第11話 Passion fruit (6)
「うわぁあ!」
男が力強くコンクリート塀に投げ飛ばされた。鈍い音が路地裏に響く。男が苦しみながら目を開けると、目の前には、彼を投げ飛ばした張本人である少女が、背筋が凍るほどに冷たい目で見降ろしていた。赤みを帯びた茶髪をサイドテールにしている。服装は動きやすいぴっちりとしたTシャツとジーンズを身に着け、その上には、薄い桃色のカーディガンを羽織っている。そして、左目とまくられた右腕には、炎がゆらゆらと陽炎を生み出していた。
「やっと、やっと、ようやっと、見つけました」
少女が男にそろりと近づき始めた。
「ひぃ!」
情けのない声をあげて男は縮こまった。強く握りこまれたこぶしは激しく震えており、顔には真新しい打撲痕がいくつもあった。
「何度か人違いをしましたが、今度こそ本物です。間違いありません。あなたですよね。私の宝を燃やしたのは」
暴力的ながらも、隠しきれないしとやかさを持った声色で少女が言った。しかし、男には、耳をふさぎたくなるほどおぞましい声に聞こえた。
「わ、悪かった。謝るよ」
少女が俄かに足を止めた。
「それは、認めた、と受け取ってもよろしいので?」
「ああ、本当に申し訳ない!金ならいくらでも……、ギャァゥ!?」
少女は男の首根っこを掴み、しゃがみこむ彼を無理やり立ち上がらせた。血管や筋肉が詰まるような、しなって飛び去ってしまいそうな感覚に加え、熱した鉄板を首に押し当てられるような尋常ではない熱さが、男の首に走った。
「お金、ですか。いりません。だからと言って謝罪も、弔いも、何もいりません。死んでください。私の、復讐心の手助けを、あなたにさせてあげます」
少女は男の首を持ったまま顔を近づけて、目を細めた。
「ク、カ……ァ……」
「苦しいですか?でも、焼死っていうのは、そんな苦しさじゃないようですよ。一酸化炭素中毒で動けなくなった後、じわじわと自分の身体が焼かれていくのを感じながら死ぬみたいです」
少女は更に力を強め、涙を流し始めた。男の首の動脈があらぬ方向へ動く。
「お父さんも、お母さんもそんな思いをして死んだ。妹なんて、きっともっと苦しかった。あなたが苦しめたんです。あなたが!」
少女は叫んで、男の頭をコンクリート塀に叩きつけた。男の頭には、血が滲みはじめた。
「同じような苦しみを味わいながら死んでください。非道な人」
もうろうとした男の耳にも届くほど、少女は強く歯を食いしばった。
「ちょっと待った!」
少女が声に反応し振り返る。そこには、高校生ほどの男性が、路地裏の入り口からこちらへ走ってきていた。芽森である。
「君、はぁ……、復讐は、ふぅ……、何も生まないよ……」
芽森は息が整っていないようすで、少女に話しかけた。少女は頬に流れた涙をぬぐい答える。
「誰です、あなたは」
「ふぅ、ふぅ……。僕は、芽森直虎」
芽森は息を整え、腰に手を当てながら言った。そのあと、少女は耳に、何か女性の声のようなものを感じ取ったが、風か何かであろうと考え、意識を集中させることはなかった。芽森は少女の目を見て言葉を続けた。
「訳あって、君のような超能力者に協力している。少しばかり話を聞いてくれないかな?」
少し冷たい空気が流れ込んだ後、少女が口を開いた。
「はぁ……、お断りします。私は少し狂ってしまっているかもしれませんが、いきなりそんな電波なことを言う”変質者”に、ほいほいとついていくほど狂ってはいませんから」
少女がわかりやすくそっぽを向く
「へ、変質者……。やめて……さっきのでだいぶメンタル削れてるから……」
芽森は先ほどの母子を回顧し、眼を右往左往させて頭を抱えた。少女は少し怪訝な顔で彼を見た後、少しぐったりとして、乾いた眼をしながら力なくもがいている男に目を移した。
「それに、こちらも今はこの方と少し、大事な”お話”の途中ですので……」
芽森は取り繕って、少女に話しかけた。
「亡くなってしまった家族の、
「……。ご存じでしたか。ならば話は早い。あなたの言うお話は、このごたつきを終わらせた後にいたしますので、少しお掛けになってお待ちください。近くの喫茶店にでもどこへでもどうぞ」
少女は、芽森をあしらうかのように手を振った。
「いや、そういう訳にはいかない。敵であれ何であれ、ここで彼を殺したとしたら君は罪人になってしまうんだ。少し落ち着いて……。」
芽森は少女に近づき手を伸ばした。微かな熱気を感じる。
「では泣き寝入りでもしろと!?」
少女はそう叫んで、男の首掴んでいた手を放し、芽森の腕に掴みかかった。男は音を立てて崩れ落ちた。ただ、息はあるようで、もうろうとした目で芽森らをぎろりと見た。
「ッつい!」
芽森の腕に熱特有の痛みが走る。
(なんだこれ……。まるで内側が燃えているような、鈍い痛みが……)
少女は鋭い目つきで、肩を震わせながら怒鳴った。
「ええ! 確かに、復讐しないことが賢明だし、あなたが正論なのかも知れません。でもそうじゃないんです!正論で片が付かないことなんてこの世にたくさんあるでしょう? これで罪を被ろうが、私刑だと後ろ指をさされようが構いはしません。さっさと私の前から……」
少女は拳に力を入れる。その瞬間、右手に燃えている彼女の炎が大きく燃え上がった。
「消えてください!」
「ッ!!」
少女は芽森に向かって殴りかかった。芽森は寸でのところで少女の腕を払い、後退りをして拳をよけた。鋭く風を切る音が聞こえた後、遅れて吹いた風が芽森の前髪を押し上げた。芽森の背に冷や汗が流れる。芽森は掴まれた腕を確認した。しかし、そこに火傷痕はなく、いつも通りの、少し産毛の生えた若い腕がそこには在った。
(あんなに熱かったのに、火傷していない……)
芽森は自身の腕を不思議そうに撫でた。
「熱かったでしょう。それが、火事の後、私の中に芽生えた特殊な体質です。他人に対して熱さを感じさせるだけの、拙いものですが……」
少女はそういい、羽織っていたカーディガンを脱ぎ、拳を構えた。
「……なにを」
芽森は掴まれた腕をさすりながら少女に行った。
「どの道あなたは邪魔をするのでしょう? ならば、ここで”戦闘不能”にしておこうかと思いまして」
少女の両手のしなやかな筋肉が、隆起した。未だ冷たい春風が彼らの間に吹く、ただ、その風は少女に当たったとたん生温い風に変わった。それが芽森の薄い頬を撫でる。それはまるで、この空間の中で彼女が最も強いと示唆しているようで、彼にとっては全く空恐ろしいものだった。
(落ち着け、僕……! 強そうだとはいっても年は離れているし、体格差もあってこちらが有利だ。一気に攻めて捕獲しよう……)
そう考え芽森は、肩から下げたカバンから捕獲用の縄を取り出そうと震える右手を動かし、彼女に飛び込もうと足に力を入れた。コンクリートの地面から生まれた小石を踏み、こすれるような、削れるような音が鳴る。
だが、芽森の動きを察知した少女は、素早く彼の懐に潜り込み、カバンへ動かそうとした右手を払った。そしてそのまま、握りしめた拳を、彼のみぞおちに向けて飛ばした。
すさまじい轟音があたりに響き渡った。
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