第5.5話 ある少女の話

「お誕生日おめでとー!」

 部屋の明かりがついたと同時に、私はクラッカーのひもを引いた。カラフルなリボンが宙を舞う。あたりに少し漂う火薬のにおいも、今回の主役である私の妹の幸せを妨げず、この祝福を手助けしているようだ。

「もう一回! もう一回ろうそくのフーッてやつやりたい!」

 一仕事終え、先端から煙を出すろうそくに向かって妹は言った。もういいわよと、お母さんが柔らかく諭すが、妹は駄々をこねてやめたがらない。もうろうそくのくだりをやるのは4回目だった。電気が消えてみんなが見えなくなるにも関わらず注意が自分に向いていること、そして、いつもは危険な存在であるはずの火が、自分ととても近い距離にあること、それを自力で吹き消すことが、彼女にとってとても新鮮で楽しいことのようだった。

「もう……仕方ないわねぇ……、勇菜さなちゃん、電気お願いできる?」

「うん、わかった」

 そういって私はスイッチを切った。まだ目が暗闇に適応していたようで、お母さんの顔も、お父さんの顔も、顔にいっぱい笑みをこぼしている妹の顔も見えた。お父さんがライターをカチカチ鳴らす。ガスがもう残り少ないのかつけるのに手間取っていた。お母さんは見かねてお父さんからライターを奪い取って言った。

「もう! お父さん貸して! こういうのはね、力いっぱいやっちゃダメなの。もっとライターに寄り添うように。そうすると、ライターも答えてくれるのよ」

 こうやってものを擬人化して優しく接するのがお母さんの癖だった。そしてお母さんはこういう時に失敗したことがない。

「ほら、ついた」

 お母さんが誇らしげにお父さんに見せつけた。私はこんないつでも変わらない光景が大好きだ。どんな気持ちの時でもこの光景を見れば笑顔になってしまう。お母さんがろうそくに火をつけていく。2.3本既に半分溶けたろうそくがあり、火の高さがまばらになって少し不格好だ。私は気にせず、妹の後ろに立って彼女の肩を持って、炎を吹き消すのを促した。

「フーッ! フーッ!」

 妹は頬を大きく膨らまし、ケーキをも吹き飛ばすかのような勢いで必死に吹き消した。ろうそくの炎はゆらゆらと大きく揺れてやがて消えた。

「やった! 消えたよ!」

 妹は喜んで手を挙げた。お母さんは電気をつけてすぐにろうそくをケーキから外し始める。

「えー! もう一回だけ!」

「もう終わり! お母さんもお父さんも、お姉ちゃんも、もうお腹空いたんだよ」

 妹は膨れた顔で少し俯いた。彼女は5歳の女の子にしては珍しく、周りのことを考え、自分のやりたいことを我慢できる性格だ。私が5歳くらいの時には、年相応に我儘を嫌というほど言っていたはずだが。

 そんなことを考えていると、私は開けっ放しになっているカーテンに気づいた。この窓はお父さんの背丈で丁度頭のつくくらいの高さなので、開けっ放しでは部屋の中が外から丸見えとなってしまう。私は慌ててそれを掴んだ。

「……?」

 私はどういう訳か視線を感じ、窓の外をゆっくりと見た。そこには、家の前をニヤニヤとしながらうろちょろと徘徊している壮年男性がいた。その手には、業務用のポリ容器と思われるものが握られていた。

「……!」

 私は声も出さずに急いでカーテンを閉めた。思わず眉をひそめる。ただ、このような危険な非日常を、私は家族に言う気にはならなかった。そんなことを言えば、きっとみんなは慌ててしまってこの一時の幸せが崩れてしまう。そんなことになれば、妹がかわいそうだったし、なにより、私がそんな状況を作り出すことが嫌だった。

「? どうした? 勇菜」

 お父さんが私の挙動不審な様子を見て訝しんだ。みんなはいつの間にか席に着き、ケーキを切り分けていた。

「ううん、なんでもない。窓に大きな虫が張り付いてて驚いただけ」

 私は強張っている表情筋を無理やり上げて笑った。この感触は今までにないほど不快で、食欲がなくなってしまった。

「ごめん、ちょっと眠いから横になってくるね、ケーキは私の分を残しておいて!」

 このまま私がこの席にいると、空気も、私自身もおかしくなってしまいそうで、急いで二階に上がり、自分の部屋に戻った。

 ため息をつきながらベットに寝転んだ。小学生の時からずっと使い続けているベッドは大きくきしんだ音を立てて、私の体重を支えた。

「……」

 横になりながら、私はあの出来事を言うべきであるか否かを考えていた。本当はすぐに言うべき非常事態であるのだろうが、あの出来事は実のところ一瞬であり、見間違えていると仮定しても、あながち否定が出来ないほどのものだった。

 私は大きく上の方にある枕を引き寄せて、それに頭を乗せた。その柔らかい感触が、私の日常的思考を呼び起こした。そしてあの出来事は夢だったのではないかと思い始め、ひどく安心した。本当はそうであるという確固たる証拠はないのに、私の中にある平穏の崇拝者が、こう思わせて現実から逃げようとしていた。

 瞼が重くなる。どうやら安心したせいで本当に眠くなってしまったようだ。私はその眠気に抗うことなく、すぐに深く深くへと落ちていった。

 今思えば、これがすべての間違いだったのだろう。

 ろうそくのような、それ以上に強いにおいで私は目を覚ました。

「なに……これ……」

 私の部屋は一面、真っ赤な炎に包まれていた。本棚は収めている本も作用してか激しく燃えている。ベッドにも炎が燃え移り始めており、部屋に貼っていた世界地図はもはや判別できないほど黒くなっていた。換気のため開けていた窓からは、絶えず真っ黒な煙が出て行っている。ジリジリといった物の焼ける音が、この部屋から逃げるように警鐘を鳴らした。

「逃げ……ないと」

 私は急いでベッドから降り、走って部屋から出ていこうとした。だが、それは叶わなかった。手足に全く力が入らず、私は顔から床に大きく倒れた。先ほどから思考がうまくまとまらなかったのは寝起きだったからではなく、煙を吸いすぎたためのようだ。

 大きく音を立てて本棚が崩れた。その一部の燃えた木が私の右腕に落ちてくる。皮膚が焼けるのを直に感じた。思わず仰け反ろうとするが、もはやそんなこともできないほどに、身体はいうことを聞かなかった。

「おい……ここ……い……」

 部屋の外から聞き覚えのない男性の叫び声が聞こえた。私はここで、意識を失った。

 真っ白な天井の部屋で私は目を覚ました。消毒液のにおいや、金属類のぎらぎらとした色が私を刺激する。どうやらここは病院のようだった。私の身体は包帯に包まれており、動かしにくかった。

「あ……あの」

 激しくかすれた声が私の喉から出た。いつもの私の声ではない。強い違和感が全身を駆け巡った。

 その声を聞き、私が目を覚ましているのを発見した看護師さんは、私に二言三言声をかけた後、そそくさと病室を出ていき、しばらくした後、医者を連れて戻ってきた。

 医者はポーカーフェイスを保っていたが、その奥には強い悲しみが付随している。医者は大きく口を開いて徐に話し始めた。

 私の家が放火されたらしい。家は全焼。そして

 家族が私を除いて全員焼死した。

 その後のことはよく覚えていない。散々暴れまわったのだ。つけている包帯もお構いなしに。彼らが無関係なのはわかっている。でも、自分があの時また違う行動をしていればと、取り返しのつかないが、罪悪感が、頭に銃身を突き付けてきて、どう行動すればいいかわからなかった。看護師が抱き着いて私を止めた。私はもう、涙を流して力なく彼女の背中を叩くことしかできなかった。

 これが2週間ほど前の、私の人生のターニングポイントの話だ。

 私は包帯の外れたからだをまじまじと見る。左目周辺と右腕にはひどいケロイドが残ってしまった。だが、今の私にはそんなもの二の次だ。

 復讐をしたい。あの放火魔に、死よりもひどい苦痛を味合わせてやりたい。

 そう思った瞬間、あの”トラウマ”が鮮明に脳に描かれた。火の凄惨な赤い踊りやジリジリと肌を焼く感触、物が焼け崩れる音が今起こっているような感覚だ。

 私は思わず頭を抱えた。その時、視界の左端に違和感を覚える。私はひどく驚いて鏡を見た。

 そこには、炎があった。大きくゆらゆらと燃え滾る復讐の炎が、私のケロイドに。

 私は顔を歪ませた。それは醜く変わってしまった自分への悲しみか、どうなのだろうか。

「これなら……」

 私はそう呟いて病室から抜け出した。

 あの放火魔に、地獄を見せてやる。この炎で炙って嬲って、そして。




そして殺してやる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る