第1話 P.T(1)
春を感じさせる日の光が町を包んでいた。その街の中で一人歩いている少年がいた。
「めぇぇぇもりぃぃぃぃ! おっはぁぁぁぁ!」
ズオンッと黒い影が芽森の背中に突き刺さる。
「グァェォ?!」
轢かれたカエルのごとき声を出して芽森は倒れた。
「大丈夫か、芽森」
あっけらかんとした声をもって芽森に話しかける。顔は笑ったままだ。
この喧騒の申し子のようなこの男は、米倉勇慈。芽森とは幼馴染の間柄である。芽森は彼のことを腐れ縁と考えていたが、他人から見れば親友のそれであった。彼は照れ隠しから、このような考えを腹のうちに納めているのである。高校生というものは往々にして強い友情形成を恥ずかしがる傾向にある。彼もその暗黙のコミュニティに属していた。
「もう……突っ込んでくるの……やめろよ……」
芽森はうつぶせになりながらそう言った。米倉はククッと笑いながら彼の背中を擦っていた。
芽森はすくっと起き上がり、そろそろと学校に向かった。芽森は彼のこの喧しい性格に助けられてきたので、咎める気もなかったし、その気も湧かなかった。
閑話休題、芽森の特技とは、並外れた人間観察である。初対面の人物であろうと、ものの30分でその人物の仕草や癖などを見抜き、疑似的テレパシーを可能とする。その中でも特段、相手の違和をくみ取ることが得意であった。嘘や隠し事を掘り出し、詮索することをよく行っている。その舌を抜く行為に少し楽しみも見出していた。
「で、マイ」
「ん、どうした?」
「僕が貸したゲームソフト、そろそろ返して」
米倉はうぐっとした顔を少し見せた。
「い、いやー、実は、その、弟がまだ遊びたいって……」
「嘘だな」
芽森は呆れ顔でピシャリと言った。のらりくらりと狼狽える米倉を尻目に芽森は言葉を上乗せした。
「お前、常に右上を見てたよな。それにせわしなく耳を搔いていた。お前が嘘をついているときの癖だよ。それに、この話になったとたんに大事にかばんを抱えたな」
「……」
「ちょっと見せてくんね?」
スーッと米倉のかばんに手を伸ばす芽森。
「わ、わかった! 言う、言いますから!」
母に叱られた子のようにばつの悪い顔をしながら例のものを取り出した。
芽森は受けっとったパッケージを開けた。少し汚れており、ディスクの裏は傷がついていた。汚れを拭き取ろうとしたのか、所々薄く伸びていた。
「い、いや、あの、俺が適当に置いてたら、飼い犬がなぜか気に入ったみたいで、小屋に入れてて、見つけたころにはもうそんな感じで……だから、その、ごめんなさい……」
深く頭を下げる米倉を見て芽森は口を開く。
「いいよ、わざとじゃないんだろ」
「い、いいの?」
米倉の表情が少し明るくなった。
「ああ」
「よかったぁ、てっきり絶交かと……」
米倉は文字通り胸をなでおろした。
「いや僕のことなんだと思ってるんだよ。そんなにゲームに対して執着心もってないよ」
「え!?そうなの?てっきり中毒者かと……」
「……たった今の容赦を取り消すぞお前」
高校生らしくたわいない雑談を繰り返している内に二人は校門前に到着していた。
ここ数日の晴天が功を奏したのだろうか。校庭に咲く桜は、ついぞ見たことがないほどに嬉々として咲き誇っていた。校門をくぐってすぐ前にある校舎のガラス戸に新学期のクラス表が張り付けてあった。
二人は少し混み始めたクラス表前に向かい、少し背伸びをしながらクラスを確認した。どうやら芽森と米倉は別のクラスとなったようだ。
「マイ、僕ら別の組になったみたいだな」
「え、ほんとに?」
米倉は少し目が悪いのか、目をグッと細めながら言った。
「えー!? じゃあ誰とお昼一緒に食べればいいんだよ!」
「いや、お前どうせすぐ友達出来るだろ」
「本当の親友はお前だけなんだよぉ!」
米倉は芽森の首をもってブンブンと左右に揺らした。
「それやめて、気持ち悪くなる」
首を絞められた芽森はかすれ声でそういった。
拗ねる米倉をよそに芽森は靴箱へと向かった。すのこがぎしっと音を立てる。彼はこの音を聞くといつも言われようのないノスタルジーに襲われる。ただ、そんな幻想は長持ちせず、すぐにいつもの心持に戻って上靴をはいた。
芽森はつかつかと廊下を歩き、髪についた桜の花びらをひとひらずつ取っていった。新学期だからだろうか。教室や廊下ではがやがやと話し声が聞こえるが、その中に2,3滴静けさが混じっていた。芽森はそんないつもと違う仕草をする同級生たちをみて、楽しんでいる。
思い切り開いた廊下の窓からは心地よいそよ風が入ってきていた。そこから新学期を迎えた桜の花びらたちも登校してきているようだった。新クラスに一喜一憂する人間たちとは違い、花びらはいつもと同じ調子で舞い踊っていた。
芽森があれこれと気を取られていると、始業を知らせるチャイムが学校に響き渡った。
「やば、のんびりしすぎた」
そういって急いで新教室へと向かった。
余り音を鳴らさないように芽森はゆっくりかつ、少し急ぎ気味に扉を開けた。新教室には既にクラスメイトが各々の席に座っている。彼も自分の席に座った。一番後ろで、教室を一望できる席だ。幸いにも担任は遅れており芽森の後に入ってきた。
「はい、じゃあはじめますよ」
一昨年来たばかりの女性教師が号令をした。そのあと、新学期特有の話があれこれが始まった。しかし、芽森はそんな話を聞き流し、癖とも趣味ともいえる人間観察を開始していた。
(前の女の子は暇なとき太ももでエアピアノを弾くのか……)
そんなことを考えていたらいつの間にか朝礼が終了し、瞬きの間に終礼まで進んでいった。粗方クラスメイトの癖を知り終え、少し話す位の人間が出来たため、ちょっとした達成感が芽森の胸中に生まれた。
「はい! それじゃあ、またあしたね」
そういって担任は終礼を終わらせた。クラスメイトは各々帰る準備をし始めた。
(僕もそろそろ帰ろうかな……)
そう思い、帰っていく生徒たちを見ながら帰りの用意を始める。
すると、視界の端に一瞬人影が見えたような気がした。心霊現象とも取れるほどに刹那の出来事だった。疑問に思い、注意深く教室中を見渡してみると、一番前の左端の席に女子生徒が座っていた。異空間から突如として発生した人型の物体であると説明されても納得できるほど、異様に気づくことが出来なかった。そうこう考えるうちにも、芽森は彼女のことを何回も見失った。彼女は同じ場所に留まり続けているにも関わらずである。
芽森はかなり集中して彼女を観察した。白い肌に、斜め後ろからでもわかるくっきりとした目、ぷっくりとした唇、常に悲しそうな雰囲気。美しいと言って差し支えないと芽森は考えた。きっちりとした性格なのか、着ている制服に乱れがなく、ピンと筋が通っている。しかし、顔に薄いモザイクがかかっているように見え、詳細な顔はわからなかった。
(あの人、確かに今日見たような……でも記憶にないんだよな……)
道を歩くときわざわざ石ころを一つ一つ覚えていかないのと同様の理由で、自分は彼女を覚えていないのだと芽森は思った。そしてそのような影の彼女に対して、はじけるような好奇心が芽生えた。
そう油断して窓を見ながら考えていると、いつの間にか彼女は消え失せていた。慌てて教室の出入り口を見てみると、彼女はそそくさと教室を出て行ってしまっていた。
「え? あ、あのちょっと」
芽森がその女子生徒を引き留めようと廊下に出た。すると後ろから聞きなれた喧しい足音が聞こえた。
「芽森ぃー-! 一緒に帰ろー」
そう叫んで米倉が走ってきた。例の女子生徒はその声に驚いたのか肩をビクッと震わせ、早歩きで教室から離れて行ってしまう。
速度が上がったからか、どう集中しても陽炎のようにゆらゆらと現れたり消えたりしているように見え、あっという間に見失ってしまった。
「マイ! すまん、今日は一人で帰ってくれ。僕はあの子を追いかけるから」
「へ? 誰だよあの子って」
「いやさっき駆けていった女の子だよ。多分お前の声に驚いて……」
「いや、ずっと芽森一人だったよ……」
しばらく会話に空白ができた。空いた窓からは先ほどよりも冷たい風が吹いた。
突然、米倉がグッと力強く芽森の腕を掴んだ。
「芽森それあれだって、心霊現象だって! 言ったら死ぬ! 芽森死ぬ!」
「いや違うって! あの子は確かに生者だ。僕の目が言ってんだから間違いない!」
「千代富学校七不思議のひとつ、中毒者を引き込む女性型の怪物……」
「勝手に変なもん作んな!」
そう言って芽森はブンと米倉の手を振り払って校門へと駆けて行った。芽森を再度掴もうとした米倉の手は、空気を切って、その持主をよろけさせた。
「今日お祓いグッズ買って芽森の家に送ろ……」
米倉はそうぽつりと言い、家とは反対方向の寺へと走っていった。
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