第2話 P.T(2)

 友人を振り切った芽森は階段を颯爽と降り、靴箱から急いで靴を取った。いつもは穏やかにギイギイと鳴らすすのこも、芽森の感情に反応してけたたましく音を鳴らした。砂埃も舞っている。ただ当の彼はそんなことを歯牙にもかけずに校門へと向かっていった。

「よ、よかった……」

 どうやら彼女はまだ校門を出ていなかったらしく、背中がゆらりと見えた。

 芽森はそんな彼女を見失わないように集中しながらこっそりとついていった。彼の家とは全くの反対方向であったが気にも留めていないようだった。

 彼女が歩いていく。そろそろと歩き、どことなくやる気が、ないし自身がない様子であった。芽森はその十歩ほど後ろを、気づかれないように歩いていた。

 10分あるいたころ、古めいた商店街へと入っていった。おそらく通り道なのだろう。店には目もくれず、リズムを落とさずに歩いている。少し錆を羽織った看板が日の光を浴びて、キラキラと若作りをしていた。

 すると、前からおそらくカップルであろうと思われるガラの悪い男女が歩いてきた。芽森は少し顔をしかめる。彼はこのようなものに対して勝手に不潔を抱き、潔癖を持っていた。並外れた観察能力を持っていても、その実中身はまだ年相応である一つの証左でもあった。

 影の彼女は下を向いて歩いており、前の二人と距離が縮まっていることに気が付いていないようだった。ドンと彼女は男とぶつかった。

「いってぇな……どこ見てん……あれ?」

 身体にぶつけられた男は怒号を飛ばそうとしたが、対象が見つからないようできょろきょろと見まわしていた。当の彼女は驚いたようで、震えながら立ち止まっていた。

「え? どうしたのカケちゃん」

 男と腕を腕を組んでいた金髪の女性が、怪訝そうな目つきをして言った。

「いや、誰かがぶつかってきたような気がしたんだけどよ……」

「誰もいなかったよ。やめてよぅ」

 そんなやり取りをしながら二人は去っていった。

(僕だけじゃない。みんなに気づかれてないんだ)

 この時に彼は理解したのである。彼女が影のごとき存在で、世界から置き去りにされているということを。彼の胸中には最早彼女への好奇心しか残っていなかった。ストーカー紛いな行動をしている自身への懐疑の目も眠りに落ちていた。服を払い、立つ彼女を見て、家までついて行ってやろうと思い立った。この瞬間から彼は、探究する機械といえるものとなった。

 再び歩く彼女を見ている芽森は、道行く人々皆、彼女に意識を向けていないことに気付いた。普通の人に対して人間は、すれ違うとき少し意識をして、身体をずらしたり、目線を移動させたりする。しかし、彼女に対してはそのような素振りを誰一人として行わなかった。

 芽森はここまで思考した後、止めた。思考しながら、集中して彼女を見失わないように追いかける重労働に芽森の脳が耐えかねたのだ。彼は、米倉に引っ張られ少し皴のできた袖を、無意識に手で擦った。

 駅に着き、彼女が定期券を使って改札を通った。芽森の場合定期券外であるのでICカード内の電子マネーを使う羽目になるのだが、芽森は彼女に夢中であるようで、気づかぬままに金を消費した。3分も待たぬうちに電車が到着した。最近入れ替わったのか、外装内装ともに真新しい車両だった。昼間ということもあり、座席はガラッとしていたが、彼女は座らないようだった。芽森は座席に深く座った。そしてばれないよう銀色の手すりを盾にしてちらちらと様子を窺った。

 しかし、彼女は窓の外を眺めるのみで何のアクションも起こさない。窓から入る光が、彼女の胴体を照らして、色付かせていた。芽森はと言うと、短時間でかなり脳を酷使したからか、ウトウトとブランコを漕いでいた。

(寝たら、あの子を見失う……)

 芽森はそう考え、少し抵抗しようとしたが、結局その意識の革命は敗れ、欲求に甘んじることとなった。

「こんなもんでいいかなー……」

 そのころ、米倉はかなりの数のお守りを手に抱えながら、にこにこと帰ろうとしていた。後ろではお守りの販売員が少し面食らった様子でお金を数えていた。ここまで大量にお守りを買い込む若者に驚きと心配の念を抱いているのだろう。

「ああ、そうだ」

 そういって米倉はお賽銭箱の前に立ち、先ほどの販売店に無理に頼み込み両替してもらった、五円玉1000円分を流し込んだ。

「芽森に仏様のスーパーなご縁を!」

 そういって100礼を行って手が腫れるほどに拍手をした。過ぎたるは猶及ばざるが如しという言葉を彼は知らないようであった。

「よーし! これで芽森も幽霊に襲われないだろ!」

 安心といった顔で彼は石段をたどたどしく降りて行った。お守りが視界を遮り、うまく降りられないようだった。

 その時、春の初めだとは思えないほどに生温い風が吹いた。手に抱えたお守りのひとつがポトッとおちる。

「あっ!」

 そういって米倉は落ちたお守りに気を取られてしまい、足を滑らせてしまった。ゴロゴロと石段を転げ落ちていき、体中を打ち付けながら、お守りをばらまいて行ってしまう。地面に強くぶつかって、首があらぬ方向へと曲がった。

 しばらくしたあと、米倉はピンピンとした様子ですくっと立ち上がった。

「意外と早く降りられたなー。あれ? おまもりは……あー!」

 悲痛に叫んだ米倉は慌ててお守りを拾い上げ始めた。

「ちょと! 大丈夫ですか!?」

 石段の上のほうから声が聞こえる。どうやら先ほどのあれこれを住職が見ていたようだった。

「へ? なにがですか?」

「いやだってさっきあなた、とてつもない勢いで転げ落ちていきましたよね!?」

「え!? 誰がですか?」

「いやあなたですよ! 覚えていらっしゃらないんですか?」

 キョトンとした顔で米倉は住職を見つめる。どうやら彼はその時の一部の記憶が無いようだった。

「あ、そうだ。すみません、袋ってあります?」

 そう笑顔で尋ねる米倉に住職は詮索する気が無くなった。

「ホントに身体大丈夫なんですね……わかりました、取ってきますので少々お待ちを」

そういって住職は上品な歩き方で建物の奥へ消えていった。

「俺がちょっとけがしたときみんな大げさなんだよなー、いつも」

 そう米倉がぶつぶつとつぶやいていると、住職が中くらいの紙袋をもって帰ってきた。

「あの、これしかなかったんですが……」

「ああ! ありがとうございます!」

 米倉は笑顔でその紙袋を受け取った。その時

「うあぁぁぁぁ! おい、やめろぉぉぉぉ!」

と男性の叫び声が聞こえた。その声は恐怖に包まれていた。

「ん? なんだ……」

 米倉は助けようと、もとい興味本位で声のするほうへ近づいて行った。どうやらお寺近くの路地裏で諍いが行われているようだった。

「あなたが! 私の家を燃やしたんですよね!」

 少女の声が聞こえてくる。相当怒っているのか、声が所々かすれて裏返っていた。少女の姿は丁度死角になって見えなかったが、男の姿は見えた。4~50代ほどの男性だ。

「だから俺はなんも知らねえって!」

「いや見たんです! あなたのような中年の男が私の家の前でニヤニヤしてたのを!」

 そういって少女は男に掴みかかった。

「ぐ、ぎゃあああああ! 熱い熱い熱い! やめろぉぉぉ……」

 少女に身体を掴まれた瞬間、突然男は苦しみだした。

「私がこんな身体になったのはあなたのせいなんです! ちゃんと報いを……」

「だから俺はなんも……ぎゃぁぁぁぁぁぁ!」

「ちょっと! なにやってんの!」

 米倉はたまらず飛び出し止めようとした。

「た、たすけて……」

 男が力なくそう言った。今まで死角になって見えなかった少女の姿が露になる。米倉はその姿をみて驚愕する。

 左目と右手が燃えていたのである。真っ赤な火が音を立てて踊っていた。それはさながら火の玉のようだと米倉は思った。身体に針金が通ったかのように固まる。

「!?」

 少女は驚いたのか一瞬たじろぎ、その後固まる米倉の横を走り去っていった。米倉が慌てて振り向くと、少女の姿は視認できたが、火は消えてなくなっていた。生暖かい風が通り過ぎる、先ほどのものも彼女の影響だろうか。しかし、そんなもの知らぬ存ぜぬといった様子で米倉はがくがくと足を震わせ、

「火の玉だ……この町は呪われてるんだぁー----!」

そう叫びながら、頭を抱えた。

「そ、そんなことはいいから……助けて……」

 男性はそういいながら、うずくまっていた。


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