第5話 P.T(5)

「……」

明里は気まずさを誤魔化すためか、学生かばんを持ち上げた。チャリンと鈴が鳴る。どうやらストラップを付けているようだ。ペンギン型の……。

「あれ? それって……、ぺんろく君だよね!ペンギンなのに絵師っていうゆるキャラ」

「し、知ってる? かわいいよね、ぺんろく君。この筆を持ってる手が特に……。あ、ごめん、急に話し始めたりして……」

「大丈夫だよ! 僕もそれ好きだし。期間限定の赤ペン持ってるやつ、僕持ってるよ。ほら」

 芽森は胸ポケットから自宅のカギを出した。そこには、赤ペンをもってにこにことしたぺんろく君のストラップがついていた。

「すごい! これ一週間限定のやつだ! 私黒ペンのやつしか持ってないのに」

 近くにいるので、ほとんどぼやけることなく彼は明里の笑顔を見ることが出来た。憂いのある表情も美しいと世間ではよく言われることだが、やはり笑顔には圧倒的にかなわないものだとその時芽森は感じた。

 この後、この空気を温かくするのに時間はかからなかった。ぺんろく君の話題で1時間ほど話した後、二人の間に大きな壁はなくなり、気軽に話せるほどの間柄となっていた。初対面の人との間にある氷は、気が合えば会うほど解けるのが早いものだ。

「ねぇ、直虎くん」

「ん? どうしたの?」

 彼女の声がとてもクリアに聞こえた。そして姿もなかなか見失わないようになっている。

(さっき所長は、思い入れのない順に記憶が消えていくって言ってたから、つまり逆に、僕が彼女に対する思い入れが深くなったから彼女が見えやすくなったのかな?)

「どうして私に気づけたの? 同年代で私に気づいてくれる人なんて、初めて」

 ホワイトボードにぺんろく君の絵をかきながら明里は尋ねた。本物のよりも丸く太って描かれている。少し絵が苦手なのだろうか。

「いや、実は、人間観察が趣味でさ。一人一人の仕草を把握するのが好きで、教室をくまなく見てたら、視界に入ったんだよ。本当に偶然」

「人間観察が趣味なんだ、変なの」

 明里は口に手を当ててフフッと笑った。

「でも、ありがと。かくれんぼしてる私を、偶然でも見つけてくれて。かくれんぼっていう名前、さっきまで気に入らなかったけど、今はそうでもないかな。かくれんぼってことは、絶対に見つけてくれる人が現れるってことだもんね。ま、あの所長は、そこまで考えてないだろうけど」

 ホワイトボードに書いた落書きを消した後、彼女はすくっと立ち上がり、グッと背伸びをした。

「んーっ、はぁ、人と話すのって割と疲れる行動だったんだね」

「でも、楽しかったでしょ?」

 芽森が明里の目を見て尋ねた。

「うん、楽しかった。それに表情筋が上に上がりっぱなしでつっちゃいそう」

 明里は頬に人差し指を当ててクルクルとまわして見せた。芽森はその行動を見て顔が綻ぶ。

「そろそろ部屋に戻って休もうかな……」

 明里はそういってカバンに手をかけた。

「部屋? ここに住んでるの?」

「うん、そうだよ。大体5年くらいかな。とりあえず、能力を自覚した時からずっとここに住んでる」

 気分が落ち着いてきたのか、いつもの落ち着いた声色になり、そういった。

「実家の人は心配してないの?」

 芽森は素朴に尋ねた。明里は少し暗い目になった。

「忘れられちゃったんだ。お母さんにも、お父さんにも、おばあちゃんにも、みんなに」

「……それは」

「ああ、全然気にしないで、今は研究所にいるし、研究員の人も今は優しいし、時々、忘れられちゃうけど」

 彼女は少し苦笑いをした。芽森は今の彼女をちらりとも見れなくなった。先ほどの明るい彼女を見たこともあって、余計に。

「何のために、どうやってこの研究所に?」

 芽森は尋ねた。どうにか話を、”忘れられる”という話題から突き放したかった。

「”P.T”の研究を手伝うため、かな」

「手伝う?」

「うん、能力が発現するほど強いトラウマを持つ人が、ここに直接訪ねてくるのが初めてだったみたいでね。”P.T”としての新鮮な研究材料としてここに居座ってる、みたいな感じかな」

「どうやってここに?”P.T”の人にはわかる目印がついてるみたいな?」

「フフッ、そんなのないよ。これも、全くの偶然。みんなに忘れられて、居場所を探して、一等目立つこのビルに入ったの。ただそれだけ」

 明里はカバンを担いで歩き出す。

「じゃあね。楽しかった。ありがと」

 そういって彼女は背を向けて部屋を出ていった。芽森はその背をただ見ることしかできなかった。

 彼女が出て行ったあとしばらく数分ほど、芽森は部屋に残ってぼうっとしていた。非現実が現実に流れ込んできたことに、脳がやっと疲れを感じたのだろう。時刻はもう午後8時だった。

(そろそろ帰らなきゃな)

 そう漠然と考えて、彼は支度を始めた。カバンに荷物を詰め込んでいく。その過程の内に、芽森は自身の背がぞわりとするのを感じた。研究室を出ていく彼女の背を思い出して、嫌な気を思い起こしたのだ。

(明里ちゃんのあの背の雰囲気……。ヒガンバナのような、白いスミレのような……。とにかく奇妙な思いが!)

 彼は支度をしたカバンを放り投げ、急いで廊下に出た。目の前に女性研究員が歩いている。彼は気を遣うことも忘れ、彼女の肩を掴んで尋ねた。

「すいません! 顕影明里さんの部屋ってどこにあるんですか!?」

「アカリ、さん? ああ! あの影の能力者の子? 確か三階……、いやでも、さっき三階を通り越してさらに上に向かっていたような……」

 彼の背に嫌な汗が伝った。この感覚は、自身の内に生み出したバッドエンドが今にでも成立しそうなときに起こりうるものだった。

「すいません!」

 そういって彼は階段を勢いよく上っていった。その過程で、案内表をちらりと見る。どうやらこのビルの屋上は11階のようだった。登っていくときに、芽森は生まれて初めて、自身の観察眼が間違っていることを強く願った。

「はあ、はあ……」

 息が切れ切れになりながらも彼は登り切った。足は疲労により震えている。しかし、屋上への扉が無造作に開かれているのを見たので、彼は休憩する気も起きなかった。

 彼は屋上に飛び込み、辺りを見回した。どうやら、予感は的中したようだった。

「はあ、はあ……、何やってんだよ!」

 彼は明里に向かって叫んだ。フェンスの向こう側にいる、彼女に。

 彼女は声に反応して振り向き、先ほど話していたのと同じ表情を向けた。とても、柔らかい表情をしていた。

「死のうとしてるの、ごめんね」

 髪が風によって激しく乱れている。それに反して、その声は落ち着いていた。町のきれいなネオンがどうも今の緊張とは不釣り合いで、芽森は吐き気を覚えた。

「なんで、さっき、研究所が居場所って……」

 この緊張のせいか、彼は未だに息が整えられず、息を切らしながら返した。

「うん、それは本当の気持ち。でも、ちょっと嘘」

「え……?」

 ネオンが彼の鼓動に呼応するように小さくなって、また盛んになった。朝日を浴びて揺らめく海のように見えた。

「ここでも私、すぐ忘れられちゃうの。全部忘れられなくても、顔とか、名前とかが欠落しちゃったり」

 それを聞いて芽森は先ほど尋ねた女性研究員を思い出す。確かに彼女は、顕影明里としてではなく、影の薄くなる能力者としてしか彼女を覚えてはいなかった。

「私、忘れられるのが、もう嫌なんだ。名前を尋ねられるたびに、私が認められてないみたいで。それと一番嫌なのが……」

 彼女の目から涙があふれだした。

「折角、こんなに仲良くなったあなたに忘れられること。明日になったら、絶対に私のことを忘れてしまうから……」

 彼女は苦しそうに嗚咽を漏らした。

「その前に死のうと思ってね、私、最期まで自分本位だった……」

 彼女はゆらりと右足を空中に放りだした。それについていくように彼女の胴体も、ラメ粉が散りばめられたかのようなネオン街に投げ出されていく。

「最期に、かくれんぼを中断させてくれてありがと……。さよなら」

 その時、芽森が彼女に向かって駆けた。

「させるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 彼は叫んで、柵を乗り越え、上半身を全て投げ出し、彼女の腕を掴んだ。冷たい風が、彼をもてあそぶ。

「!? 離して! あなたまで落ちちゃう!」

 彼女はそういって彼の腕を殴った。しかし、いろいろな感情が混ざっているからか、力がうまく入らない様子だった。

「離さない! 離してたまるかぁぁぁ!」

「明日になれば私のことは皆能力の作用で忘れる! 罪悪感なんて残らない! だから……」

「明日のことなんて僕は考えてない! 僕は今、目の前にある大切なものを救うことしか考えてないんだ!」

「!?」

 芽森は、すべての力を上半身に込めて彼女を引き上げた。火事場の馬鹿力というやつだろうか。彼は彼女を引き上げた後、屋上の中央まで引きずっていった。

「なんで、助けちゃったの、私は、あなたが忘れる前に」

腫れぼったい目で彼女は訴えた。その言葉に応じるかのように、彼は明里の頬を軽くはたいた。

「僕の目をみて」

 彼女はくすんだ眼を彼に向ける。彼は風により全身の服が強くたなびいていて、目は月などの光を受けてきらきらと輝いていた。太陽のような目だと明里は思った。

「僕は絶対に君を忘れない! 明日も、明後日も、そのずっと先でも、僕が君の名前を呼び続ける! 僕が君の居場所になるから!だから……」

 芽森は目にため込んだ涙をあふれさせる。そして、彼女を強く抱きしめた。

「だから、死ぬなんて言わないで……」

「私、私、ごめんねぇ、自分勝手で。あなたのこと信頼してなかった……。私、死にたくない……。あなたの思い無下にしたくない!」

 明里も泣き出し、彼に抱き着いた。まだ夜だというのに、二人は夜明けを迎えたような気分だった。

「あはは、あったかいなぁ。久しぶり、この温もり」

 彼女はそういって再度彼を強く抱きしめた。彼らは、どちらがどちらの身体なのか、分からなくなるまで身を寄せ合っていた。



「あ、あのぅ……」

 少し気持ちが落ち着いてきた芽森は明里に尋ねた。

「ん?なに?」

「ご、ごめんね。勢いで抱き着いちゃって。今離れるから……」

 芽森は腕をほどいて身を下げた。しかし、彼女が腕をほどかないために離れることはかなわなかった。

「ちょっと!? むしろ強くしてない?ぐぇ」

「あとちょっと、五分だけ……」

「そんな朝無理やり起こされたときみたいな……!? ごめんさすがに恥ずかしく……」

「やーだー、さっきの言葉は嘘だったのー?」

 そういって彼女は左右に彼を揺らした。

「いや、そういうわけでも……」

 顔を真っ赤にしながら彼があたふたと解決策を練っていると、後ろから足音が聞こえた。

「ちょっと、お二人さん。人の研究所の屋上でなーにやってんの?」

 聞き覚えのある声が近づいてきた。それと同時に明里は猛スピードで芽森から離れる。今起きている風は、自然のものか、それとも先ほどの彼女の動きかわからないほどに。

「あれ? もう満足しちゃったの?明里ぃ」

 ニヤニヤとして進は明里に意地悪な質問を投げかけた。明里は顔を真っ赤にして頭を抱えてうずくまっている。そのやり取りを芽森は苦笑いをしてみていたが、ふと気づく。

(あれ、もう十時か……)

「じゃあ、果無所長、もうそろそろ帰りますね。夜遅いし」

 そういって立ち上がり、階段へと向かう。明里はとてつもなく寂しく思ったが、彼はきっとまた学校で自分のことを見つけてくれると信じ、表には出さなかった。

「おいおい、芽森クン。どこへ行こうというのかね」

 進は芽森の肩をしっかりとつかんだ。

「いや、自分の家ですけど」

「はあ……、困るねえ、”P.T”なんていう情報を持った君が、私たちの監視網外に帰ろうとするなんて」

 進は人差し指をクルクルとまわした。

「はい? それってどういう……」

「実はねえ、芽森君、”P.T”やそれに関する情報は漏洩厳禁でね……」

 進はわざとらしく頭を抱えて首を横に振る。

「議論の結果、君には、ここに! この研究所に! 住んでもらうことになった」

 ひくひくと芽森の頬が痙攣する。

「ようこそ!! 果無研究所へ!!」

 朗らかに笑いながら進は言った。腕を大きく横に広げている。

「えぇぇぇぇ!? いや、おかしいでしょう!? そもそもあなたが一方的に教えてきたんですよ?」

「一応選択権を与えたんだけどなー」

「あの状況で断れる男はいないでしょう!?」

「そうですよ所長! 直虎君がかわいそうです!」

 二人のいざこざに明里が入り込んできた。

「……顔めっちゃ笑ってるよ……明里ちゃん……」

 芽森はうつろな目で指摘した。彼女は慌てて取り繕うとするが、喜びが抑えられないようで、走って階段を駆け下りていった。

「いやー、最近掃除係が欲しいと思ってたんだよねー」

「僕を嵌めたんですね!?」

「言い方悪いなぁ、まあそういうことだけど」

 進はそういって大きく高らかに笑った。

「僕……これからどうなるんだろ……」

 力を失った声で芽森は言った。顔をあげると、雲一つない夜空が広がっている。町の光に負けず存在を示している星が、たくさん見受けられた。

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