藍より青し(三)

 またも青田の「想像」が現実リアルに填まってしまった。

 確かに岡埜の胃の中には神田の体が入っていたのだから。さらに青田の説明は続く。

「これは、神田さんにとって二つの意味があった。『電紋』の消去によって田之倉さんを覆い隠せること。そして岡埜が月苗さんに向けていた食欲を、自分の身体に向けさせること」

「わ、私が? ……ああ、でも」

 美佐緖はすぐに気付いた。

 『旨人考察』が随分昔に出来上がっていたとするなら、岡埜はそれを読んで美佐緖の存在に気付いた可能性が高い。

 いやそれ以前に「陽楽荘」で岡埜は美佐緖を見ているのだ。

 さらに考えてゆけば、白馬での犯行が計画されたのも岡埜を抑えるためと考えれば筋は通る。

 つまり、岡埜はずっと前から美佐緖を最終的な獲物として食指を伸ばそうとしていたのだ。

 そうと気付いた上でも――美佐緖の心には恐怖が湧いてこない。

 そんな恐怖よりも、美佐緖にとって重要なことは神田の決意だった。

 確かに、他に方法が無かったかのようにも思える。

 けれど、それはやっぱり極端な選択だったように美佐緖には思えたからだ。

 自殺――については受け入れるとしても食わせるというのは……

「それはですね、最終的にそれしか方法が無い、というよりは最終的にそうなるように、神田さんが持っていった可能性が高いからだと思われます」

 美佐緖の疑問に、青田は淀みなく答える。

 すでに、その点については検討済みなのだろう。しかし美佐緖としては、それを簡単に受け入れることは出来ない。

「じ、自分を食べさせるって事をずっと前から? ――ずっと考えていたって事ですか?」

「そう。それもまた神田さんの得意とするところだ。あるいは計画だけで実行するつもりはなかったのかも知れない。最初の計画の時ように。それは岡埜という男に纏わり付かれた結果、そこからの逃避であったのかも知れない。慰めかも知れない。そして、その計画が具体的になったのは恐らく白馬旅行のあと」

 何故、青田がそう判断したのか?

 再び美佐緖は置いてけぼりにされてしまう。そして青田は、声を上げない美佐緖に構うこと無く、先を続ける。

「それでも神田さんは、迷っていた。そこに転機が訪れる。まず、岡埜に『電紋』を見られたこと。そして月苗さんに見られたこと」

 それもまた事実なのだろう。少なくとも、美佐緖が「電紋」を見たことは確かだ。

「目撃された事によって、『電紋』は岡埜に対してになった。そのきざはしだ。月苗さんに見られたことは……ある意味でそれが“始まり”だったのでしょう。しかし今度は、神田さんが始めると決めた」

「自分が食べられることをですか?」

 どうしても美佐緖はが納得いかないのだ。

 そんな決意が出来るというのは……正気を失っている様にしか思えない。

「そうこと。それはことを思いついた神田さんにとっても、重要な部分です」

「でも、それは思いついただけで――」

「思いついただけで十分だったんですよ。実際に、その見せかけだったはずの狂気に触れただけで、岡埜という化物を生みだしてしまっている。『旨人考察』だけが原因では無いでしょうが食人へと導いてしまった。――謂わば、岡埜は神田さんの弟子だ」

「弟子……」

「そう。弟子です。やはりこの言葉がしっくりくる。二人の間にある程度の徒弟関係が出来上がっていたと考える方が、岡埜の殺人がしばらく収まっていたことにも説明を付けやすい。そして、そういった関係性があるからこそ神田さんは“終わり方”に辿り着くことが出来た」

 青田はそこで、間を置く。

 美佐緖はもう聞き続けることしか出来なかった。沈黙したまま青田の言葉を待つ。

「……神田さんが望む“終わり方”については先ほど説明したとおり。『電紋』を消去し、岡埜の月苗さんへの食欲を自分に向ける。これを具体的な形にするなら、食べることを指導していた神田さんが、弟子の岡埜に食べられるということ。つまりこれは――“藍より青し”」

「……藍より……青し」

 その有名な故事を、美佐緖はどうしようも無く繰り返し呟いてみせる。

 「藍より青し」とは、簡単に言ってしまえば、弟子が教えを受けた上で師匠を上回ったことを示す故事。

 確かに、青田の『想像』通りであるなら、この故事の通りの現象が起こったことになる。

 しかしそれは……またある意味では真逆なのだ。

 「藍より青し」が完成した神田の部屋は血で真っ赤に染まり、あるいは血が固まり真っ黒になった部分もあったに違いない。

 そんな血みどろの「藍より青し」など、あまりにも――冒涜している。

 故事の由来も、神田の想いも、何もかもを。

「その後、岡埜まで死んでしまったことはさすがに想像が及びません。神田さんがそこまで考えて手を打っていたのか、偶然そうなったのか。食べられる覚悟は決めたものの、どうしようも無くなって抵抗した結果かも知れない。しかし、今度の計画については運が味方したのでしょう。あの結果は神田さんが望む結果に近かったのでないかと愚考します。ですが俺がすべき事は、神田さんの意志を月苗さんに伝える事。そこをいい加減にしてしまうと、全て台無しになってしまう。ですから俺の『想像』はここまで」

 青田も自らが作り上げた「想像」に嫌気が差したのか、突如、と言っても良いタイミングで、いきなり説明を切り上げてしまった。

 その終わり方は美佐緖にとって、到底満足できるものでは無かった。

 だが、とにかく事件の真相については、納得出来るだけの「想像」を説明して貰ったという感触がある。

 現実リアルが気に入らないととしても、それはどんなに文句を言っても仕方が無い。

 美佐緖は父がいなくなったあの日から、それを十分に知っていた。

 神田は美佐緖を守ろうとした。それだけで満足――


「――ですので俺の『想像』については、少し時を戻りましょう。何故、神田さんが“藍より青し”に思いたる事が出来たか? その問題を理解するためです」

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