第4話 P.T(4)
「アッハッハッハ!」
研究員の男性の大きな笑い声が部屋中に響き渡った。芽森は赤い顔で俯いている。
「君、彼女のことが気になってここまでわざわざ不法侵入まで犯してついてきたのかい? それじゃまるでストーカーじゃないかぁ!くくく……」
男性はおなかを抑えながら話している。芽森を見つけた女性研究員もそんなことか、とあきれて部屋から出ていった。この部屋の中には例の影の少女もいたが、彼は彼女の反応を恐れてみることが出来なかった。
「じゃあ僕は帰りますので……」
芽森は消え入りそうな声で呟き、猫背の状態のまま立ち上がった。
「おっと、待ちたまえよ君」
男性が芽森の肩を掴む。芽森は少しこわばった顔で振り返った。
「君、彼女のクラスメイトってやつなんだろ? 何か彼女にひかれたものがあるっていうことは、それは運命があった、ってことだ。」
男性は芽森をぐいぐいと部屋に戻し、いつの間にか用意されてあった3つ目の椅子に押し込んだ。
「彼女の事情、知りたいだろ? いや、むしろ知ってもらいたい。いいかな?」
芽森は強く頷く。自身の好奇心を解決するチャンスを逃す輩はこの世界にはいないだろう。男性は最もといったように少し笑い、先ほどと同じ椅子に腰かけた。その後ろには、大きなホワイトボードが置いてあり、何かの数式が書かれている。しかし、このような心得を持たない芽森には、奇妙な落書きにしか見えなかった。
「君、トラウマってある?」
男性がぶっきらぼうに聞く。
「いや、特筆すべきことは……。というか一つもありません」
芽森は少し考えてから答えた。彼はトラウマができるような強い出来事が良くも悪くも一つもなかった。
「んー、そうか……。なら、現実味が少ないかな……。」
男性は首をかしげながらクルクルとペンを回した。芽森も質問の意図がわからず首を傾げた。その様子を見て男性は、慌てて続ける。
「ああ、ごめんごめん。意味の分からない質問だった。この娘を追いかけられるほどに彼女を視認できていたからもしかしてと思ったんだが、うん、どうやら君の観察能力は元来のものだったようだね」
咳払いをして男性は仕切り直し、続けて話す。
「今から言うことは、夢物語のようでそうではない。いいね?」
芽森は再度強く頷く。
「この世にはね、異能力が存在してる」
「異能力……、空を飛んだり、火を吐いたり、とかですか?」
「うん、ま、拙くてかわいい想像だが大体あってるよ。ただ、この能力が特殊なのはここからだ。この能力はね、個々人の強いトラウマに基づいて発現する。脳が強い強いトラウマによるストレスを受けたとき、脳から特殊な成分が吹き出してね、それが体中に駆け巡ることによって能力が覚醒するんだ」
「強い……トラウマ……」
「例えば、ある人が海で溺れたとしよう。深い深い水底が彼を捉えようとするんだ。その人は当然、強く恐怖するだろうね、それに波にのまれて息もできない。ああ、自分はもう死んだんだ、そう思ったときに幸いにも救助隊がやってきて、それで彼は助かった。ああ、よかった。これにてハッピーエンド……とはいかない……よね?」
確認を取るように芽森を見た。
「彼には……水に対しての強いトラウマが起こる……」
「その通り。そして彼はある日気づくんだ。自分が、水を操れるようになっていることを……。とまあ、こんな感じ。わかりやすいように少し物語調に話してみたけど、どう?」
「はい、粗方」
「そりゃよかった。まあ現実はもう少し複雑だ。溺れた人が水を操れるとは限らない。溺れたときの恐怖の対象に寄るからねぇ。息が自由にすることが出来ないことにトラウマを抱いたのなら、人ひとりの息を出来なくさせる……みたいな能力になったりもするし」
「へぇ……」
「というか君、僕の話を笑い飛ばしたりしないんだねぇ。この話に現実味が介入する隙間なんてないのに」
「いや……そりゃ、彼女の病的な認識のしにくさは、異能力といっても差し支えないほどですし」
男性は少しぽかんとした後、何かを思い出したかのような仕草をして立ち上がった。
「ああ、ああ! まずい、そうだ、そうだった。忘れていた。まずは彼女の説明をしなきゃだ」
そういって少し奥においてあるオフィスチェアを男性は転がして持ってきた。最初は何も座っていないと芽森は思っていたが、椅子が近づいてきたときに彼は気づいた。そこにはあの女の子が座っていた。足と手をすり合わせて、気まずそうに座っている。
「はーい、まずは自己紹介からね。明里」
そう促されて彼女は顔をあげる。近づいているからか、先ほどとは比べ物にならないほどに、顔をはっきりと視認できた。彼女はおもむろに口を開く。
「
芽森は彼女の声が聞き取れたことに感動した。しかし、前にガラス板があるように、声がくぐもっている。
「僕、芽森直虎って言います。よろしく」
芽森も自己紹介を返した。自然と声をはっきりとさせた。
「さて、自己紹介も済んだことだし、説明していこう」
彼は再度ホワイトボード前に座り、足を組んだ。
「お分かりの通り、彼女も能力者だ。自身の存在が極限にまで薄くなってしまうという能力さ。自身の意志関係なくね。そして、しばらく人と関わらないでいると、だんだん忘れられていく。思い入れが少ない順から、優先的にね」
「それってデメリットしかないんじゃ……」
「能力がすべて有益とは限らない。うまくいかないよねぇ、ホント。そして、こういうトラウマから発生する能力者たちのことを僕たちは、”PT”と呼んでいる。心的外傷の英語、”Psychological trauma”からきている、安直で、覚えやすいだろう? 後、能力それぞれにも名前がある。本人がつけることもあるし、区別するためにこちらからも名前を付けることもある。個人的には、いちいち考えなくてもいいし、まとめやすいから自分でつけてほしいんだけどね」
「じゃあ、彼女の能力にも」
「そのとーり、名前がある、というか僕がつけた。彼女の悩みを聞いた後の印象からね」
グイっと男性は立ち上がり、明里の元へ歩いて行った。彼は椅子の背の部分を持って言った。
「”Hide and seek”それが彼女の能力の名前。かくれんぼしっぱなしの、見つけてくれる人を探してる彼女の名前さ」
彼女は少しむっとして顔を男性の方に向けた。
「ああ、いや、違うよ。かくれんぼしっぱなしっていうのは別に馬鹿にしたわけでは……あはは」
男性は苦笑いをしながら彼女の機嫌を取る。当の彼女はまだ納得いっていないようで、腕を組みながら足を2回ほど揺すった。
「ああ!そうだ。僕の自己紹介が済んでいなかったね、ごめんよ」
「あ、確かに」
「僕の名前は
演技臭い仕草をして、彼はそういった。
「よろしく……お願いします」
この返事をしたとき、芽森は妙な縁が出来上がってしまったように感じた。
突然、後ろにある扉が開かれた。先ほどまで芽森が覗いていたあの扉だ。
「すいません、所長。少しお話が……あ、お取込み中でしたか」
男性研究員と思しき人物が入ってきた。右手にはクリップボードを持っている。
「ああ、いや今終わった。そちらに向かうとしよう」
進はくるりと方向を変え扉へと向かった。
「と、言うわけで君たち。僕が返ってくるまで親睦を深めておいてくれたまえ~」
そういいながら彼はひらひらと手を振り部屋から出ていった。
「「……」」
先ほどとは打って変わって、静けさが殴り込んできたようである。それはなるほど、とてつもなく気の不味い空気が呼んでいるものだったようだ。暖房の音が気になるほどの静けさだ。芽森はそれほど社交的な性格ではないが、このような空気を放置しておくほど人見知りというわけでもない。ただ明里に対して、ストーカー紛いの行為をした負い目が、彼を一時的に病的な引っ込み思案へと仕立て上げていた。明里は能力の所為か、はたまた元来の性格なのか、この気まずい空気を何とかする勇気を持ち合わせてはいないようだ。ただ何をするということもなく、下を向いて、足を組み替えたり、爪の長さを見たりしていた。
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