第7話 Passion fruit (2)

 車が家から出発してから3分後、芽森は青年に話しかけた。

「あの、先程はありがとうございました。どうしても研究所のことは母に知らせたくなくて…」

「あぁ、そう言うことか。確かにお母さんに知られたら一緒に研究所にぶち込まれるもんね、納得納得」

 小さく首を振って青年は答えた。

「あの、今日来た人たちって皆んな……」

「うん、僕たち皆んな研究所の者だよ」

 何を聞くのか察したのか食い気味で答えた。

(この人なら質問しても良さそうだな…)

 そう思った芽森はこの青年に研究所について気になっていることを質問した。

「研究員って何人程いらっしゃるんですか?」

「あぁー、研究員ね。女性研究員が5人で男性研究員が今日来た僕達4人含めて8人、計13人だねー」

「え…意外と…」

「少ないでしょ?果無所長が信頼できる人間だけを集めたからこうなったのかもね」

「あの…」

 芽森は今でもハッキリしない人物について聞いた。

「果無所長って何者なんです?」

 彼はあの胡散臭い男の素性がいまいちピンとこなかった。すると青年は他の質問と同じような声つきで言った。

「果無所長は心理学者だったんだよー。元々はね」

「元々は?」

「うん、トラウマを持った人間の心理を研究していて、偶然トラウマによる能力者という存在を知ったんだ。そして、そんな存在が世界にもいる事を。それで研究所を立ち上げた。大体六年くらい前かな?」

「六年前…通りで…」

 通りで研究員が少ない訳だ、と芽森は納得できた。

「因みに、"P.T"という名も、そのメカニズムを発見したのもあの人なんだよー」

「へ、へぇー」

 存外すごい人だったのか、と芽森は少し尊敬の念を胸にためた。

「そういえば、研究所内に"P.T"って何人くらいいるんです?」

 一番気になっていた事であったので、芽森は身を乗り出して聞く。

「三人だよ」

 これはまた少ない、と彼は思った。研究員も少ないし少人数主義なのかもしれないとも考えた。この世には"P.T"自体が少ないのかもしれないとも。他に別の理由があるのかもしれないが。

 青年は話を続けている。

「一人の娘は最近入ってきたんだ。他の二人は研究員兼任で研究所設立時代からずっといるから実質一人目かな?名前は……あー……あれ?……えー…」

 青年は思い出そうと人差し指をひらひらと動かしながら頭を傾けていた。さながらフクロウのように。

顕影明里ありかげあかりさんですよ」

 芽森は昨夜の夜から決して忘れまいと、頭の中でこれでもかと反芻した名前を口にする。

「あぁ!そうだそうだ!顕影明里ちゃん。ホント、あの子の能力ってのは厄介で難解だね。自分の名前はおろか存在さえも他人から認められないとは」

 事柄を思い出せたからか、はたまた彼女の存在を再び認知できたことが嬉しかったのか、彼はスッキリとした表情で続ける。

「でも、君は覚えている、もとい覚えてくれているんだね。そりゃぁいい。僕らはどうしても覚えられないから」

「え…?どうして」

「人間ってのは第一印象でその人のイメージを九割決めてしまうのは知ってるよね?おそらくそれだな」

 ハンドルを右に切りながら続ける、心なしか先程より虚しい背をしながら。

「僕ら研究所の人間は、彼女のことを最初に研究材料として見てしまった」

 芽森は前のめりになっていた背を後ろに倒し、腕を組んだ。続けて青年は言う。

「資料が置いてある一つ一つの場所を覚えていない様に彼女の名前を覚えられないのだろうね。今はそんなつもりはないと思っている、思おうとしているのだけれど、きっと心の奥底ではまだ研究材料として見ているのだろうね。僕らにとっての彼女のイメージがまだ最初の九割に支配されている」

 赤信号になったのか青年は車を止め、後ろの席に居る芽森に顔を向けた。

「だからこそ、君には彼女のことを覚えていて、いや憶えていて欲しい。人間は誰かに知覚されてないと生きていけない、精神衛生上ね。透明人間じゃ生きていけないんだ」

 芽森は頷く。彼は父を失ったとき、もう認めてくれる人がいなくなったと深く悲しんだ。ただ幸い彼には良い母もおり、友人もいたのですぐに立ち直った。彼は米倉の顔を思い出して微笑した後、払うように手を振った。透明になったような感覚の奇妙な空虚感や苦しさが彼には少し分かるような気がした。それと共に芽森はあんなものがより深く、より強大に襲ってくるのはさぞ辛かろうと考えた。

「分かっています」

 彼は他にも思いを口に出そうとしたが、今はこれだけで自分の思いが伝わるかと思い、口をつぐんだ。

「ありがとう」

 青年は最初に見せた笑顔とまた違う笑みで返した。青年が続けようとしたのか口を開いた。だが、

(ブーッ!!)

とけたたましいクラクションと共に

「おい!どこ見てんだ!ボケが!」

と怒号が響いた。

「あ、やべ、青信号だ」

 青年は急いで前を向き、アクセルを踏んだ。

 芽森はさっきの真面目な話とのギャップからかふふっと笑った。

「はは…かっこつかないなー」

 照れ隠しからか青年は耳を赤くしながら言う。

「さて話を戻して」

 取り繕ったような声で青年は話を続ける。

「兎にも角にも、研究所には計三人の能力者がいる明里ちゃんと元々いた研究員二人だね」

 それを聞いて芽森は気になった。

「あぁそうだ、その二人の研究員さんってどんな人なんですか?」

 待ってましたと言わんばかりに目を見開き青年は答える。

「ふっふっふ…その二人の研究員のうちの一人がこの僕なのさ!」

「ええ?!あなた能力者なんですか!?ええっと……」

「あぁ、名前ずっと言っていなかったね。僕は甘噛あまがみ柊一しゅういちという」

「甘噛柊一さん…はい!よろしくお願いします!で、能力ってのは?」

 芽森は身を乗り出して聞く、彼は今、彼の中の高校生らしさを存分にふるっていた。

「え、いや…そんな期待しないで…」

 甘噛は先程のしたり顔は何処へやらといった感じでたじろいだ様な反応をした。

「大丈夫です。教えてください!」

 甘噛は口を開く。重苦しく。

「Chocolate cakeそれが僕の能力名だ」

 Chocolate cake…どんな能力なのだろう?それに可愛らしい名前から漂うほろ苦さ…ともかく知りたいと芽森は思った。

「能力は……を出す」

「え?」

 彼は、こもった部分が聞き取りづらく、一層身を乗り出して甘噛の顔を見た。

「甘い匂いを…出す…」

「……それで?」

「それだけ……」

 甘噛は死んだ魚の目の様な黒い眼で言った。

 芽森はなんだかいじられ役をいじりすぎて泣かれてしまったときのような申し訳なさが主軸となるそんな罪悪感を覚えた。

 車の中の空気はそれはまるで砂糖を入れ忘れたチョコレートのように苦くそれでいて重苦しかった。

「なんか…テンション上がっちゃって…はい…だからその…なんかすいません…」

 耐えきれず芽森は口を開き、こぼれ落ちるように謝罪の言葉を口にした。

「はははは、良いんだよ、昂揚させるような言い方をしたのは僕だし。自分の能力のショボさは分かってるし…」

 また甘噛が魚の目に移行してしまいそうであったので、芽森は少し話題を変えた。

「あの、それでもう一人の研究員さんっていうのは誰なんですか?」

「あぁ、もう一人はあや大希たいきっていう女性研究員さ。ちょっとつり目で、少し面長、鼻はまるでドナテッロが彫った彫刻みたいに綺麗に鼻筋が通ってる。俗に言う瓜実顔ってやつかなぁ」

「へー、綺麗な方なんですね。会ったことないな」

「まぁそりゃそうだろうね、ここ最近ずっと自室に籠ってテキパキと何かを作ってるから。後綺麗なのは顔だけさ、性格はおっかないというか、変人というか、とりあえず少しマッドな部分があるんだよね。あ、本人には言わないでね。鳩尾にクレーターが出来るから」

 甘噛は片腕で鳩尾をさすりながら言った。芽森は苦笑いをした。

「それで、綾さんの能力はなんですか?何かを作ってるってことには関係してるんです?」

「いや、それは関係ないよ。彼女は昔から手先が器用だからね。大方果無所長が何かを壊してそれを修理してる、乃至作り直してるんじゃないか?」

 昔からということは柊一さんと綾さんは幼馴染か何かなのかと聞こうかと芽森は思ったがそんな不粋な詮索はするべきではないと思い、話を聞き続けた。

「彼女の能力はSilk and Insight、能力は名前からは少しわからないけれど、空気中の窒素を操れる」

「おお!」

 身体を立てに揺らして、芽森は声を上げた。

 「操れるってことはあれですか?空気砲みたいに窒素を撃って吹き飛ばすみたいな」

 芽森はあれこれとジェスチャーしながら尋ねた。

「いやあの、そんなんじゃなくて、ティッシュ箱位のものを数センチ動かす感じ…」

 甘噛は申し訳なさそうに言った。

「……」

 芽森はこの時誓った。もう、初見で判断することは止めようと。能力に関してだけでなく人生において。

「男子高校生の厨二心の敗北!だね」

 甘噛は笑いながらそう言った。

「何か肩透かしを食らった気分ですよ…期待して食べた高級料理の味がとてつもなく薄かったみたいな」

 頭を抱え振りながら芽森は言う。

「そう、既に研究所にいた"P.T"はとてつもなくショボかったんだ。だからこそアカリちゃん?の能力は、僕らにとって魅力的だった」

 甘噛はこめかみに手をやりながら言った。どうやら明里の名前を忘れかけているようだ。

「故に研究員たちは明里ちゃんを研究材料として見ていた…」

 芽森はなんだか腑に落ちた。腑に落ちるという語の用い方はしばしば誤用とされるがこの場においてはこれが正しいような気がした。

「そういうことだねー」

 甘噛は直線道で油断しているのか芽森を一瞥しながら言った。

「……何故"P.T"が極秘事項だと思う?君は」

 甘噛は声色を変えて話し始める。

「え、それは…」

 顎に手を当て少し考える。

「世間の混乱を防ぐ為だとか?」

「んーまぁそれもあるっちゃあるんだけれど、ちょっと違うかなー」

 右へとハンドルを回しながら甘噛は続ける。タイヤとコンクリートが擦れる音がした。

「"P.T"と化した人々を守る為さ」

 甘噛は少し茶色に染めた自分の髪を撫でながら言った。

「世の間にこの存在が広まった場合、そこには恐らく否、確実に明確なサベツというものが生まれるだろうさ。『アイツは例の"P.T"とかいう奴だ。危ないから連むな』だとか『トラウマであんなことになってしまうだなんて可哀想』だとか。挙句の果てにはP.T人権解放団体なんて生まれるかも知れない」

 芽森は肯定も否定もできないなんとも言えない顔をしていた。

「悲観しすぎと思うかも知れないが人間とはこんなものだと考えているよ。一度自分たちとは違う人間が視界に入るや否や、世間的にマジョリティに含まれる人々は浅ましくも存在を否定したがり、恰も自分たちが上の存在であるかのように認めたがる」

「あぁ…確かにそうかも知れない」

 芽森はなんだか恥ずかしくなった。彼一人が恥ずかしくなったってどうにかなる訳ではないのだが。

「それに国によっては能力者たちを軍事起用しようとするかも知れない。それこそ、"P.T"の人たちが研究材料とでしか見られなくなる。それも世界中からね」

 左手をひらひらさせながら甘噛は言った。

 芽森は先程甘噛が言っていたサベツが起こるかもしれないという話が頭の中でくるくるとコーヒーカップの様に回っていた。

「ともかく、これが機密事項であるが所以さ……どうかしたかい、芽森くん?」

「あぁ、いや…さっきのサベツの話で思うところがね…」

 芽森は自分が明里と上手く接することが出来ているのだろうかと心配になっていた。どれほど自分が忖度しようとも、対象者がそう感じてしまっていたならばそれはもう上手く接することが出来ていないということになるのだから。

「ん?あぁ君は大丈夫だと思うよ」

 あっけらかんとした口調で甘噛は言った。

「あぇ」

 芽森はなんだか呆気に取られた。

「所長から聞いたんだよ。昨夜彼女を引き止めてくれたと」

 芽森は照れ臭い気持ちになった。

「いやあ、はは…」

「あと…」

 甘噛は癖なのか、左手を再度ひらひらとして続ける。

「気になったとかで後をつけるとかいうストーカーじみたことをしたり、彼女のことを止める為にクサーイ台詞を吐きながら抱きしめたんだとか…色々アツい男だね、君は」

 ニヤニヤと意地の悪い顔をして言った。芽森はこれが冷汗三斗の思いであるという顔をしながら口の軽い進を恨めしく思っていた。

「だからこそ君は極秘事項の筈の"P.T"の情報を、彼女の状況を彼から話されたのだと思うよ」

 右眉を下に寄せながら甘噛は続けた。

「果無所長はなんとでも言い訳をして追い返すことが出来たはずだ。だが、彼はしなかった。わざわざ引き止めて事情を話したんだ。それは君が彼女にとって必要となる人間になりうると分かったんだ、先見の明ってやつなんじゃないかな」

 顔をぐいと芽森に引き寄せながらさらに続ける。

「彼は、果無さんは科学者に有るまじき人なんだ。合理的に考えず、直感的なことや感情的な人なんだ。それこそ本当にチョコレートケーキみたいに甘い人なんだよ」

「だからといって一方的に男子高校生に秘密を教えて半強制的に施設に住まわせていい理由にはなりませんけどね」

 芽森は半笑いで答えた。彼もなんだかんだ果無を受け入れつつあるようである。

「よーしぃ!着いたぁ!疲れたー」

 甘噛の疲労のこもった声が社内に響き渡った。どうやら研究所に着いた様である。彼が今日から過ごす旅籠屋に。

 果無研究所はあいも変わらず、十余人しか研究員がいないとは思えぬ程、空を裂くように聳えていた。


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