第6話 Passion fruit (1)

「ようこそ!! 果無研究所へ!!」

 憎たらしい笑顔でいう昨日の進のことを思い出す芽森。

 あの出来事の翌日の朝の8時、彼は今荷物整理、引越し準備、事情説明の為、一時的に自宅へと戻っていた。

「さてと…」

 荷物整理すべく自分の部屋へと入り、芽森は驚愕した。

「に、荷物が…完璧に…まとめられている…」

 そこには、芽森の衣食住に必要な品が入っているであろうダンボールが、綺麗に、隙間なく、寸分違わず置かれていた。

「そういえば…」

 芽森は思い出す。そういえば、昨日進が用事があると研究所を長らく開けていたな…と。

「完全に不法侵入じゃないか…」

 彼は頭を抱えた。あの男の、いや、あの不審者の無謀さと非常識さと頓珍漢さにである。

「まぁでも、どういう形であれ、手間が省けたしいいか…」

 ひとまず第一フェーズ、荷物整理は終わった。続いて第二フェーズ、即ち引越し準備及び引越し業者の手配であったが、

「ああ、大丈夫大丈夫、引っ越しはうちの研究所の子達に任せるから!」

 芽森が研究所を出る前、進が言っていたことを思い出す。第二フェーズは既に完了していた。

「はぁ…でも…問題は次だよなぁ…、母さんにどう説明しよう…」

 第三フェーズは家族に、もとい母に対する事情説明である。これが最後で最大の難関であった。

「本当の事情は絶対話せないしな…」

 もし本当のことを話してしまうと、必然的に"P.T"のことについても話さなければならなくなり、そうなってしまうと、母も研究所に住むことになるだろう。母子共々研究所送りだとかいうバッドエンドは何としても避けなければならなかった。

「かといって『ある研究所で、ある機密情報を知ってしまったので研究所に住むことになりました。』なんて言ったら母さん心配どころの騒ぎじゃないだろうしなぁ…」

 ふと芽森は気付いた。

「やば! 母さんもうすぐ帰ってくる!」

 彼の母は看護師であり、そして昨日彼女は夜勤だったのである。そのため今日の朝、ちょうどこの時間に帰ってくる。芽森は軽いパニックに陥った。

「あぁぁぁどうしよう! 家出設定にするか。いや、それは親不孝ものすぎる。かといって本当の説明をすれば母さんが…でもボカして説明したら変に誤解されちゃ…」

(ガチャリ)

「……」

 母が帰ってきてしまった。芽森は、いやに落ち着きながら、母を出迎えた。

 ひとまず、芽森はパニックな頭をフル活用し、「前々から一人暮らしをしてみたく、昨日急遽思い立って部屋を見つけ、引越し業者も用意し、今丁度実行しようとしていた…」と母に説明した。

(我ながら酷い嘘だ…)

と芽森は思った。だがもし、彼が世界史上最悪のペテン師であったとしても、この状況を打破することは難しいだろう。

 母が考える素振りを見せる。

 訝しむ様子も無く、只々純粋に考えあぐねているようだった。

「そうなの…良いわよ、別に!」

「…へ?」

 芽森の予想に反した答えが返ってきた。

「何?その反応。認めて貰いたかったんじゃないの?」

「い、いやそりゃそうなんだけど…何で?」

 芽森は母に疑問をぶつける。

「だって、賢いあなたが変なことをするなんて考えられないし、それに、あなたが大きい選択をするときは大抵私のことを気遣ってくれてのことだもの。」

 芽森は半分当たっているのに驚き、信頼してくれていることに嬉しさを感じた。

「でも…行く前にお父さんに挨拶しなさいな」

「ん?あぁ…分かってる」

 芽森はリビングの隣にある和室に行き、そこにある仏壇の前に正座した。

「急だけど、行ってきます。父さん」

 芽森の父は警察官であり、芽森が5歳の頃、彼は事件に巻き込まれ殉職した。目を閉じ、手を合わせていると、昔父に言われたことを思い出す。

『直虎の観察眼は凄いなぁ!こりゃ警察官になられたら父さんあっという間に抜かされちゃうな!』

(あの言葉が凄く嬉しくって、いつの間にか人間観察ばっかりするようになっちゃったんだよなぁ…)

 謂わば芽森の父は、今の彼を作り上げた張本人でもあるのである。死のうとしている出会ったばかりの女の子に涙を流しながら手を差し伸べる程優しく正義感溢れる若者になったのも父のお陰かもしれない。

「よし…!」

 挨拶を終えた芽森は立ち上がった。そして2階に上がり、荷物を玄関に置いていく。

「……」

 その様子を見ていた母が一言。

「あんまり女の子に変なことしちゃだめよ」

 ギクゥと聞こえるが如くに反応する芽森。

「は、はぁぁぁぃぃぃ!?べ、べべべべ別にあの子とはそんな関係じゃ…」

 すると芽森の母は意地悪な目つきで言う。

「えぇ?私は別に当たり前のことを言っただけで特定の"誰か"については何も言ってないんだけどなー」

「あ。」

「ふふふ。まさかあなたに彼女が出来るなんて、意外とスミに置けないわね。……あなたまさかその子と二人で住むつもり?それはちょっといただけな…」

 両手を振り回しながら否定する芽森。

「いや別にそういう訳じゃ…いやまぁ女の子は確かにいるけど二人きりじゃ…そもそもその子とそんな関係じゃないってさっきも…」

 許しが却下されそうなのと誤解が生まれそうなのとで芽森はパニックになった。そんなやりとりをしていると…

(ピンポーン)

 家のチャイムが鳴った。

「あ!引越し業者の人だ!僕が出るよ!あはは…」

 話をはぐらかせることができて、芽森は安心しながら扉を開いた。そこには案の定、恐らく果無に頼まれたであろう体力に自信がありそうな青年が数人いた。

 そのうちの一人が大声で

「こんにちはー!」

と言った。それに続いて、

「果無研きゅ…モゴッ?!」

 芽森は急いでその青年の口を押さえた。

(あの…研究所のことは御内密に…そして出来れば引越し業者のふりをして頂けると…)

 芽森は小声でそう言った。

(えぇ…何で)

 疑問に思う青年。考えれば分かりそうなものだがと、芽森はため息をつきかけた。

(説明すると長くなるので、とりあえず僕の言う通りにしてください。お願いします)

 青年は一先ず納得したようだった。

「じゃあ初めて行きますんで」

 青年たち数人は家の中にある荷物を運び始めたかと思うと、あっという間に車の中へ運び終えてしまった。

「早いなー」

 芽森は感心した。

(そろそろか…)

 芽森はそう思い、靴に足を入れ、靴紐を丁寧に蝶々結びにして立ち上がった。そこには、どんな形であれ、どれだけ突然であれ、親元を離れることになった一人の『大人』としての姿がそこにはあった。少なくとも、親である母にはそう見えた。

「じゃあ、行ってくるよ。母さん。」

 そう高らかに言う彼に対し母はこう言った。

「忘れ物はない?栄養があるものを食べなさいな、身体壊すわよ。ご近所さんに迷惑なんてもってのほかよ」

「分かってるよ」

 少々面倒そうに返す芽森。

「何よそんなめんどくさそうな顔して、こういう時はね、定型分の一つでも言いたくなるのよ……行ってらっしゃい」

 笑顔でいう母。

「うん。行ってきます」

 そう言って芽森は玄関を出た。家の前には車が三台止まって待っていた。その内の荷物が比較的入っていない一台に乗り込み、扉を閉めた。

「じゃあ、出発するね」

 そうニコニコしながら言った運転手は先程玄関で挨拶をしていた青年だった。

「はい、お願いします」

 芽森がそう言うと、青年はセレクトレバーをガチャリと鳴らし、エンジンに足を踏み入れた。

 大きく音を鳴らして去っていく車を芽森の母は見えなくなるまで見送っていた。

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