落ちる、堕ちる(三)
「寿町? 五月の? え、それじゃあ、あの事件は――」
「岡埜が単独で起こしたのでしょう。まず、この事件があまりにも小森さんの事件と似すぎている。相似形と言っても良い。その点から岡埜の狂信を窺わせます。そして、似ている事件を起こせると言うことは、神田さんはそういったデータを残していた、見られていた。そんな風に想像出来ます。小森さんを除くために場所の選定や、準備など書き付け。処分は間に合わなかったんでしょうね。いや、最初から処分しなければならないという意識があったのかどうか――」
「あ、あの単独というのは……」
美佐緖にとって、そこは重要な部分だ。
今さら――なのかも知れないが、神田の罪が少しでも軽くなるなら、という想いがある。青田はそれに応えるように説明を始めた。
「これに関しては“恐らく”という言葉が必ずついてしまうでしょうが俺としては確信してます。まず、浮浪者を目標にする。『旨人考察』ではそう書かれている。そして岡埜の生い立ちを考えれば『猟場』として寿町が自然に出てくる。逆に神田さんでは出て来ない可能性が高い。では岡埜が提案した? しかし、それに神田さんが付き合うぐらいなら、ほぼ二ヶ月の間、殺人がなりを潜める理由が無い。あの事件は岡埜による脅迫です。自分もこれぐらいの覚悟はある。さあ自分に教えろと……岡埜にしてみれば
「じゃ、じゃあ、奥多摩の事件は?」
「『旨人考察』に記された天然物についても、自分は獲物を捕まえることが出来る。そういうアピールと考えられますし――」
そこで青田の説明が止まった。
たびたび起こる、この現象。美佐緖は、青田が今度は何かを躊躇っている事に気付いた。だからこそ――
「そ、その、時折小説なんかに出てくる“殺しの快感”のようなもの……ですか?」
「それにプラスして。岡埜の生い立ちです。相手を『殺す』と言うことは、完全に相手の上位に位置し、それを確定させるということ。それが快感になった可能性は捨てきれない」
青田の「想像」に美佐緖は追いついたのだろうか?
しかし美佐緖には、その感触がなかった。
「――ただこれもまた、岡埜の単独犯でしょう。恐らく、警察もそういった結論に達している。しかし、何故そうなるのかがわからない。あまりに情報が不足してますからね。想像すら働かない」
「それは……待って下さい。じゃあ、『旨人考察』がアップされた理由は? それを行ったのは和夫さんなんでしょう?
確か、そんな話だったはずだ。そういった報道が出ている。
そして――再び青田が停滞した。そして美佐緖は感触を得る。青田に追いついたという感触を。
「――考え方の一つとしてまず……そもそもの計画に立ち返った可能性があります。神田さんの葛藤はともかく、表面だけ攫うような受け取り方をするなら、順調に計画は進行してしまっている。だから神田さんは計画通り『旨人考察』をばらまいた」
「他の考え方は?」
「岡埜に対して、優位に立つためです」
美佐緖からの厳しい追及に押し出されるように、青田は説明を続けた。
しかし、あまりにも短くまとめすぎたのだろう。美佐緖は眉を潜める。
「それは……どういうことですか?」
「岡埜が殺人を犯した。それも短期間に二件もです。これは恐ろしい。だから岡埜に、そして自分自身を奮起させるために神田さんは狂気を装う必要性に駆られた。この辺りの神田さんの心理についてですが、俺は揺蕩っていたように想像出来るんです。こうなったら計画を進めれば良いのだ、という開き直りに近い気持ち。同時に岡埜を怖れる気持ち。そして月苗さんとの交流も含めた、今を楽しむ気持ち……どれか一つの気持ちに染まっていたとは考えにくいんです」
そう説明されれば――美佐緖としても納得するしか無い。
美佐緖自身も、揺るがぬ気持ちで日々を過ごしているわけでは無い。
いや美佐緖に限らず、普通の人なら、必ず揺れる。揺蕩う。
悲惨なのは……そんな普通な神田が“始めて”しまったことなのだろう。
「そして――最悪、と表現した方が良いのでしょう。どれを選んだとしても、計画自体は進行してしまうという点です。そうやって神田さんが揺蕩っている間にも、事態は進行していきます」
「……だから白馬で事件を起こさざるを得なかったんですね。岡埜に対して優位に立つため」
時系列で考えるなら、確かに次は白馬での事件ということになる。
その美佐緖の指摘に、青田は軽く頷いた。
「そういうことになります。そして白馬での事件で、初めて二人は協力することになるわけです。殺人の協力を」
「その辺りは……はい」
実際、この時二人がどう動いたのかは、全てが詳らかになっていると言っても良い。この事件の後、神田が単独で夜行バスにのって長野市に乗り込んで「旨人考察」をアップしたことさえも判明しているのだ。
しかしそういった行動の理由とは、強烈な思い込みや、計画を進めようとする圧倒的な意志の力があったわけではない。
神田はただ、流されるままに殺人を続けていた。
そして流されるままに、神田は落ちていったのだ。素晴らしさを確認した日常から。
しかし、それは田之倉有香を守るために殺人を選んだ段階で、とっくに堕ちていたのだ。だからこの時の神田はさらに落ちて、堕ちていっただけ。
美佐緖は、それを知ってしまった。
青田の「想像」に追いついてしまったことで。
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