かいますね。善は急げって言うし」
芽森は金属球をポケットに入れたあと、立ち上がり背伸びをした。少し長い時間座っていたからか、関節は気持ちの良い破裂音を鳴らした。明里もカバンを持ち上げ出発の意思を表した。彼女のぺんろく君ストラップが鈴の音を奏でる。
「ああ、お見送り前に一言」
進は手を振りながら言った。白衣の裾の中から彼の白く細い腕が見え隠れしている。
「気を付けて、”P.T”は人を凌駕するものだ。危なくなったらすぐに逃げるんだよ」
「最後に大人っぽいこと言っても無駄ですよ」
意地の悪い笑みを浮かべて芽森は返した。
「……違いない」
進は書類を手に持ちながらぽつりとそう口にした。芽森は意気揚々とした様子で自動ドアを通る。明里もそれに続こうと遅れて通ろうとしたが、
「ぐぇ」
小さなうめき声が芽森の後ろから聞こえた。
「うぇ?」
たまらず振り向くとそこには、自動ドアに挟まって涙目になっている明里がいた。
「ええ!?なんでそんなことに……」
「センサーに、気付かれなかったみたい。時々あるんだよね……」
芽森は、彼女の能力の無益さに頭を抱えるほか無かった。
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